近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

大阪市阿倍野区の聖天山古墳とは!

2010年06月12日 | 歴史
聖天山古墳は、阿倍野区松虫通の聖天山公園内の北東部に所在する、現在は径13m・高さ3mほどの6世紀の小古墳。







写真は上から、聖天山公園内の聖天山古墳全景、本古墳墳丘とクスノキ及び本古墳石垣の近景。

写真のように、外周を高さ3m程の石垣で保護され、中に大きなクスノキが1本立っているが、「聖天山古墳」という標識は無く、これが古墳だとは分からない。

元は大きな古墳だったらしいが、昭和26年に、土を採って小さくするうちに石室が発見され、埴輪・土器・直刀・馬具等の副葬品が出土したものの、現在は行方不明になっていると云う。



写真は、正圓寺の珍しいお寺の鳥居。

聖天山公園内にある、正圓寺は939年に僧・光道の創建で、“天下茶屋の聖天さん”で親しまれているが、この丘陵自体も、西向きの前方後円墳の可能性があると云う。また、天狗塚・柘榴(ザクロ)塚とよばれる小古墳があったらしい。

当時の“大聖喜天”石表の台石は、柘榴塚から出土した石室の一部と見られ、かつてこの近くに隠棲した兼行法師が試用した藁打ち石との伝えがあり、その碑が立っている。

この辺りの古墳群を「阿倍野古墳群」と呼んでいるらしい。

正圓寺の境内には、“聖天山山頂”の標識もあり、聖天山(標高14m)は、天保山(標高4.5m)・御勝山(標高14m)・帝塚山(標高20m)・茶臼山(標高26m)と共に大阪5低山の一つらしい。

「聖天山」は阿倍野区の西端、上町台地の南端に位置する、小高い丘だが、山号ではなく標高14mの低山の名前で、山頂は正圓寺境内にある。

本古墳は大きく削られており、以前撮影された写真を見ると柵で囲われていたが、現在ではそれもなく十分な状態で保存されているとは言い難い。

正圓寺は1690年頃に、この地に移築再興された寺院で、それよりも遡る南北朝の頃、この付近には吉田兼好の庵があったと伝わっている。

聖天山の丘は、フェンスや柵などで寸断されており、一部がテニスコートや駐車場やマンションのモデルハウスになるなど、無秩序状態となっており、見る影もない。

当丘の西部にある寺院だけが、辛うじて静謐を保っている。



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