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とつぜんSFノート 第25回

 星群の会に入会して、毎月第1日曜に京都へ行くのが、その月一番の楽しみとなった。会場は烏丸丸太町にあった、今は亡き京都府立勤労会会館。午後1時からだった。当時は京都には地下鉄はなく、阪急の烏丸駅で降りてバスで丸太町まで行った。西宮生まれで神戸育ちの小生は、それまで京都には縁がなく、確か、子供のころ遠足で来たのと、ウチの宗旨が浄土宗なので、知恩院での法事に出た記憶があるぐらい。烏丸通りを北上するバスの車窓から見える京都が興味深かった。あれから40年近く経った、今ではおりにふれて京都へは行っている。以前は、多い時は週に一度は京都をうろついていた。
 例会の開始時間が午後1時からだから、丸太町でバスから降りて、まず昼食を食べた。烏丸丸太町交差点の北西の角にある、西洋軒という洋食屋によく入った。今の感覚でいうと、レトロな昭和の洋食屋さんといった店だった。いや、実際、その当時は昭和だったが。安くて量が多くておいしかった。確か容器に寿司桶が使われていたと記憶する。このお店今も有るのではないか。
 昼食が終れば勤労会館に入る。1970年代初頭の星群の会はまだ会員数も少なく、例会も京都だけで行われていた。勤労会館の遅いエレベーターに乗って、小さな会議室に入る。小生が初めて、この勤労会館の例会に参加したときは5人ほどだった。出たばかりの「宇宙塵」が話題になっていた。宮武一貴さんの「スーパーバード」「コッペリア」が掲載されていて、宮武さん自身のイラストが載っていた。あと、具体的にはどんな話をしていたか忘れたが、まじめにSFの話をしていたようだ。それから、星群祭をどうしようかといっていた。
 第1回星群祭は成功との認識だった。第2回をしようかどうかということが、話し合われた。結局、第2回目も行われ、星群祭は地方コンベンションとしては、日本を代表するSFコンベンションに成長するのだが、このころは、第1回が終ったばかりで、2回目の開催決定すらなされていなかった。
 勤労会館での例会が終ると、それでおひらきということでは、もちろんない。二次会三次会が必ず行われるのである。この当時の2次会は烏丸御池の「ビッグ」という喫茶店でやっていた。建物は細長いが、座席数が多く、どやどやと多人数で行っても、必ず同じテーブルで座れた。ここで、コーヒーなどを飲んだあと、三次会へと移る。
 御池通りをぶらぶらと歩く。寺町を通って河原町へと出る。京都書院、駸々堂、丸善などの書店をのぞく。あのころの京都河原町には書店がたくさん有った。おおどころの書店をひと通りのぞいたあと、いよいよ一番のお楽しみ、飲み会となる。当初は、いろんな飲み屋に行ったが「凱旋門」という西洋風の名前でありながら、和風の居酒屋という店に落ち着いた。
 充分に飲み食いして、腹もふくれ、いい気持ちに酔っぱらって、阪急の四条河原町まで、夜風にふかれながら歩く。実に気持ちがいい。日曜の深夜、阪急電車で京都から大阪は梅田まで。梅田で大阪組と別れて、小生は阪神で神戸まで帰る。
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