近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良県河合町の佐味田ナガレ山古墳とは!そのⅠ

2011年01月26日 | 歴史
馬見古墳群は、大和の三大古墳群の一つに挙げられている、奈良盆地西部の葛下川(かつげかわ)の間、河合町から大和高田市にかけて横たわる、南北7km・東西3kmの範囲に平地との比高差30mほどの、なだらかな洪積層台地の丘陵の「馬見丘陵」上にある。

この馬見丘陵の東側斜面を中心に大型の古墳が多く分布しており、一般的に「馬見古墳群」と称されている。この古墳群は大きく三つのグループに分けられている。

1960年代、丘陵近くの300㌶が日本住宅公団によりニュータウンとして開発され、奈良盆地中最も変貌の激しい地域となり、開発地域内の古墳について破壊の恐れがあり、地元の保存会が中心となり、古墳については緑地公園として、数多く保存することとなったが、開発はすざましい勢いで進んだ。

中でも、丘陵中央部にある全長約105mの前方後円墳・佐味田ナガレ山古墳が、1975年には土取により4分の1、前方部の半分近くが削り取られ、墳丘は剥き出しになり無残な姿であったが、橿原考古学研究所・河合町郷土を学ぶ会・広陵町古文会会員などの保存運動により、佐味田ナガレ山古墳を史跡として保存することとなり、1976年12月、国の史跡に指定された。

葛城地域には、古墳時代前期中頃から有力な古墳の造営が始まり、前期中葉から古墳時代中期には、墳丘長200mを超える規模の古墳が造営されている。

佐味田ナガレ山古墳は、「馬見丘陵公園中央エリア」の南西にあって、最も人気が高い、南向き2段築造の前方後円墳。





写真は、前方後円墳の佐味田ナガレ山古墳全景と本古墳登口石碑。

本古墳群の位置・概要は、自然地形を最大限に利用し築かれた大型の前方後円墳で、古から丘陵頂部に優美な姿を横たえる古墳であったと云う。

自然の地形を最大限に利用して造られた全長約105m・後円部直径64m・同高8.75m・前方部幅70m・同高6mほどで、5世紀前半頃の築造と推定されている。

全長は105mほどだが、見かけ状の前方部下段を加えると125mをこえる規模になるらしい。東側くびれ部には埴輪列により墳丘鞍部へ登る道が造られていた。

1971年に奈良県の遺跡分布調査によって、初めて100m級の前方部を南に向けた前方後円墳であることが確認されたが、後円部は既に盗掘されていたらしく、1975年には上砂採取により墳丘の一部が崩壊された。

その後、この一帯が馬見丘陵公園の古墳群として取り込まれこととなり、1988年から復元整備のための発掘調査が行われ、調査の結果、本古墳墳丘は丘陵の自然の岩盤を整形して造られていたことが判明。









写真は上から、佐味田ナガレ山古墳後円部近景、本古墳前方部から見上げる後円部と粘土槨の位置、前方部遠景及び後円部から望む前方部の様子。

後円部は3段、前方部は2段の築成であるが、前方部の前面に掘り込みが施され、一見すると3段に見える、見せかけの築成となっている。



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