近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良県河合町の乙女山古墳とは!

2011年01月24日 | 歴史
乙女山古墳は、「馬見丘陵公園北エリア」の「大芝生広場」から南側の「中央エリア」に入ると直ぐ所在する。

我が国最大級の帆立貝式古墳として有名で、全長約130m・後円部直径約104m・後円部の高さ14.7m・前方部長さ約30m・同幅約52m・同高さ3.5mを測る国指定史跡。

帆立貝式には前方後円墳の前方部の短小な形式と、円墳の前面に方形の造出部を付すものとがあるが、当墳は後者の代表的なもので、大円墳の前面に祭壇を設けたような極端に低くて短い前方部が東南に造付けられている。

乙女山古墳とは、いかにもロマンチックな名前だが、歴史的には当地で合戦の最中、少女が犠牲になったことからつけられた名称ということなので、悲しい歴史が隠されていたらしい。

叉乙女山の名称は、元々は“お留山”と呼ばれ、巣山古墳などと同様に、樹木や鳥獣の保護のため、立入禁止にされたことによるものとも伝承されている。













写真は上から、森林に覆われた乙女山古墳遠景、竹薮墳丘の様子、本古墳入口案内板と墳丘、後円部墳丘の様子、下池に浮かんで見える乙女山古墳全景及び空撮された帆立貝式古墳の墳形。

墳丘の周囲には馬蹄形の濠跡や水田・溜池などの周濠が残り、南側に外堤を築いている。

墳上に埴輪片や葺石が散乱していたが、外部施設の詳細・内部主体・副葬品なども明らかでない。

滑石製の勾玉や石製模造品の出土が知られ、地元の人の話から粘土槨のような埋葬施設があったと考えられている。



写真は、乙女山古墳から出土した家形埴輪。

昭和61年、後円部南西側の「造り出し部」から円筒埴輪列が見つかり、その内側から家形埴輪や楕円筒埴輪が出土したと云う。

円筒埴輪の一つには、土師器・小型丸底壺などの土製品が納められ、出土した埴輪から、近隣の「池上古墳」と同様、5世紀前半に築かれたものと推定される。

この古墳の北方広陵町には全長約85mの西面する帆立貝式の池上古墳があり、また巣山古墳のすぐ西側の三吉2号墳も帆立貝式古墳とみられ、佐味田狐古墳・雨山古墳と合わせて、県下でも数少ない、しかも大型のものが5基も存在し、箸墓周辺の古墳群とともに、この特殊な形式の古墳の集中する地域として注目される。




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