近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

東近江市の日本最古縄文草創期・相谷熊原遺跡とは!そのⅡ

2010年06月10日 | 歴史
日本最最古の縄文草創期の竪穴住居跡が出土した、滋賀県東近江市の相谷熊原遺跡の現地説明会の様子を、引続き報告します。

今回出土した竪穴建物の大きさ・形状・深さなどは構造が明確であり、確立していることから、この時代に高い文化レベルを有していたことが分かる。

作るのに相当な労力がかかる上、多くの土器や石器も出土しており、一定時期でも定住したことが考えられる。

衣食住環境が整っていたとも考えられ、この時期既に定住生活が始まっていたかもしれない。

氷河期が終わり暖かくなりつつあった時代だけに、気候の変化からシカ・イノシシなどの中形の哺乳類が食糧事情を変えさせたことも定住生活を可能にしたとも考えられる。




写真は、相谷熊原遺跡から出土した、完全な土偶1体及び三重県飯南町粥見井尻遺跡から出土した、これまでの日本最古の土偶。

国内最古級の相谷土偶が、完全な形で出土したと発表した。縄文時代草創期の住居群跡は全国で数例、土偶では三重県の粥見井尻遺跡で2点しか発見されていない。
粥見井尻土偶の写真は、1999年1月当遺跡の現地説明会でのもの。

従って今回の発見は、縄文草創期の土偶としては、2遺跡・3例目となる。

写真のように、相谷土偶の方が、粥見井尻土偶よりも芸術的な優美さに秀でている。造形的に豊満な胴体像を表現している。

相谷土偶は、鈴鹿山脈を挟んで相対しているとはいえ、粥見井尻土偶との共通性は見出せない。

今回の発見は、移動生活から定住が始まった時期の暮らしや文化がうかがえる、貴重な発見。

発見された土偶は、高さ3.1cm、最大幅2.7cm、重さ14.6g。

女性の胴体のみを、胸や腰のくびれも優美に表現し、底は平らで自立するのが特徴。上部に直径3mm、深さ2cmの穴があり、棒で別の頭部をつないだなどの可能性もあると云う。

ところで、日本全国の出土土偶の総数は15,000体ほどあるらしい。出土分布は東日本に偏っており、西日本での出土はまれ。

国宝指定の土偶は、長野県茅野市の縄文中期・縄文ビーナス、青森県八戸市の晩期・合掌土偶及び函館市の縄文後期・中空土偶の3点。以下紹介すると、







写真は上から、茅野市棚畑遺跡出土のビーナス土偶、八戸市風張遺跡出土の合掌土偶及び函館市著保内野遺跡出土の中空土偶。

これら3点の国宝土偶は、縄文時代も下がって中期以降で、且つ発見された遺跡は関東以東で、特に芸術的な造形美という点でほぼ完成されたと云える。

これまで現存する日本最古の土偶は、従来三重県の粥見井尻土偶2点に、今回の相谷土偶を加えて、縄文時代草創期の土偶が3点となった。

日本最古の土偶が、土偶のメッカである東日本ではなく、鈴鹿山脈を挟んで発見されたのは、氷河期が終わったばかりの当時の地形・食糧事情が西日本優位に働いたからに他ならないと思われる。

土偶に託された思想・祈りなどに諸説ある中、母性愛・繁栄などの象徴として、自然発生的に造形化されたものと思われ、定住生活が始まり、集落が形成され始めた西日本に先ず誕生したと云える。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿