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とつぜんSFノート 第22回

 1974年のある日。夏より前だったから春のはずだ。いつものように、眉村さんを囲んでの勉強会。銀座が丘集会に出かけた。いつものメンバーが集まりつつある時、眉村さんが「今日は星群の人たちが来る」とおっしゃった。
 星群の会は知っていた。「超人類」というグループが発展解消したSF同人誌で、定期的に同人誌を発行している。非常に生真面目で堅実な同人誌サークルであることは、小生も耳にしていた。
 ほどなくして見知らぬ人たちが3人ほど入ってきた。この瞬間が、その後、40年近く会員をやり、今も会員である星群の会と小生のファースト・コンタクトである。思えば、星群とも長いつき合いだ。たぶん、小生は終生、星群の会員だろう。
 星群の人たちは、星群祭というイベントを企画していて、今回が第1回とのこと。ゲストに柴野拓美氏と、眉村さんを招聘する準備をしていて、今日はその依頼に来ていた。星群の人たちは眉村さんに、星群祭へのゲストでの参加を頼んでいた。眉村さんは快諾されていた。
 小生は星群の人と言葉を交わした。すぐ意気投合し、その場で入会を申し込んだ。入会の手土産として、ショートショートを1本投稿するようにいわれた。ショートショートのストックならいくらでもある。今度会う時に手渡すとの約束をする。星群祭の参加申し込みもした。この集会のあと、必ず二次会で一杯となるのだが、この時はいつものメンバーではなく、小生は星群の面々と飲みに行った。
 1974年7月28日。小生は第1回星群祭に参加した。会場は「かんぽーる京都」きれいな会館であった事は記憶にある。ただ京都のどのあたりだったかは記憶にない。北の方ではなかったか。
 ゲストは眉村さんと柴野さん。昼食のテーブルが柴野さんといっしょになった。初対面ながら親しくお話ししてくださった。この時が、小生が柴野拓美さんと言葉を交わした最初だった。その後、柴野さんは眉村さんとともに、星群祭のレギュラーゲストとなり、毎年、小生たちと逢い、また、SF大会なでのイベントでもお逢いする。柴野さんは小生たち、後輩には大変に優しい先輩だった。ただし、作品の講評は、特にハード面では厳しい指導者だった。
 この時の星群祭の内容は、実はよく憶えていないのだが、柴野さんと眉村さんの講演と、ショートショートコンテストをやっていた。あらかじめ応募されていたショートショートの合評会と、参加者全員で、その場でショートショートを書く、即興ショートショートの2本立てであった。
 初めての星群祭での楽しい1日を過ごし、帰りかけると、例会へ来てくださいとの、お誘いを受ける。
 次の月の8月の第1日曜に出かけた。場所は阪急西院駅前の「越後屋」という喫茶店。別にお代官さまにワイロを贈っているわけではないと思うが、そんな名前の喫茶店だった。星群の例会はずっと、この越後屋でやってきたとのこと。実は、小生が越後屋に行ったのは、この時が最後だった。次回の例会から、会場を京都府立勤労会館に移して行うようになった。ちなみに日時は毎月第1日曜は固定。今も星群の例会は毎月第1日曜だ。
 こうして、小生は月に一度以上は、神戸から京都へ行くようになった。はなはだしい場合は、毎週京都に行ったこともある。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
もっと前かと (悠々遊)
2011-09-02 07:11:26
そうでしたか。第1回星群祭直前からの参加でしたか。もっと前からのメンバーかと思っていましたが。

会員になってからの存在感が、それだけ大きかったということでしょうね。
 
 
 
悠々遊さん (雫石鉄也)
2011-09-02 09:06:44
そうです。私は1974年、第1回星群祭直前の、星群入会です。
存在感というか、でかい顔させていただいたといえます。
 
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