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レーニンも説いた、満身「左翼小児病」に侵された反日野党と、アシスト左翼メディアの足掻き。

2015-06-29 18:13:10 | Weblog
ロシア革命を指導した、ウラジーミル・レーニンは著書や発言において、実に機智に富む多くの言葉を残している。
(1917年著書)『国家と革命』(暴力革命の方法、手段を教育する共産主義者のテキスト)で、「青少年をして祖国の前途に絶望せしめる事が、革命精神養成の最良の道である」(青少年に対し祖国の前途に対する希望の燈を奪い、祖国蔑視、祖国呪詛の精神を扶植することが、革命への近道だ)と教育工作による内乱革命を力説した。  日本に於ける「日教組による教育革命」。

1920年4月、レーニンは、「労働組合が共産主義の学校である」という重要な命題を提起、革命戦士確保に労組工作を指令した。

1920年6月の著作「共産主義における左翼小児病」を刊行、翌月(1920.7)のコミンテルン第2回大会で配布、(1926年に堺利彦と国崎定洞(和田哲二)が日本語訳、日本共産党の指導書)。
本書でレーニンは、共産主義勢力内部で、他の社会民主主義勢力などとの一切の協力を拒否する姿勢を「左翼小児病」、客観的情勢を無視して目的を優先し無謀な主張や行動を行う勢力を「極左冒険主義(過激派)」と呼んで批判している。
表面的に理解されたマルクス主義の原則を公式的に振りかざして「(暴力)革命的」に振る舞う、未熟性な態度を揶揄しているものだ。
今次の国会論議を見ていると(バカバカしくて避けているものだが)、成長できない小児病政治家が、これほどにも居るものかとウンザリしてしまう。
いずれは淘汰されて行くのは見えているが、長年に亘り対宥和策に甘んじてきた政権党(自民党)の責任も重い。
小児病者、過激派、に加えて在日朝鮮人(中国人)系が、反日統一戦線を組んでいるのが日本政界の野党現状であろう。
1970年代から、マスメディアに潜入した反日革命工作員が、身を乗り出して愚民煽動工作に走っている。
1972年の日中国交正常化までの「日本解放第2期工作綱領」、その後の『「第3期工作綱領」(天皇制を廃し)日本人民民主共和国の樹立』を引き摺り、左翼小児病状を脱しえない全共闘過激派の最終闘争でもあろうか。
戦後70年は、全学連、団塊世代(全共闘)がサヨク小児病のまま、人生終焉を迎えるかの哀れな最期の岐路でもある。
ウラジーミル・レーニンも説いた、満身「左翼小児病」に侵された反日野党と、アシスト左翼メディアの足掻き。

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