近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

奈良御所市の中西遺跡、古墳時代前期最大級の集落 祭祀用か!そのⅢ

2015年11月01日 | 歴史
御所市中西遺跡要説の最終回として、2015年の発掘成果である、古墳時代前期の様子を更に掘り下げて紹介する。











写真は上から、南北居住区が区画された溝跡、竪穴建物跡や土坑光景、放置された状態で見つかった多量の土器片、壷などの復元土器及び土器が見つかった井戸。

井戸からは高杯・瓶などの土器がまとまって出土しており、井戸の祭祀で使用したと見られる。

この他にも写真の通り、祭祀で使った土器を投棄したと見られる土坑・溝が確認されている。



写真は、中西遺跡から出土した鏡形石製品。

注目される遺物には、流路から出土した鏡形の石製模造品があり、古墳時代前期後半頃のものと見られ、石製模造品初期の例で、直径6.1cm・高さ1.1cm・重さ97.3g。県内では4例目らしい。石製模造品は集落内の祭祀に伴う遺物と考えられる。

秋津・中西両遺跡の建物群は一体のものとして計画的に配置され、当時最大規模だった可能性がある。ヤマト政権の実態が不明な「空白の4世紀」の実情に迫る発見だ。

秋津遺跡では2009年度以降、東西約150m・南北約100mの範囲で、現代の伊勢神宮などにみられる「独立棟持柱(むなもちばしら)建物」と呼ばれる建物跡やそれらを板塀で囲んだ「方形区画施設」が出土。

祭殿のような祭祀空間のあった可能性が指摘されている。





写真は、御所市秋津遺跡現場全景と板塀で囲まれた掘立柱建物跡。

秋津遺跡で見つかった建物・板塀跡は、奈良県桜井市の纒向遺跡で確認された、東西方向に直線的な建物配置をもつ居館遺構と同じく、計画的に配置されたと見られる。

纒向遺跡の居館遺構の想定範囲は、南北100m・東西150mとされているが、これは秋津遺跡の方形区画施設の想定範囲である南北100m・東西150mとほぼ同一で、偶然とは考えにくい。

今回、秋津遺跡南西の中西遺跡で、一辺3~6.5mの竪穴建物跡計26棟や、人工的に掘られた幅30cm~1m程度の複数の区画溝が出土。

竪穴建物群は秋津遺跡の建物群と方位をほぼ揃え、計画的に配置された構造であることも確認された。

前述の通り隣接する秋津遺跡では、祭殿とされる大型建物跡が発見されており、両遺跡で南北約400m・東西200m以上に及ぶ集落と判明。

古墳時代前期としては最大級と云われ、同研究所は「祭祀的な性格の強い集落で、利用方法が異なる土地を明確に分け、計画的に建物が配置されており、全国でも非常に珍しい」と評価している。

北側の秋津遺跡は、祭祀地域と考えられ、南側の中西遺跡は居住地域とみられる。

秋津・中西遺跡の古墳時代前期集落に関する発掘調査は、今回の第26次で一段落すると云われ、今後は発掘遺物の整理作業に伴い、より詳細な当時の様相が明らかになることを期待したい。











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