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とつぜんリストラ風雪記 7

 とつぜんリストラ風雪記6

 第7回 面接
 
面接に行くようになった。中高年の再就職は非常に困難。これを大前提として、以下をお読みいただきたい。
面接に臨んで、まず、企業に好印象を持ってもらい、自分自身を売り込むことが必要。かといって必要以上に卑屈になることはない。
 面接は確かに、企業が応募者を選考する場である。しかし、求職者が企業を見る場でもある。ハローワークが紹介する案件は玉石混合。ハローワークは、求人の申し込みがあれば、それがどのような企業であっても、よほどのことがない限り、求人案件として公開する。
 給料、休日などの待遇も、ハローワークが提供してくれる求人票は最高の条件のもの。いわば、パチンコ屋の「出球最高」とかお見合いの釣り書と同じ。それをそのまま鵜呑みにできない。応募者自身がしっかりと、その企業を見て判断しなくてはならない。ハローワークは紹介するだけで、そこまで責任は持たない。
 面接は企業が応募者を選択する場であると同時に、応募者が企業を選択する場でもある。中高年のリストラ者には、確かに選択肢はないとはいいつつも、こっちが企業を選んでやるとの気概は持ちたいものだ。

2003年1月17日(金)
 初めて大阪の梅田ハローワークへ行く。場所はOSビルの13階。それまで灘ハローワークばかりに行っていた。大阪のハローワークは神戸のハローワークより情報量はだんぜん多い。神戸は、1995年1月17日の阪神大震災で壊滅的な被害を受け、その影響がまだまだ残っている。求人数の少なさにそれが表れている。
 S機械という大阪淀川区の機械工場の案件を見つける。職種は部品倉庫の在庫管理。小生の専門分野。応募する。とりあえずは書類選考。パソナのオフィスを借りて書類を調えて、即、送付。
 パソナは梅田での求職活動の拠点として、契約している求職者はオフィスとして使えるコーナーがある。そこでは、デスクはもちろん、電話、FAX、コピー、パソコン、就職関係の資料は何時行っても自由に使える。書類の郵送もやってくれる。便利である。
 
1月20日(月)
 灘ハローワークと三宮ハローワークへ行く。

1月22日(水)
 神戸ハローワークへ行く。
 この20日と22日の行動はまったくムダな動きであった。まず、灘、三宮、神戸の3軒のハローワークは同じ神戸圏内。全く同じ情報である。従って、この3軒のうち1軒行けば良かった。灘にない情報を求めて三宮や神戸に行ってもムダ。このころはそのことを知らず、20日などは午前中に灘へ行って、午後に三宮へ行っている。
 また、ハローワークの情報は1週間同じ情報を公開して、だいたい月曜日に更新される。だから、同じ週に同じ圏内のハローワークに行っても全くのムダ。この20日と22日の小生の行動は二重のムダをしていた。

1月27日(月)
 神戸ハローワークで1件収穫。Tハウジングという住宅リフォームの会社。職種は経営企画!いまから考えるといかにもヤバそうな会社だが、応募する。明日面接ということになった。

1月28日(火)
 Tハウジングに面接に行く。初めての面接なり。がらんとした感じの、引っ越してきて直後といった風情の事務所。壁にいっぱい張り紙が。売上のグラフやら、目標やら、標語やら、なんやらかんやら、ベタベタ。
 行くとすぐ、若いおねえちゃんが出てきた。書類を出せというから、履歴書と職務経歴書をねえちゃんに手渡す。「1週間以内に連絡します」面接は5分で終わった。この案件こっちから断る。

1月31日(金)
 パソナと梅田ハローワークへ行く。これから毎週金曜日はこの2ヶ所に行くことにする。パソナは新阪急ビル、梅田ハローワークはOSビル。両方とも梅田で、すぐ近く。この日から金曜はこの2ヶ所で用を済ませ、旭屋、紀伊国屋の2大書店をのぞいて帰るのがパターンとなった。

2月3日(月)
 ハローワークのパソコン講座の初日。このころ小生は、ワープロはNECの文豪、パソコンはPC8801mkⅡ-SRという古色蒼然とした機械を使っていた。求職活動にはインターネットが必需品。ウィンドウズのパソコンの扱い方を覚える必要を感じたしだい。

2月4日(火)
 S機械が断ってきた。ちょっと期待していたので残念。

2月7日(金)
 梅田ハローワークで1件見つけるが、どうも期待の持てない案件であった。このままでは埒があかない。月収を低く、就業場所を広く設定するなど、求人検索の条件を大幅に考え直す必要がある。

2月12日(水)
 雇用保険の認定日のため灘ハローワークへ。認定を受ける。これでいくばくかの雇用保険が振り込まれる。ついでに求人検索。1件見つける。
 ハローワークを出て、パソコン講座に行く。

2月13日(木)
 きょうでパソコン講座も終わり。大変にわかりやすい講座であった。インストラクターのKM嬢に拍手。

2月14日(金)
 面接が入った。吹田市の江坂の結婚紹介会社。まったく興味も経験もない業種だが、面接をしてやろうというのだから、行くことにする。
 1月7日に、本格的に求職活動を開始して、1ヶ月以上経過したが、まったく手ごたえを感じない。少々焦りだした時期だ。ホームレスになるわけにいかない。家族を養っていかなくては。畑違いの業種でもいいから、ともかく就職することが肝要。
江坂に下見に行く。面接に遅刻は厳禁。江坂なら知っている土地だが、念の為。地下鉄御堂筋線江坂のほど近く。新御堂筋に面した小さなビル。

2月17日(月)
 江坂のT社に面接に行く。小生と同じぐらいの歳の人が7人ほど来ていた。おじさんが5人。おばさんが2人。
 T社のなんとか部長とかいうひげのおっさんが出てきて会社の説明。結婚紹介会社。いわば金とってやる仲人。ところが、このひげのおっさん、なんともうさん臭いおっさん。会社もなんだかいいかげんな感じ。説明だけを聞いて帰るつもりだった。
 説明は7人全員に対して。それが終わり一人一人の面接となる。小生、帰りそびれる。結局、ひげのおっさんの面接を受ける。説明の時はいいかげんな感じだったが、1対1の面接では、それなりのおっさんという印象を受けた。
 面接が終わって、しばらく待たされた。3人残って、後はお引取りくださいとのこと。おばさん2人と、おじさん1人。もちろん小生はお帰り組。
 時間のムダだったようだが、これも、ま、経験だ。

                       つづく
 

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4月7日(月) チャールトン・ヘストン死す

 
アメリカの映画俳優チャールトン・ヘストンが亡くなった。小生、ハリウッド映画、それもスペクタクル映画が大好き。だから、このての映画によく出ていたヘストンは、小生にとってはおなじみの俳優さんである。いわゆるハリウッドの大スターと呼ばれる存在で、最後まで生き残っていたのがヘストンだった。
晩年は全米ライフル協会会長などという、賛同しかねる仕事などをして、マイケル・ムーアにからかわれていた。まことに残念ながら晩節を汚した、といわれてもしかたがないだろう。
「十戒」「ベン・ハー」「大地震」などという、70ミリ超大作、総天然色というコピーで宣伝された、まことにたいそうな映画で主演をはっていた、たいそうな俳優さんで、でかい身体で、でかい面した、でかい態度で、でかい画面に映される、でかい映画が良く似合う、本当の意味でのビッグスターだった。
 小生が思うに、「ベン・ハー」の戦車競走のシーンは、マックィーンの「ブリット」のカーチェイス、ペキンパーの「ワイルド・バンチ」のラストの大銃撃戦と並ぶハリウッド映画の3大名アクションシーンだと思う。
 今の俳優ではシュワルツネッガーが同じような役ができそうだが、シュワちゃんは愛嬌はあるが、ヘストンの持つ威厳がない。
 また、SFファンの小生にとって、ヘストンの映画では「猿の惑星」が印象に残っている。あの映画のラストシーンは、ある程度予想がついたとはいえ、やはり衝撃的だった。
 なにはともあれ、チャールトン・ヘストンは、良い意味であれ、悪い意味であれ、でかく、たいそうなアメリカを象徴する大スターだった。
 ご冥福をお祈りする。
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