<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



久々に文庫を一気読みした。
その一冊とはノンフィクション「しんがり」(講談社刊)。
山一證券が破綻して、その原因を追求するために結成された最後の社員12人の物語だ。

山一證券の破綻といえば、どうしても破綻廃業を発表する記者会見で社長の野澤氏が号泣したのを思い出す。
「社員は悪くありませんから」
当時、社会はバブルが弾けた最悪のころ。
銀行は潰れるは証券会社が潰れるはで、従来の常識が通じない事態が次々に発生。
中小メーカーに勤める私としては会社が潰れないだけでも神様仏様に感謝しなければならないと思っていた時代だ。

そんな「潰れるはずはない」と思っていた会社が次々と潰れたのは、何も理由が無いわけではないだろう。
きっと大きな理由があるに違いない。
多分、きっとあれかな、と思っていたのだが、なかなか確認することができなかった。
今回この「しんがり」を読んで組織の脆弱さと恐ろしさをまざまざと知ることができた。
また恐ろしさだけではなく、人の素晴らしさも多く見ることができた。
それがこの本を一気に読んでしまった原因かもしれない。

山一證券の破綻の原因は取りも直さず「意見が言えない環境」の一言に尽きるのではないだろうか。
会社の絶対的権力を握る人間に意見を言えない環境は組織を破滅に導き災害をもたらす。
巨額の帳簿外の債務を抱え、それを知りながら歴代の経営者は監督官庁にも押し黙り、その監督官庁でさえ薄々知っていたにも関わらずパンドラの箱としてタッチしてこなかった。
そういう自社の環境と外部の環境が山一證券を破綻に導いたのだ。
最後の社長だった野澤氏が何も知らされずに自分が社長に任命され、会社の幕引きをさせられることになるとは、ある意味サラリーマン人生として気の毒の極みとも受け取れなくはない。

「しんがり」の凄いところはこういう潰れてしまった企業の潰れた原因を、その社員自らが暴き出し、世間へ公表したことだろう。
普通であれば自分たちの会社の恥部なので触れられたくもなく、自分の経歴に傷を付けたくもないだろうから、適当に発表し、適当にさっていくところに違いない。
ところが山一證券は破滅に導いた経営陣と対象的に最後まで自分たちの会社を愛し、信じていた人たちがいたことがこのノンフィクションの最も感銘を与えてくれるところだと私は感じたのだった。
多くの山一マンたちは外資系の同業者に受け入れられたのかもしれないが、多くは時とともに辞めているという。
山一證券は実に日本的な会社なのだったのかもしれないと思った。

東芝しかり、シャープしかり、三菱自動車、スズキ自動車しかり。
社員が経営に向かって意見を言えない会社がどうなっていったのか。
20年経った今も山一證券破綻はワンマン大企業にはまったくもってなんの教訓にもなっていない。
「しんがり」は必読の一冊だったのかもしれないと思った。

うちの会社の二代目経営者は読んでいるのだろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« イチロー記録... 移民と難民 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。