2011.9.18に投開票された山形市長選挙で現職市川昭男が3選を果たした。
構図は自民推薦で擁立の新人佐藤孝弘に対して、オール非自民統一戦線(民主・社民・共産・公明市議団)の現職市川昭男、それに徒手空拳の長岡寿一の3候補である。
1966.10に施行された市長選で、自民分裂のなかで漁夫の利を得て、社会党県議出身の金沢忠雄市長が誕生した。
以来、自民党は一部離脱議員(別会派)は出ているが、党主流としては全国的にも希有な40余年の長きに亘り、市政野党暮らしとなってきている。
この間の市長選挙で象徴的な対戦として、現職金沢に挑んだ吉村和夫(当時自民県議で前市長)の県都を二分した「金沢VS吉村」の対立構図があるのだが、今日の県政界において、社会党出の金沢の長男忠一は現在自民党県議となり、自民党出の吉村の次男和武が民主党県議となり対戦場において攻守所を変えた立場にあることも、県都経済界と中央政界絡みの長年に亘る複雑さを現わしている。
結果としてコミンテルンも驚きの非自民(利権継承)統一戦線が功を奏して市川3選と相成った。
自民・非自民の政治家どもが理念不在の席次抗争を繰り広げてきたなかで、1967.4に金沢市政の第一期職員採用として市役所に入った市川昭男は、右往左往する政治利権屋を横目に市職労のなかでセンターラインを走り抜いてきたのである。
過激派第4インター出身の闘士(赤ヘル)は、このたびの当選で約半世紀余り(1967~2015)の市政君臨を果たすことになる。
市職労の高笑いが聞こえてきそうである。
2011.9山形市長選挙はコミンテルンも驚きの非自民統一戦線が決定打となった。
この選択の功罪は一重に市民有権者が後年負うことになる。
構図は自民推薦で擁立の新人佐藤孝弘に対して、オール非自民統一戦線(民主・社民・共産・公明市議団)の現職市川昭男、それに徒手空拳の長岡寿一の3候補である。
1966.10に施行された市長選で、自民分裂のなかで漁夫の利を得て、社会党県議出身の金沢忠雄市長が誕生した。
以来、自民党は一部離脱議員(別会派)は出ているが、党主流としては全国的にも希有な40余年の長きに亘り、市政野党暮らしとなってきている。
この間の市長選挙で象徴的な対戦として、現職金沢に挑んだ吉村和夫(当時自民県議で前市長)の県都を二分した「金沢VS吉村」の対立構図があるのだが、今日の県政界において、社会党出の金沢の長男忠一は現在自民党県議となり、自民党出の吉村の次男和武が民主党県議となり対戦場において攻守所を変えた立場にあることも、県都経済界と中央政界絡みの長年に亘る複雑さを現わしている。
結果としてコミンテルンも驚きの非自民(利権継承)統一戦線が功を奏して市川3選と相成った。
自民・非自民の政治家どもが理念不在の席次抗争を繰り広げてきたなかで、1967.4に金沢市政の第一期職員採用として市役所に入った市川昭男は、右往左往する政治利権屋を横目に市職労のなかでセンターラインを走り抜いてきたのである。
過激派第4インター出身の闘士(赤ヘル)は、このたびの当選で約半世紀余り(1967~2015)の市政君臨を果たすことになる。
市職労の高笑いが聞こえてきそうである。
2011.9山形市長選挙はコミンテルンも驚きの非自民統一戦線が決定打となった。
この選択の功罪は一重に市民有権者が後年負うことになる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます