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とつぜんSFノート 第80回

 1980年代初頭の日本SF大会は東京と大阪がキャッチボールをしていた。1980年東京TOKON7、1981年大阪DAICON3、1982年東京TOKON8、1983年DAICON4。この中で小生にとって忘れられないのは1982年のTOKON8である。関西人の小生がなぜ大阪のDAICONではなく、東京のTOKONかというと、このTOKON8を企画実行したグループに親近感を持っていたからだ。
 3と4。二つのDAICONを開催した中心メンバーはSFショップ「ゼネプロ」の連中。小生、この連中にはあまり良い感情は持っていない。いま、話題の映画「シン・ゴジラ」の総監督の庵野秀明は、当時、このゼネプロの一味であった。だから小生は庵野にも良い感情は持ってない。だから、知人で雫石さんは、この映画は観に行かないのではないかといった人もいた。事実小生は「エバンゲリオン」は観たこともないし観る気もない。しかし、「シン・ゴジラ」は傑作との評判を聞いていた。小生の個人的な感情は感情として、良い映画は観たいもの。「シン・ゴジラ」は傑作であった。庵野の才能を認める。
 SF大会には大きく分けて2種類の性質がある。同好の人間が集まって、大騒ぎして楽しむお祭としてのSF大会。SFを研究し勉強しその成果を発表する場としての、学会的側面を持ったSF大会。前者をファンニッシュ、後者をサーコンと称する。小生たち星群はサーコンなグループである。
 TOKON8を実行したのは「科学魔界」「イスカーチェリ」「SF論叢」といった非常にサーコンなグループ。小生たちは関西の同人誌ではあるが、関西のゼネプロよりは関東の上記の3グループに親近感をいだいていたのはいうまでもない。特に科学魔界の巽孝之氏とは親しくご交誼していた。その巽氏の要望でYOKON8内の企画として「星群祭出張版」を東京で開催した。星群祭は毎年、真夏の京都で行われるSFイベントである。星群祭が京都以外で行われたのは、この時の東京と2002年島根県は玉造温泉で行われた第41回日本SF大会「ゆーこん」の2回だけである。「ゆーこん」での出張星群祭は、石飛卓美氏の要望であった。
 いまはもうないが、かってファンジン大賞という賞があった。全国のSFファンジン同人詩で優れたものを表彰する。1982年が第1回でTOKON8内で表彰式があった。で、第1回ファンジン大賞グランプリに星群が選ばれた。そのファンジン大賞の創作部門受賞者を最も多くは輩出したのは星群である。
 このTOKON8にて「愛国戦隊」事件というのがおこった。TOKON8のコスチュームショー内で、例のゼネプロ一味が「愛国戦隊大日本」という自主フィルムを上映した。これを観てもらえれば判るがたわいのない戦隊モノのパロディである。ショッカーの代わりにロシアが攻めてくるというもの。特撮は庵野。ロシアもバカにしているが、右翼もバカにしているだろう。連中はロシアの脅威といった政治的な意図はなく、「おもろいやんけ」という関西人のノリで創ったモノと思われる。
 これにイスカーチェリの波津博明氏らが怒った。イスカーチェリは東欧ソ連のSFを精力的に紹介しているファンジンである。星群の友好誌でもあった。TOKON8には、ロシア人作家からのメッセージも届いている。それをこんなバカなフィルムを上映するとは。と、いうことだ。
 小生自身のこの件に関しては、もちろん波津氏らの立腹には賛同する。しかし、ゼネプロ一味に本気で怒るのはいかがなものかと思う。本気怒れば、それをネタに連中はまたおもろいことをいうだけである。

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