平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

死刑囚・島秋人

2008-03-14 23:20:18 | 短歌・詩
生きること、死ぬこと、
限りある命、永遠の命、
罪、罰、償い、死刑、そして救済

http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckaty207/sima.html(死刑囚・島秋人)
引用ここから---

島秋人は昭和9年に生まれ、幼少時代を満州で過ごした。戦後、父母とともに新潟県にひきあげたが、母は疲労から、結核にかかりまもなく亡くなった。本人も病弱で、結核やカリエスにかかり、7年間ギブスをはめて育った。学校の成績は最下位で周囲から低脳児扱いされて育った。貧しさ飢えによる非行と犯罪で少年院と刑務所を経験していた。
昭和34年雨の日の夜、島は飢えに耐えかね、農家に押し入った。2千円をうばったが、その際、家の人と争いになり、主婦を殺してしまった。
島秋人が歌作をはじめたのは、一審の新潟地裁で、死刑判決を受けた後、東京拘置所に送られてからだった。

万年最下位の成績だった島にも中学校の時たった一度だけ先生に褒められたうれしい記憶があった。美術の吉田先生が「おまえは絵は下手だが、構図は一番いい。」と言ってくれたのだ。そのことに彼は感謝しようとした。島は拘置所から吉田先生に手紙を書いた。すぐに先生から驚きと情と厚意の入り混じった返事が届いた。そして先生の奥さんから、深い憐憫を綴った短歌が贈られてきたのだった。この歌との出会いがひめられた島の才能の扉を開けるのである。

土ちかき部屋に移され処刑待つひととき温きいのち愛しむ
7年の毎日歌壇の投稿も最期となりて礼ふかく詠む

上の歌は死刑執行前夜に島秋人が詠んだ歌である。

章一郎先生(歌人・故久保田空穂の長男)
明日はお詫びの人なりました。長い間の作歌指導ありがとうございます。
僕の心中は秋水明光のごとく落ち着いております。歌集のあとがきを前坂和子様に今日面会してお願いしました。原稿を持参して先生のお宅に行くことと思います。最期まで僕に接してきた前阪和子君ですから僕のことは詳しく知っています。前坂和子君に歌集出版についてのお手伝いがありましたら、させてください。別便の葉書にしたため毎日歌壇に最期の出詠をしました。先生お身体お大切にお過ごしください。

この澄めるこころ在るとは知らず来て刑死の明日に迫る夜温し

奥様(吉田絢子さんに宛てたもの)
とうとうお別れです。思い残すことは歌集出版が死後になることですね。被害者の鈴木様へのお詫び状を同封しますので、おとどけくださいね。僕の父や弟などのことはなるべく知れないように守ってくださいね。父たちもかわいそうな被害者なのです。
短歌を作ってよかったと思って感謝しています。僕のことは刑に服してつぐないする以外に道のないものとあきらめています。覚悟は静かに深く持っています。

鈴木様(被害者の家族へ)
長い間お詫びも申し上げず過ごしてまいりました。申し訳ありません。本日処刑を受けることになり、ここに深く罪をお詫びいたします。最期まで、犯した罪を悔いておりました。亡き奥様にご報告してください。わたしは詫びても詫びても足りず、ひたすら悔いを深めるのみでございます。死によっていくらかでもお心の癒されますことをお願い申し上げます。申し訳ないことでありました。ここに記しお詫びのことに代えます。
皆様のご幸福をお祈りいたします。

島秋人はこれらの手紙を書いた朝、処刑場で絞首刑を執行された。彼は刑務所でクリスチャンになり、受礼した。処刑の前夜彼の一番好きだった賛美歌「いつくしみ深き」をみんなで歌って泣いて別れたそうである。

ここまで---

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