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ブレードランナー


監督 リドリー・スコット
出演 ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング

 ものすごく久しぶりに観た。これで3回目のはずだ。最初は封切り時に映画館で観た。浅倉久志訳フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢の見るか?」が映画化されることは知っていた。原作はディックの作品の中で小生の最もお気に入り。いそいそと映画館に出かけた。今はなき神戸は三宮の阪急会館だったと記憶する。ディックの原作と少し違い、なによりそれまでのSF映画の概念とはまったく違う映像に仰天した。
 2回目はベータのテープで観た。今回、ファイナルカット版がBSで放送されたから観た。改めて斬新な映像の映画であることに感心したしだい。
 ストーリーは脱走したレプリカントをブレードランナーが、見つけ出し判別し抹殺するという、カムイ外伝のような話だが、この映画の眼目はストーリーだけではない。なんといっても映像である。薄汚くカビ臭く、しょっちゅう雨が降っていて猥雑な近未来のロスアンゼルスは、非常にリアルに見える。「強力わかもと」の巨大な電飾看板の前を、飛行機械がゆっくりと飛び交い、地上では、フォード扮するデッカードが屋台でうどんを食っている。
 また、本作はSF映画として優れているが、スコットの抑えた演出と、インディ・ジョーンズやスターウォーズとはうって変わったフォードの大人しい演技で、出色のハードボイルド映画の側面も持っているのではないか。
 本作は時代劇における黒澤映画に相当するのではないか。それまでの時代劇が、東映時代劇にみられる歌舞伎の伝統を受け継ぐ、様式美の「きれいな」時代劇であったのが、「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」の黒澤時代劇では、生活臭がただよう、薄汚れた「きたない」時代劇で、まったく新しい時代劇を創造したように、キューブリックの「2001年宇宙の旅」に代表されるそれまでのSF映画はメタリックな輝きを持つ、無機的な「きれいな」SF映画であったのが、本作では「きたない」有機的なSF映画となっている。
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