
写真は、モン・サン・ミッシェルの尖塔にたつ大天使ミカエル像の、公式リプリカント・トルソです。
初めて、彼の地を訪ねた折に、私の魂の護りにと、いただいてきました。
正しきことを護るために、かざされた刃は、人の魂を切り裂くことはありません。(微笑)
人が生き合う中で、国境を越える掟の一つが、『自分が発した言葉は取り消せない』と知り、言葉を大切にすること、と私は思っています。
話す言葉が、その人の想い、生き様を語るのです。
言葉は、命をもち、単独で力をもつ。一度、発した言葉は、生きるのです。
故に、言語をもつ国には『言霊』に類する言葉があるのです。宗教を超えた普遍概念と言えるのです。
医療福祉、教育の場では、言葉が、人を活かしも殺しもするのを、体験します。
実際の日常でも、傷つき怒り、逝ってしまう知らせを、私たちは見聞きしています。
タレントだから、政治家だから、免罪符になったり責められるのでは、ないと思います。
全ての人が、自分を律することだと、思うのです。
公的立場、私的立場は、関係なく。年齢も、性別も、国籍も関係なく。人の社会で暮らすための、掟だと思うのです。
自分の発する言葉は、取り消せない。冗談だから、仲間うちの戯れ言だから、は通じない。家庭であっても、同じです。
私達は、異なる者の集団として、お互いを尊重し合って、そして、自分も尊重されて、共に、生きていくのです。
綺麗事じゃなくて、日々の平和憲法です(ニッコリ)。
2021/02/11 過労死予備群 謹書