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Unknown (ダル)
2012-11-16 15:41:27
他宗教からは「あれは哲学や」と言われる仏教…そうなんですか?
3・11の時大阪のキリスト教団体の皆さまのあまりに献身的な活動に驚き感動しました。どこからあの精神の源はなにか、この年になって初めて聖書を手にとりました。艱難辛苦の末一応読み終えたけれど、そして彼らの集会にも参加、神様のお話も聞いた…。しかし60年のお釈迦さまへの信頼は結局揺るがなかった。
仏教は人間の煩悩をいかにかわしながら、そしていかに生きるべきか、を教えてくれるんだなぁと、哲学的だなと思った。
 
 
 
考える宗教 (監督@とりがら管理人)
2012-11-16 23:30:14
ダルさん、こんにちわ。
「仏教は宗教ではなくて哲学だ」とは題名は忘れてしまいましたが有る新書にかかれていた言葉です。
確かに仏教は他のあらゆる宗教と異なり「神」の存在を規定せず、「神が定めたルール」も存在しません。
お釈迦様を神と当てはめる人もいますが、実際のところ何かを信じるというよりも、お釈迦様の悟った考えや言葉を参考に自分で考えることを促すから宗教ではなく哲学と呼ばれるのだと思います。

私自身、仏教に興味を持ったのはタイやミャンマーを旅するようになったからで、とりわけミャンマーのお寺でご住職から簡単な講話を聞いたたことが少なからずショックでした。
お坊さんの役目というのは人生に迷っている人や、困難に直面している人に対して「答え」を与えることでも「お釈迦様の考えを正解として伝えること」でもなくて、人々が自分自身で考え、納得のいく答えを導き出す手助けをすること、というのにも新鮮な驚きを覚えました。
また仏教は不変なものを否定しますね。
当たり前ですが世界に変わらないものなど絶対なく、どんなものにでも必ず終わり(死や破壊)が存在します。
地球にも終わりがあり、宇宙にも終わりがあります。
従って全知全能な存在がもしあったとしても、必ず終わりがあるので全治全能ではないわけです。

人の一生には必ず、死、病、老、生の4つの苦があるという考えもなっとくできます。
死、病、老が苦であるというのは容易に理解できますが、生きることも苦であるというのは、いかにも仏教的であると思います。

実は死を考えることで人は優しくなれるし、生きることを頑張るのだ、ということもこの時気づいたんです。
日本人が本来、他人に優しかった、そして今も基本的に優しいのは多分にこういう考え方を長年にわたって教え伝えられている一種にDNAなのかも。

何か悪いことをしたから神様が天罰を与えるとか、いいことをしたからお釈迦様が褒美をくれる、というのは仏教的ではないんですね。
考えること。
それが仏教であるんだな、と思っています。

ながいフォローになってしまいました。
 
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