近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

東近江市の日本最古の縄文時代草創期遺跡とは!そのⅠ

2010年06月08日 | 歴史
先般6月6日に滋賀県東近江市相谷町で、全国的なメディア網で取上げられた、日本最古の縄文時代草創期の遺跡、相谷熊原遺跡の現地説明会が行なわれましたので、その模様を急遽ここに2回に分けて報告します。

東近江市の相谷熊原遺跡は、滋賀県東部の平野を流れる愛知川と、その支流である渋川の合流点にある。ここは愛知川上流の先端部に当たり、山間部と平野部が接する場所で、遺跡の背後には鈴鹿山脈へと繋がる丘陵・山地が広がっており、眼下には琵琶湖と伊勢湾を結ぶ八風街道が通っている。

相谷熊原遺跡は、平成21年から水田の区画を作り替える圃場整備事業のため、試掘調査を実施した結果、ほぼ全域から縄文時代から中世にかけての遺跡・遺構が確認された。





写真は、東近江市の相谷熊原遺跡現場で、背景の鈴鹿山脈につながる山間地に愛知川が見える。それと写真右側は相谷熊原遺跡がある圃場整備事業の光景。







写真は上から、平成22年6月6日の相谷熊原遺跡現地説明会の様子と本遺跡から出土した土石流の残痕。

平野部を望む山間地は標高200m余りにあり、愛知川が氾濫を繰返した歴史を思い知らされる。









写真は上から、相谷熊原遺跡出土の竪穴住居跡第2棟と第3棟、計4棟が南西から北東に一直戦に並ぶ竪穴住居跡群及び土偶が見つかった竪穴住居跡第1棟。

滋賀県文化財保護協会は、平成22年5月29日、同県東近江市永源寺相谷町の相谷熊原遺跡で、縄文時代草創期(約1万3000年前)の竪穴住居跡4棟が見つかった。

本遺跡は、三重県境の鈴鹿山脈から流れる愛知川南の河岸段丘にあり、山間地と平野部が接する場所にある。

竪穴住居群は、緩い斜面約100mの間に5棟が連なって確認された。

竪穴建物群は、緩傾斜の尾根が愛知川に向かって延びている、西側谷斜面に沿って造られている。

更に既に埋め戻されていたが、土偶が出土した竪穴住居跡第1棟は、北西の別の場所で見つかっており、合計5棟の縄文時代草創期の竪穴住居跡が検出された。

日本最古級の竪穴住居跡は全国的にも数例で、しかも草創期の建物跡がこれまでの想像を遥かに超える規模で、径約8.0mのいびつな円形で、深さは約0.6~1.0mを測る。





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