生活保護受給者の所得が、最低賃金で働く人よりも多いというケースが見られる。
これが長く続くと何のために働くのかという疑問を感じる人が増える可能性がある。
そうなると、働かなくなる人が増えるのではないかという危惧が生じる。
国もこのような事態を受け、保護水準の引き下げを考えているが、それで解決するのだろうか。
経済的にはさらなる消費が落ち込むことにはならないのだろうか。
それよりも逆に最低賃金を引き上げるということを考えてはどうだろうか。
国際競争が激化する中で、なんと非常識な考えだと企業人からは怒られるかもしれない。
そもそも最低賃金と生活保護は、生活保障の代替的な手段として比較してもいいものなのだろうか。
少し小難しい話になるが、「賃金」は家計所得の一部に過ぎず、世帯主に扶養され、社会保険料も払っていない主婦や学生が一時的に働く際に得るものをいったのではなかったか。
そういう意味では、最低賃金と生活保護を比較するには無理があると思う。
仮に最低賃金で働く世帯主がいたとして、その所得が生活保護を下回る場合があるとしたら、その不足分を補完する社会システムが必要なのではないか。
私は、常々、高度成長期が終焉を迎え、終身雇用、年功序列といった人事システムが崩壊した時点で、世帯主の所得で物事を推し量るには限界があると思っている。
わかりやすく言うと、家庭内所得で物事を考えていくべきではないかと思うのである。
どうすれば家庭内所得が増えるかを考えていけば、人口減少化社会で生産人口が落ち込んでいる打開策にもつながるのではないか。
また、生活保護費を引き下げて、その対象者が勤労意欲を増すかというと、それは疑問のような気がする。
大切なことは、その人たちに「働くことが損にならない」仕組みづくりを考えることだと思う。
ひとたび生活保護を受けると、努力して働いても、稼いだ賃金の額に比例して保護費が減らされる。
これでは働く意欲が失われ、保護された状況から脱出できない「貧困のわな」に陥ってしまう。
そこで、昔の親たちは生活が苦しくとも子どもたちの教育費をなんとか捻出しようと努力したきた。
そこには、子どもたちに託す明るい未来を感じていたからではないか。
また、所得と学力との間には相関関係があるといわれる。
所得が高いほど学力が高いというのだ。
そして、生活保護世帯は次の生活保護世帯を生む確率が高いといわれている。
そこには十分な教育を受けれていないという現実があるのではないか。
少し回りくどい話になったが、努力して働いた分を教育費に回した場合は減額されないというユニークなプログラムがあってもいいのではないか。
このことが、総合的に考えて生活保護費を押し下げずにすみ、働く意義を見出すことにつながないかということである。
この国が明るい未来を踏み出すためには、国民の学力をより一層高めるためのプログラムが必要と思う。
ぜんぜんちがう切り口のような感じがするが、教育に力を入れると民生費は結果的に減額されるのではないかという持論である。