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走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

技術だけでなく人間性を育てる

2009年02月09日 20時42分11秒 | その他
 昨夜、TBSの「夢の扉」を見ていて、この不況から脱出するためのヒントを見つけました。

 番組はあるホテルの備え付けの家具から始まります。
その部屋は家族向けの部屋でしたが、その家具は遊び心いっぱいです。
家具の下横には「トム&ジェリー」のジェリーが出てきそうなドアがついていたり、子どもたちが触れても大丈夫なように丸みを帯びていたりと、宿泊客が思わず欲しくなるような家具です。

 そして、その家具を作っているのがこの不況下で全く影響を受けていないという神奈川県横浜市にある秋山木工です。
その社長を務めるのが秋山利輝さん。

 秋山さんの会社で働く職人たちは、全て秋山さんが一から育てた職人ばかり。
会社は丁稚制度を甦らせ、もの作りに取り組む若手職人を育成し、世に送り出し続けています。
秋山社長の育て方は徹底しています。
新人に炊事当番をさせ、仕事前に社員全員で会社の周りを清掃させます。
掃除が中途半端だと徹底して怒る。
子どもたちは仕事と関係ないことで、なぜこれほどまでに怒られるのか、最初は気づかない。

 社長は続けて言う。
「技術は、そのうち身につく。大事なのは人間性。人間性が作品に出る。」
 だから人として何が大切かを教える。

 私たち大人はいつのころからか、子どもたちと真正面から向き合うことを避けるようになったような気がします。
 私たちの親たちが、あれほどまでに子どもたちに向き合ってくれていたのに。

 秋山社長を見ていて、何が大切かを教えられたような気がします。

北条地区文化祭

2009年02月08日 19時46分12秒 | その他
 今日は北条地区の文化祭に午前中行って来ました。
 この文化祭は、今年で3回目と歴史的には浅いのですが、ずっと見てきたものとしては、ずいぶんと定着してきたなというのが正直な気持ちです。
 当初は、地域の人たちになかなか受け入れてもらえなかったところもありますが、今はさまざまな人達が参画いただき、風物詩の一つになろうとしています。

 これも、最初は一人の公民館主事の熱い思いからスタートしたような感がありますが、見事につながったと思います。
 私たちの仕事は、決して歴史に名前を刻むような仕事ではありませんが、常に地域の縁の下の力持ちとしてやりがいのある仕事です。
 このことを理解して行動するか、理解しないまま行動するかで、自ずと得るものもちがってきます。
 このように継続して事業を見させていただくと、地域の人たちの思いや笑顔が伝わってきて、こちらもやりがいにつながります。
 この文化祭が、ずっと繋がっていきますことを祈っています。

 橋本公民館長をはじめ、関係役員の皆様、そして池田創作公民館主事お疲れ様でした。

 
 ロビーのパネル展です。


 すごい力作が目を引きます。帆船の模型です。


 盆栽もなかなかの力作が多かったです。


 折り紙細工、きれいでしたよ。


 干支が牛なので、今年は写真のような牧場が出来上がっていました。


 地元小学生によるコーラス①


 地元小学生によるコーラス②


 市内で一番小さな子どもたちの水軍太鼓演奏です。(北条幼稚園園児)

後輩の山口君の結婚式

2009年02月07日 21時42分29秒 | その他
 今日、平成18年の秋に臨時職員として当課に配属された山口君の結婚式でした。
彼は平成19年4月から私たちの後輩になりました。
彼の仕事ぶりは勤勉で、先輩たちの仕事を見聞きし、必死で覚えようという姿勢がありました。
 また、彼は毎日、誰よりも早く出勤し、みんなの机を拭いてくれました。
内心「続くのかな」と思ったのですが、最後まで続きました。

 今日から、山口君には沙織さんという強い味方ができます。
 もっともっと成長することでしょう。期待していますよ。

 末永く、お幸せに。

新郎・新婦入場です。

ケーキ入刀です。

仲睦まじく「あ~ん!!」

故郷の友人たちと急遽つくった「宇和ボンチーズ」の演奏

演奏のお返しに新婦から手づくりギタークッションのプレゼント

かわいいエンゼルからのお花のプレゼント

屋台村マジック

2009年02月06日 22時12分14秒 | その他
 場所文化フォーラムの後藤健市さん(http://www.mao2.net/tokachi/index_tokachi.html)と吉澤保幸さん(www.tocacino.com)と知己を得ました。
 お二人は、北海道は十勝帯広で「北の屋台村(http://www.kitanoyatai.com/)」を仕掛け、そのユニークで斬新な手法は全国の場所文化クリエーターの師匠とも言うべき存在です。
 そのお二人から、今回、さまざまなことを学びました。

 キーワードとしては、「円農(えんのう)」
 彼らは、単に飲食店を儲けさせるためだけの仕掛けをするというよりも、その地域の中で循環し、それにかかわる人たちが元気になるようなしくみづくりを行っています。
 そのことが、今回、直接お話を聴かせてもらいながらよくわかりました。
 また、その手法は現実的でさまざまな障害をチエと工夫を最大限活用しながら、かいくぐっていることもわかりました。

 農業生産者のモチベーションを上げるためには、まず彼らを自然の作品を創りあげるアーティストとして位置づけ、彼らに成功体験を積み上げさせることで「誇り」を持たせています。
 ここらあたりの視点がまったく違うなというのが、正直な感想です。

 私は、公民館活動をしていて、今、山間地域の中には「限界集落」に近い地域が増えてきていることが気にかかります。
しかし一方で、これらの地域でとれる農産物は本当においしいものばかりです。
そういった地域の元気を取り戻すためには、さまざまな行動を起こすべきだと思っています。
 今回、勉強会に参加し、お二人の話は本当に感動し、感心するものでした。

 そして次回、機会があれば、これらの地域をご案内しますと約束させていただきました。

 「やめやすいから、始めやすい」と「走りながら変わる」という言葉が心に残りました。

苦しいからこそ

2009年02月05日 22時48分10秒 | その他
 今夜、友人の紹介でまちづくりの勉強会に行ってきました。
 講師というか、アドバイザーには遠くから駆けつけてくれた吉澤さんと後藤さんという方たちが東京と北海道から駆けつけてくれていました。(内容については後日紹介)
 それに、地元飲食店でも積極的に店舗展開をされている若い経営者が加わり、なかなか楽しい時間をもてました。

 今、話題はどこにいっても、「苦しい」、「しんどい」という単語しか聞かない状況の中で、だからここそ今、必死でがんばるんだという熱き思いが伝わってきて、久しぶりに勉強になりました。

 一方、自宅のパソコンを開けると知人から、以下のような松下幸之助氏の言葉が送られてきていました。
なるほどなるほどと思いつつ、これを紹介しないてはないなと思い、記すことにしました。

■松下幸之助 商いの心得十カ条

第一条 商いは公事である
 商いは「私事」ではない。人のため、社会のために行なう「公事」である。その認識が基本にあってこそ、より力強い活動が可能となる。

第二条 お客様に愛される
 あの人がやっているのだから買ってあげようと思ってもらえるまでになりたい。そのためには、まずお客様に誠心誠意を尽くすことである。

第三条 商品はわが娘と考える
 お得意先をわが娘の嫁ぎ先と感じるまでの思いに立てば、お得意先とのつながりも、単なる商いを超えた、より深い信頼関係が生まれてくる。

第四条 商いは真剣勝負
 真剣勝負は切るか切られるかの二つに一つ、まさに文字通り真剣である。商いもそれほどの思いで取り組めば、必ずうまくいく。

第五条 堂々と儲ける
 利益は世の中への奉仕に対する報酬である。また、その利益によって納税もでき、社会の発展にも貢献できる。堂々と適正利益をあげたい。

第六条 お客様に手を合わす
 お客様が出て行く後ろ姿に心底ありがたく手を合わす。そういう心持ちの店には、人は自然と集まってくる。

第七条 商品はお金と同じ
 汚れていないか。ほこりをかぶっていないか。千円の商品は千円札と同じ。お金と同じ思いで商品を大切に扱おう。

第八条 商人に好不況はない
 常に商いの本道をふまえ、一つ一つの仕事をきちんと正しくやっていれば、好況だ不況だとあわてることはない。肝心なのは常日ごろである。

第九条 集金と支払いを確実にする
 お金にルーズになればなにもかもがルーズになる。日ごろから集金も支払いもきっちりする。そこから商売繁盛の道もひらけてくる。

第十条 反省なくして繁盛なし
 朝に発意、昼に実行、夕べに反省。日々のそうした地道な活動の積み重ねが商売繁盛につながっていく。
(PHP研究所刊 松下幸之助 商いの心得十カ条 より)


■松下幸之助 不況克服の心得十カ条

第一条 「不況またよし」と考える
 不況に直面して、ただ困った困ったと右往左往していないか。不況こそ改善、発展へのチャンスであると考える前向きの発想から、新たな道も開けてくる。

第二条 原点に返って、志を堅持する
 ともすれば厳しさに流されて判断を誤りやすい不況時にこそ、改めて原点に返り、基本の方針に照らして進むべき道を見定めよう。そこから正しい判断もうまれ、断固とした不況克服の勇気と力が涌いてくる。

第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ
 ふだんより冷静で念入りな自己評価を行ない、自分の実力、会社の経営力を正しくつかみたい。誤った評価が破綻を招くのである。

第四条 不退転の覚悟で取り組む
 なんとしてもこの困難を突破するのだという強い執念と勇気が、思いがけない大きな力を生み出す。不況を発展に変える原動力は烈々(れつれつ)たる気迫である。

第五条 旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る
 常時ともいえる不況期は、過去の経験則だけでものごとを考え行動してもうまくはいかない。これまで当然のこととしてきた慣習や商売の仕方を、徹底的に見直したい。

第六条 時には一服して待つ
 あせってはならない。無理や無茶をすれば、深みにはまるばかりである。無理をせず、力を養おうと考えて、ちょっと一服しよう。そう腹を据えれば、痛手も少なくなる。終わらない不況はないのである。

第七条 人材育成に力を注ぐ
 「苦労は買ってでもせよ」というが、不況とはその貴重な苦労が買わずとも目の前にあるときである。好況のときにはできない人材育成の絶好の機会としたい。

第八条 「責任は我にあり」の自覚を
 業績低下を不況のせいにしてはいないか。どんな場合でも、やり方いかんで発展の道はある。うまくいかないのは、自らのやり方に当を得ないところがあるからである。

第九条 打てば響く組織づくりを進める
 外部環境の変化に対する敏感な対応は、よい情報も悪い情報も社員からどんどん上がってくる、お互いの意思が縦横に通いあう風通しのよい組織で
あってこそ可能となる。

第十条 日頃からなすべきをなしておく
 不況時は特に、品質、価格、サービスが吟味される。その吟味に耐えられるように、日ごろからなすべきことをなしていくことが必要である。
(PHP研究所刊 松下幸之助 不況克服の心得十カ条 より)

ささやかな送別会

2009年02月04日 23時31分55秒 | その他
 今日、N先輩とF先輩の送別会に出てきました。
 両先輩とも華美な催しを好まれないということで、内々で行うことにしました。
 主役を入れてちょうど10人。
 送別会としては、決して大きくない。

 司会進行役は、私が買って出ました。
 冒頭から、両先輩を故人扱いにしてしまうほど、大変失礼な行いが続出。
 途中からは誰が主役かわからない始末。

 昔の話に花が咲き、笑いの渦。
 両先輩に感謝の心すら感じられない。

 記念品拒否、会費割り勘の徹底ぶり。
 そんな先輩に育てられた。

 今日集まったのは、心から両先輩を慕うもの。
 いつか、この先輩を追い越したいと目標にした先輩。
 振り返った時に、自分がその立場に立っているかというと自信がない。

 いま思えば本当にわがままな先輩でした。
 無茶を言う先輩でした。
 でも、それを形にしたとき心から褒めてくれる先輩でした。

 だからこそ、今の自分がある。
 感謝しています。
 これからの第二の人生、まだまだ元気でがんばってくださいよ。

「ゆとり」教育からの転換

2009年02月03日 23時31分04秒 | その他
 教育ジャーナル2009 3月号を読んでいて教育ジャーナリスト勝方信一氏(元 読売新聞編集委員)が寄稿していた「教育の課題」~第3期に試行錯誤を続ける教育界/格差社会のセーフティーネットとしての学校の役割り~を読んでいてそのとおりだと思った箇所があるので抜粋して紹介します。


 「ゆとり」教育には、さまざまな要素が混在していた。
教育界からは、詰め込み学習からの脱却、自ら学び考える力の育成への願い、経済界からは、グローバル競争に打ち勝つ創造的な人材育成への期待が示されていた。
学校での授業時間、学習内容が減る分だけ、子どもの自発的な学び、学校外での学習が重視された。
家庭、地域の責任が強調され、学校機能縮小論も主張された。
素朴な子ども中心主義と、競争と自己責任を柱とする新自由主義的な考え方が混然一体となっていた。
 理想は高かった。
だが、理想通りにはいかなかった。
時宜を失してもいた。
受験加熱時代は既に終わり、受験が学習のモチベーションにはなりにくくなっていた。
 貧困や忙しさなどで親に構ってもらえない子どもは、学習習慣や学習意欲をなくし、学力の二極分化が進行した。
経済面で、富裕層、中間層、貧困層のうち、中間層から貧困層へ流れる人が増え、富の二極分化が進行したのと同じだった。

 (中略)

 授業時間と学習内容増加の戦後当初の30年、その後の削減の30年、そして再び増加に転じたいま。
戦後教育の流れの変わりようは、社会状況、人々の意識の変化を如実に反映する。
新しい酒は新しい革袋に入れなくてはならない。
だが、教育行政は新しい時代に対応したロジックとスキルを確立できず、もがいている。
教育現場も、大分の教育採用汚職に象徴されるように、前の時代の負の遺産を清算し切れないでいる。
過渡期の試行錯誤が続いている。
 時代の変化を鋭敏にとらえなければならない。
いま、アメリカ発の金融危機を迎え、世界を席巻していた自由競争、自己責任、市場原理重視の新自由主義が見直されている。
自由競争、自己責任に委ねる「小さな政府」ではなく、雇用創出や社会保障の整備などを担う「大きな政府」が求められている。
 教育においても同じことが言える。
学校の機能を縮小し、家庭格差を学力格差に直結させてしまった「ゆとり」ではなく、格差拡大社会のなかで格差是正を図る役割が学校には求められている。
富の二極分化に対応するかのように学力二極分化が進むいま、学校は格差社会のセーフティーネットとしての役割が求められている。
そうでなくては、子どもに格差が再生産されてしまう。


 以上のような内容ですが、抜粋なので作者の本旨から逸脱しているかもしれません。(スミマセン)
 しかしながら、最近、以上のような内容をさまざまな機会を通じてお話させていただいております。

 放課後子ども教室を一生懸命取り組み始めるきっかけになったのは、上記のような考え方が私自身の根底にあったからです。
世の中の動きはますます早くなるでしょう。
だからといって教育は時間をかけるものの意識に立ち、世の中の動き無視し、世の中が求める人材を育てなくてもいいのでしょうか。
国が繁栄するためには、優秀な人材を輩出することであり、その人材が活躍すれば国民も恩恵を受けるはずです。
 社会教育の立場にいて、学校教育だけにその任を背負わせるのではなく、私たちもこのことをしっかりと受け止め、できるところから始めようと思います。


白衣を着ない病院 - 初台リハビリテーション病院

2009年02月02日 23時05分21秒 | その他
 講談社発刊の「セオリー」2009 VOL.1 を手にして見ていたら、その中の特別企画「最高の病院を求めて」の中に酒向正春先生の初台リハビリテーション病院の紹介記事が出ていました。

 酒向先生は愛媛県出身で、「健康医療福祉都市構想」の生みの親でもあります。
 私たちは、それがご縁で超多忙な酒向先生に無理を言って、松山で勉強会を開催しています。
私の仕事とはジャンルがまったく異なるのですが、その勉強会に参加していると先生の話の見識の広さや経済的な感覚等など、新しい発見やさまざまな学びがあります。

 さて、酒向先生のおられる初台リハビリテーション病院がどんな病院かについて、ご紹介しましょう。
同病院は、2000年に回復期リハビリテーション制度ができ、全国のモデルケースとなるべく誕生した総合リハビリテーションの専門病院であります。
この病院は、長嶋茂雄氏やオシム氏の社会復帰に大きく貢献したことでも知られています。
 そして、酒向先生はこの病院を引っ張るリーダーであります。

 この記事で知ったのですが、同病院では白衣を着たスタッフが一人もいないということです。
制服はカラーシャツにスラックスという軽快ないでたちです。(写真で観ると)
これは、リハビリをする人自身に「患者」という意識をなくしてもらうためだというのです。
なんというきめ細かい演出でしょう。
でも、なんでもないことですが本当に大切なことだと思うのです。

 なによりもスタッフの充実ぶりが凄い。
酒向先生をはじめとする12名の病棟医師、リハビリ専門ナース・ケアワーカー157名、理学療法士83名、作業療法士76名、言語聴覚療法士28名という破格な数のセラピスト陣など、総勢416名という「圧倒的マンパワー」を擁しています。
初めてこの話を聴いた時には、本当に経営が成り立つのかと思ったのですが、ユニークな経営ノウハウが十分採算の取れる病院経営へとつなげておられます。

 またこの強力なマンパワーによって、「朝から晩まで病院生活すべてがリハビリ」という発想で、リハビリルームでの訓練に留まらず、実生活の環境を持ちこみ行動すべてが訓練になるようにしておられます。
私も、スウェーデンでリハビリ訓練を見たことがあるのですが、退院後のことが大事だと言っていたのが思いおこされました。
このことを実践している病院が日本にあるというのは驚きです。

 酒向先生の中には、絶対治す、絶対に寝たきりにさせない、そして再発を予防するという強い信念がいつも話の中に出てきます。
私は、こんな酒向先生が大好きですし、なんとか愛媛県の人たちにこの環境が味わえるようにお手伝いできればと思っています。

研修旅行 二日目

2009年02月01日 23時23分48秒 | その他
 今日の視察は、「亀老山展望公園」からでした。

「今治の観光ページ」より
 標高307.8mの亀老山展望公園は、大島の南端に位置し、瀬戸内海国立公園に指定されています。
パノラマ展望台ブリッジからは、世界初三連吊橋「来島海峡大橋」と日本三大急潮のひとつ「来島海峡」の潮流、晴れた日には四国山脈の中に連なる西日本高峰「石鎚山」を眺める事ができます。
頂上付近の道路沿いにあるテラスは、来島海峡を撮り続けている写真家「安藤喜多夫」氏(全日本写真連盟理事)が吉海町に提案し実現した、来島海峡大橋の絶好の写真撮影ポイントです。
様々な顔を持つ来島海峡大橋を撮影に、多くのカメラマンが訪れています。

 確かに私もカメラのシャッターを何度も切りました。

 そして、吉海の「いきいき館」に移動し、その前から出ている遊覧船に乗りました。
この季節に遊覧船を乗るのはかなりの勇気がいるのですが、日頃の行いが良いせいでしょうか天気に恵まれ、波も穏やかでなかなかのものでした。
乗船時間40分は長すぎず短すぎず、ちょうどいい加減でした。

遊覧船から見た瀬戸大橋は見ごたえがあります。

 遊覧船を降りるとお昼でしたので、いきいき館の七輪の海鮮バーベキューを食しました。(その七輪)

 観光の季節としてはオフにもかかわらず観光バスも何台も入り、たちまち満杯になりました。
その中で、中国語を話す子どもたち(中学生か高校生)がいたので関係者の人にどういうルートで来たのですかと尋ねたら、大阪港から東予港に着いてこちらに来たということでした。
 なるほど、そういうルートもあるのかと感心したのですが、その後、道後に来るのか広島に行くのかで松山の観光人口はちがってくるなと考えさせられました。
 また、このバーベキューを食べながら、シンプルに食べさすこと、設備は拘らなくてもいいことなどなど、自分なりにたくさんのことを学んできました。

 そして、この秋から放映されるNHK超大河ドラマ「坂の上の雲」がスタートすれば観光客は増えるでしょうが、来年スタートする「坂本竜馬」で高知も観光客が増えるでしょうから、例えば、高知・松山・しまなみといった観光ルートの開発も大事だなとつくづく思ってしまいました。

研修旅行 一日目

2009年01月31日 23時09分24秒 | その他
 今日は、職場の研修旅行の一日目。
 場所は、しまなみ街道。
 目的は、坂の上の雲に関連し、広域観光の考え方について皆で考えようというもの。
 まず、大山祗神社に参りました。

 詳しい内容は、次のとおりです。(「今治の観光ページ」より)

 全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割が大三島に保存展示された日本一の武具館として全国に知られていますが、武具の他にも多数の文化財があります。
 室町時代に再建された御本殿は流造を代表する建物として、切妻造の拝殿とともに重要文化財に指定されています。
十七神社御鎮座の御神像は平安期の木彫で重要文化財に指定され、斉明天皇御奉納の禽獣葡萄鏡は国宝に定められ他に百余面の和鏡は女性の参拝祈願を伝えています。
三蹟の一人藤原佐理は乗船の船板に「日本総鎮守大山積大明神」と書き著し航海の安全を祈りましたが、これが重要文化財の神号扁額です。
文安2年から寛文11年(1761)にいたる227年の間に詠まれた281巻の法楽連歌は近世伊予に開花した文化の基をなすと云われます。

コミュニティ・シネマ

2009年01月30日 21時41分26秒 | その他
 今日の午後から地域ICT利活用モデル構築事業の中の動画コンテンツ制作のための研修がありました。
今日は最終日で3日目。

 今まで撮りためてきた動画を昨日と今日とで編集の仕方を学び、実際に編集作業をするという内容でした。
そして、最後にそれぞれが制作した動画コンテンツの発表を行いました。

 すべて見せてもらったのですが、初めてにしてはよくできていたと思います。
 なによりも、作品の中に住民の笑い声や笑顔が上手にちりばめられていて、こんな感じと思ってしまいました。
 内心「いいじゃん!!」と呟いてしまいました。
 作品が終わるごとに自然に拍手がおこりました。

 そして、私のイメージの中では、地域の人たちが撮りためた動画や写真を動画コンテンツに制作しなおすための講座や、地域の人たちがそれを競ったり楽しんだりする試写会を開催したらどうだろうと思ってしまいました。

 まさしく、「コミュニティ・シネマ」かなあ・・・

おもろいアイデア

2009年01月30日 04時51分25秒 | その他
 昨日、わが愛車・流星号(ただのスクーター)のオイル交換にINGの原田さん(http://www.geocities.jp/ing_touring/index.htm)が来てくれました。
ありがたい話であります。
流星号は、原田さんの人柄にほれ込み、スクーターを買う時に相談させていただきました。
スクーターはどこでも買えるのですが、実は買ってからが大事なのです。
というのも、自動二輪は車とちがってメンテナンスに気を抜くとそれだけ事故になる確率が高いからです。

 そして、わが流星号は購入して3年目。
いまだに、三ヵ月ごとのオイル交換に原田さんは来てくれています。

 ある時は、電話で「『シャリシャリ』と音がするんですが」と質問すると、「ああ、前輪のブレーキ・パッドでしょう。○ミリになっていましたから、もう少しもつと思ったのですが、もう変えます?」
 本当に驚きであります。
 音の話をしただけで、私の流星号が手に取るようにわかるのか・・・

 原田ファンが増えるのは当たり前。
 お客さんが魅了されるのは当たり前。


 その原田さんが、乗ってきていた軽トラックの荷台に積んであった自転車を見せてくれました。
それが、写真の自転車です。
 「なに、これ?」と思われた方もおられるでしょう。
 わかりづらいかもしれませんが、自転車のスポークに簡単に取り付けられる広告ボードなのです。

 すごいのは、これを原田さんが発明したということです。
 原田さんの説明だと、「簡単に取り付けられ、なおかつ丈夫です。」ということでした。
感想は、「おもろい」です。

 この発明には、何か商業ベースにのりやすい何かがあるような気がします。(根拠はありませんが)
おそらく、さまざまな人たちとチームを組めばおもしろい展開になると思います。
そのチームの顔ぶれを誰にするかがポイントでしょう。

 でも、単に日常の仕事だけをこなしていたらこのような発想は出てこなかったことでしょう。
 そして、そのアイデアを形にしてしまう力。
 下町の自転車屋エジソンだからこそできるのだと思います。
 本当にユニークで楽しい原田さんのお手伝いができれば幸いです。 

親  心

2009年01月29日 00時49分18秒 | その他
 あるベンチャー企業の社長と話をしていて、「本当のやさしさ」の話になりました。
この企業はユニークなビジネスを展開しているのですが、一見関係ないような企業とのコラボレーションも進んでいるようです。

 そして、一見関係ないような業態の社長と知り合い、意気投合した結果、その会社の出先として事務所の中に机をおかせてあげることになったそうです。
また、しばらく手が足りないということで、そちらのビジネスも手伝ったのだそうですが、そのユニークなビジネス手法と行動力に圧倒させられたというのです。
そして何よりも、収益確保の読みの深さに学ぶところが多かったとも言います。

 ある時、先方の社長から投資の申し出があったそうです。
ベンチャー企業の社長は、大層喜んだそうです。
どのくらい投資してくれるのか、かなり期待しました。
すると、
「ウチは金がないけん、商品を現物で上げましょう。それを好きに使ってくれたらいいですから。創業祝いですわ。ワハハハ。」
 ベンチャー企業の社長は、「はあ!?」と心の中でつぶやきました。
商品を現金化するには自分で営業する必要があります。
また、その営業は簡単なものではありません。
営業ができなければ、せっかくいただいたその商品もただのゴミくずになってしまいます。
正直、意気消沈したそうです。

 でも、営業がうまくいき現金収入が入る可能性が出てきたそうです。
そして、そこで初めて気づいたというのです。
「仮に、その商品が100万円としますよね。その金額を投資していただいても、ひょっとしたらすぐになくなっていたかもしれません。でも、今はそれ以上の価値を生むことが見えてきました。」

 「そうですか。とてもやさしい社長さんにめぐり合えましたね。少し心配していたのですが、大企業の社員からベンチャーを立ち上げますと、どうしても現場を大事にしなかったり、営業をないがしろにしますよね。大企業の場合、役割分担がしっかりしていますから、そういった部分を他の人がやってくれますよね。だから、自らが動かない場合が多々あります。でも、ビジネスチャンスは常に現場にあるということをその社長さんは教えたかったんでしょうね。」

「そうなんです。何で今、現物なのかと思ったのですが、これによりさまざまなことが見えてくるようになりました。商売は、地を這うような苦しみを味わったものにしかうまくいかないということを教えていただきました。」

 この話を聴きながら、二人の社長はすごいと。

 そして、「親心」を感じたお話でした。

 

北 修爾さんからの若者たちへのメッセージ

2009年01月28日 00時03分09秒 | その他
 昨日の日経新聞を見ていて広告欄に「今、若者たちへ ~次世代に贈るメッセージ~」に阪和興業の北 修爾(きた しゅうじ)社長の話が載っていたので紹介します。

 北社長は、通産省(現:経産省)の官僚出身というユニークなキャリアを持っておられます。
 そして、通産省・生活産業局紙業課の課長補佐時代、1973年の第一次石油ショック時に起きたトイレットペーパーパニックに直面します。
 その時に、当時の首相や通産大臣に「早期に収拾します。」と大見得をきり、事態の沈静化に東奔西走したというのです。
このときの心情、えらそうですが少しわかります。

 具体的手法としては、大手量販店の中核店舗にトイレットペーパー山積みしたというのです。
そういえば、高校生でしたが何となくテレビでその光景をみたような気がします。
 大衆という観点から、その心理状態や行動をどう読み解くかは、ときに心理学的分析を必要とします。
北社長は、1927年の昭和金融恐慌時に、銀行の店頭に日銀券をうず高く積み上げて取り付け騒ぎを収拾した例がヒントになったといいます。

 そして、北社長は1993年6月に同社常務として迎えられるのですが、バブル崩壊のあおりを受け、同社が窮地に追いやられたため半年で社長になったそうです。
そこからが苦労の連続だったと思われます。
 北社長は続けます。
この窮地を救ってくれ、そして業績を拡大できたのは、役職員の努力に加え、「意気」に感じてくれた取引先や取引銀行などの温かい支援があったからだと感謝していると。

 そして、北社長は平素から「3つのワーク」を大切にしているということです。
 それは、
  ①フットワーク(現場主義)
  ②チームワーク(部門間連携)
  ③ネットワーク(社内外のネットワークを駆使して、骨身を惜しまず自ら動くこと)
 さらに、企業人であると同時に社会人であるとの自覚をもつこと。
 これは、企業は世の中の役に立つ仕事をすることで存在価値が認められ、生かされると考えるからだそうです。

 そして、若者に望むこととして、自分なりの世界観や社会観を持ち、自分は何をしたいのか、何ができるのかをよく考え、周りの人たちにも相談しながら、まず自分から動くことの大切さを説いています。
 さらに、たとえ逆境におかれても、信念をもって努力を続けていけば、助け舟を出してくれる人が現れ、必ず道は開けるとも。

子どもたちの応援団長

2009年01月27日 22時17分53秒 | その他
 今日、うちの職場にいる立石先生の発明を見せていただいた。
 写真の太陽パネルがついたクリーン・カーです。

 光エネルギーを蓄電池に当たるコンデンサーに貯め、そのエネルギーを動力に変えて車を動かすという単純なしくみですが、その理論がわかりやすく応用されたものであります。

 一目見て、「すごい!!」と思いました。

 「先生、これ特許申請しているんですか?」
 「はい、まもなく認定されると思います。」

 「すごい発明ですね。これみたら子どもたちの目がきっと輝きますよね。」
 「そう思います。」
 「この車で、理科が好きになり、科学者を目指したいという子が出てくれるとうれしいですね。」
 「そうなんですよ。」
 「未来がわかる発明、先生、もっといろいろと考えてくださいよ。」

 子どもたちの未来は、子どもたちが創る。
 そのためには、子どもたちがさまざまな夢をもち、努力することが大事。
 そして、その夢に向かってがんばる子どもたちを応援するのが、私たち大人。

 立石先生は、去年3月に退職されても、子どもたちの応援団長。