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神君幻法帖


山田正紀   徳間書店

 山田正紀は現代日本のエンターティメント小説のオールラウンダーだ。しかも長年この分野の作品を発表し続けているベテラン。SFを出発点として、ミステリー、ホラー、冒険小説、時代劇、なんでもござれ。小説の職人といってもいいのではないか。
 その山田正紀が同じ苗字の大先輩、山田風太郎の風太郎忍法帖へのオマージュとして書いた作品。小生、表紙を見てニヤリとした。イラストがかの佐伯俊男。
 物語は風太郎の代表作「甲賀忍法帖」とまったく同じ構成。異様な能力を持つ二つのグループ、山王一族と摩多羅一族の集団戦。双方のメンバーは、幻法なる摩訶不思議な技を持っている。ちなみに山田正紀は忍者なる存在を否定している。よって、作中では「幻法者」「幻法」という言葉を使っていた。
 このような集団バトル小説の場合、球技のようなチームプレーではなく、柔道の団体戦のような個人技と個人技のぶつかりあいによって、勝負をつけていくわけだが、それぞれも持つ技をどのように見せるかが大切。
 このへんの兼ね合いはプロレスと同じで、技をかけるほうが、技のすごさを見せることはもちろんだが、技を受けるほうも、どう受けるかが大切である。受けるほうもすごい技をもっているわけだから、その技を出す前に死んでしまったのでは、受け手がどんな技を持っていたか見られないから不満が残る。
この作品の場合、7対7の幻法者全員の技を見せつつ、一人づつ消えていく。「不死」という、掟破りの技も使ってはいるが、うまい構成で全員の技が楽しめた。このあたりは山田正紀の職人芸だ。
 では、風太郎の「甲賀忍法帖」と比べてどうかというと、残念ながら正紀は風太郎を越えられなかった。山田正紀はやっぱりSF者だな。「幻法」に科学的な整合性を求めて、最新の脳科学、遺伝子、生化学も持ち出して解説していたが、それはそれで面白いが、SFを読む面白さなのだ。「時代劇」「忍法帖」を読む面白さではない。正紀は、風太郎には官能、玄妙、怪奇さでは今一歩足らなかった。風太郎忍法帖をセット撮影された映画とするなら、正紀幻法帖はCGで撮影された映画だ。
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