小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

次の車は見つかったけれど

2011-11-23 | つぶやき

 私の車は相変わらず音をたてて走る。修理パーツの取り寄せを依頼したスバルのディーラーさんからは、2週間以上過ぎた頃、「欠品しているパーツがあり、修理にかかれなかったけれど、まもなくその部品も調達できるものと思う」と連絡があった。

 欠品の理由は「メーカーで製造中なので」というような話しだったのだけど、その後、再び電話があって「いつ調達できるか、明確に言えない」というのだった。「ええ~?!そんなあ~っ!」と心の中で叫びました。
 
 音がなる車は「このまま走っていたら、いつ壊れるか分からない」などと告げられていたから、日常ほとんど使わずに、犬たちの散歩も近所を歩かせるだけで我慢させてきたけれど、いつ修理できるかどうか、分からないまま待ち続けるなんて、気短な私には難しいことだ。

 欠品パーツを待ち続け、仮に修理が完了したとしても、新品パーツの力についていけなくなったほかの中古パーツたちがイカレてしまう可能性もある。で、修理に出しても、今度はそちらのパーツがまたまた欠品などということになれば、時間も費用もかさむだけである。

 結局、ディーラーさんへの修理依頼はキャンセルした。修理屋のおじさんに相談しに行くと、出入りの中古車業者に聞いてあげるという。

 待っていたら翌日電話があり、廃車にする予定のホンダ・シビックが手に入るという朗報が! 平成9年(だったと思う)が初年度登録の車で、走行距離8万キロ。
 私が車に求める最低条件は、5ドアで後部座席がフラットになり、犬たちを悠々車載できることや運転席で後部ウィンドウの開閉ができることなのだけど、あとは取り立てて考えていなかった。あっ、もちろん「普通に走って、値段は安く」は必須条件ですけど。

 おじさんオススメのシビックはその条件に合っているのだけど、ただ年明けじゃないと回って来ないという。「それまで、今の車を騙し騙し、乗っていてよ。近所なら、まだ大丈夫だと思うから。万が一止まっちゃったら、電話してくれれば、すぐに駆けつけるよ。長距離でどこかに出かけるときには台車を出すから」とまでいう。

 そこまで言ってくれるなら、とお願いすることにした。
 けれど、大事なことを忘れていた。シビックの何の車種かも確かめず、正確に値段も聞かずに家に帰って来たのでした。

 しかしながら、「最高でもこれしか出せません」という私のわびしい懐事情を知っているから、高くてもディーラーさんが出した修理見積にプラス数万くらいで収めてもらえると思う。修理屋さんの店名に「ホンダ」が付いているくらいなので、ホンダの車ならきっとパーツも手に入れやすいのかもしれないし。

 それにしても「騙し騙し」と言われたって、その具合が分からんよ。果たしてレガシーは騙されてくれるかしら。
 と思いつつ、クリのワクチン接種の時期だったので、レガシーに「ちょっと騙されてね」と言いながら獣医さんに通い、今朝も「またちょっと騙されてね」と言いながら、河川敷に行ったのであった。

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久々に河川敷へ

2011-11-23 | 犬&猫との暮らし

 久しぶりにブナとクリが走っている姿を見た。河川敷に散歩に来たことが嬉しかったに違いない。先をゆく私に追い付こうと、ブナはぴょんぴょん跳ねるように走り寄り、クリも心許なげではあったけれど、私を見上げ見上げしながら、小走りで着いてきた。

 オフリードで土手道を歩かせるのは25日ぶりだろうか。
 ああ、まだまだ大丈夫かもっ!と思った。ブナもクリもだいぶ足腰が弱り、ソファーやベッドに上るにも、よっこらせっと「よじ上る」状態になっている。

 でも今朝は、老犬なりの走り方ではあったけれど、気持ちよさそうに走っていた。そんな犬たちを眺めながら、幸せだな~と思った。まだ修理できない音の鳴る車を「騙し騙し」動かして河川敷にやってきて、よかったなあと思った。

 ささやかなことだけど、老いた犬たちが嬉しそうに小走りしたり、川風に吹かれたり、遠くに霞む山並みを見たり、雲がいっぱいに広がる空を見上げたり、ミミズを踏みそうになったり、犬たちの被毛についた草の実を取ってやったり、何事もなく朝を迎えて、こうして自然の中で呼吸する気持ちよさを味わえることに、心から幸せを感じた。

 河川敷に来るための車も、たとえばキーレスエントリーだとか、最新のオーディオとか、そんな便利なものは要らなくて、犬たちを乗せて走れればいいのだ。

 質素でもいいから、この小さな幸せが続くといい。そう思ったら、被災地の人達や原発事故によって日常をもぎ取られた人達の哀しみがどんなに深いか、改めて思い知らされ、小さな橋の上で犬たちとたたずみながら、祈らずにはいられない気持ちになった。

 提言型仕分け作業なんかを披露するパフォーマンスなんて、私たちを幸せにはしてくれないさ! 

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