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セミの鳴く夏

 電話が鳴った。妻からだ。涼しいうちに買物をすませるといって、朝7時から開いてるスーパーへ行った。
「あなた、迎えに来て」
 ひどくしんどそうな声。しゃべるのがやっとという感じだ。
「どうした」
「なんだか判らないの。急に首筋が痛くなって」
「どこだ。すぐ行く」
「栄公園の横のコンビニいるわ」
 急いで車で駆けつけると、妻はコンビニの事務所で横たわっていた。買物をすませて公園を横切っている時、首筋に針を刺されたような感じがした。暴漢に襲われたかと、後ろを振り向くとだれもいない。公園の木々からジャージャーというセミの声が激しく聞こえるばかりだった。
「でね、首を手でさわると血がついてるの」
 急に身体の力が抜け、はうようにしてこのコンビニまでたどりついて、店長に頼んで事務室で横にさせてもらったというわけだ。
「いやあ、びっくりしましたよ。奥さん、真っ青な顔で首のまわり血だらけで」
「どうもお世話になりました」
「いえ。救急車呼びましょうか」
「いや、とりあえずかかりつけの医者に連れて行きます」
 店長の手も借りて、妻を車に乗せた。医院は幸い先客はおらず、すぐ先生に診てもらえた。
「貧血です。それに首すじに浅い刺し傷が数ヶ所あります」
「貧血?どういうことです」
「判りません。何者かに首から血を吸われたようです」
「ええ、まさか吸血鬼?」
「さあ、私も長年医者やってますが、こんな症例はじめてです。とりあえず造血剤を出しておきますので、安静にしておいてください」
「はい。ありがとうございます」
「おだいじに。あ、それから造血剤を飲むと便が黒くなります」


「警部補、これで5件目です」
「で、変質者のリストはできたか」
「どうも変質者のしわざではないようです。見てください。3件目、4件目はまったく同時刻です。1件目と5件目はかなり距離があります」
「だったらなんだ。ほんとに吸血鬼か」
 電話が鳴った。
「はい。こちら警察。はい。判りました」
「6件目です。被害者は35歳女性現場は2丁目の栄公園。貧血を起こしてます」
「6件の事件。なんか共通点はないのか」
「6ヶ所の現場、いずれも樹木の多いところです。被害者は襲われる前にセミがたくさん飛んでいるのを見てます」
「セミのかっこした吸血鬼か」

 先生にもらった造血剤で貧血は治ったが。急に発熱。40度近くある。針で刺された痕が化膿した。また、刺し傷のところばかりではなく、何かが体内にはいったらしく肝臓が肥大している。急激に肝臓全体が炎症を起こしている。
 入院している妻を見舞った。主治医の話。肝臓が壊死を起こしている。もう手の施しようがない。あと1週間もてばいい。
 栄公園の横で車を止めた。コンビニでアイスクリームを買う。顔なじみになった店長が聞く。
「どうです。奥さん」
 首を横に振ることしかできない。
 公園のベンチに座ってアイスクリームを食べる。ジャージャーと激しくセミが鳴いている。横の木にとまっているセミを見る。手のひらを広げたぐらいの大きさのセミだ。セミってこんな大きな虫だったのか。
 病気とは縁のない妻であった。健康保険料取られ損ね、と、いつもいっていた。そんな妻が余命1週間。すべてはこの公園で何者かに首筋を刺されてからだ。あれから警察からはなにもいってこない。彼らは人間の犯行とは考えてないのだろう。
 手のひら大のセミが飛んだ。顔が塗れた。セミのおしっこだ。でかいせみだから、おしっこの量も多い。顔がびちゃびちゃになった。そのセミがこちらに向かって飛んでくる。手のひら大のセミがこちらに飛んでくるのだ。恐怖。大あわてで逃げる。追いつかれた。首筋に激痛が走った。

「7時のニュースです。K市H区内で、この夏頻発している、いわゆる『K吸血鬼』事件ですが、犯人が判りました。外国のセミと日本のクマゼミが交配してできた新種のセミが犯人です。では、昆虫学が専門のO大学飯田教授にお話をうかがいます」
「セミは普通、樹木の汁を吸うのですが、この新種のセミは動物の血液を吸うのです。それに吸血のさい、セミ自身が持っている不明の成分が吸血された動物の体内に入り肝臓を破壊することが判りました」
「どうしたらいいんですか」
「セミに刺されないようにしてください」

 8月7日午前9時。太陽がようしゃなく照りつける。夏休みの日曜の午前中だ。いつの夏ならば、夜、この栄公園で行われる盆踊りの準備をする人がいるはずだが、いまはだれもいない。木漏れ日の下にはひからびた犬の死体があるだけ。
 よこのコンビニは閉店のお知らせの張り紙。近くの朝7時から開いてるスーパーも閉店した。スーパーの前には私鉄の駅があるのだが。電車が止まらなくなって久しい。と、いうより電車が走ってない。線路はうすく錆が浮いてきている。
 だれもいない街で、ジャージャーとセミの鳴き声ばかり聞こえる。
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