10.30、菅野晴夫氏(癌研究会特別顧問、1973~93元癌研究会癌研究所所長・癌化学療法センター所長)が死去された。
癌の病理学研究者として、1989年に紫綬褒章、2003年には文化功労者に選ばれている。
直接お会いしたことはないのだが、我が寒河江高校の大先輩(旧制中学20回卒から山形高校・東京大医学部卒)で、同じ柴橋出身(最上川対岸の中郷地区)の有名人として聞き及んでいた。
寒河江市に講演でお出で頂いたこともある。
訃報の新聞記事を目にしていたら、我が母が菅野所長の妹さんと同級生だったとのことで家庭事情もよく知っていた。
このような、地元出身の逸材を文化功労者選出の時点で、名誉市民に推挙する声は出なかったものだろうか。
顕彰の姿勢が自治体ごとに違いがあることではあるが、寒河江市に於いてはいささか緩慢すぎるようだ。
郷土出身の誇れる人物を後世に伝えて行くことは、歴史文化の伝承のひとつでもあろう。
(10月30日午後9時42分、胃がんのため東京都江東区の病院で死去、91歳。山形県寒河江市出身。葬儀は7日午前10時30分から東京都中央区築地3の15の1の築地本願寺第二伝道会館で。喪主は妻正子さん。)
癌の病理学研究者として、1989年に紫綬褒章、2003年には文化功労者に選ばれている。
直接お会いしたことはないのだが、我が寒河江高校の大先輩(旧制中学20回卒から山形高校・東京大医学部卒)で、同じ柴橋出身(最上川対岸の中郷地区)の有名人として聞き及んでいた。
寒河江市に講演でお出で頂いたこともある。
訃報の新聞記事を目にしていたら、我が母が菅野所長の妹さんと同級生だったとのことで家庭事情もよく知っていた。
このような、地元出身の逸材を文化功労者選出の時点で、名誉市民に推挙する声は出なかったものだろうか。
顕彰の姿勢が自治体ごとに違いがあることではあるが、寒河江市に於いてはいささか緩慢すぎるようだ。
郷土出身の誇れる人物を後世に伝えて行くことは、歴史文化の伝承のひとつでもあろう。
(10月30日午後9時42分、胃がんのため東京都江東区の病院で死去、91歳。山形県寒河江市出身。葬儀は7日午前10時30分から東京都中央区築地3の15の1の築地本願寺第二伝道会館で。喪主は妻正子さん。)
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