元々、味や食に対する興味はそれほど大きいものではない。
とはいえ、「おなかに入れば何でも同じ」というほどでもない。
ごはんは美味しい方がいいけれど、それ以上に注ぎ込む趣味があるから食費に回さないだけのこと。
小学生時代の給食でのトラウマも多少関わっているかもしれないけど、それは今更な話。
そんな節約系の食事でも、環境によっては普通に楽しむことはできる。
その「環境」を破壊するのが毒親。
前はそんなに気にしなかったと思うけれど「毒親」と気づいたら許せないことが多くなって来た。
残業を終えて空腹で、これからご飯を作ろうという時に「足止め」されたらそれで美味しいごはんの気分ではなくなってしまう。
それは今しなければならないことなんだろうか?
せめてあと十数分待てば私も食事を終えるのに、何故待てないのか。
いい大人が。
話を聞けば今すぐに解決しなければならないことではなかった。
だから食道炎にもなってしまうんだろう。
「おいしいごはんを」ではなく「おいしくごはんを」の当たり前が無い。
「何でそんなに怒るの?」と言いやがりますが、「他人の都合を考えないから」という理由があります。
理由も無く感情的になって子供の頃の私に怒っていたのは母の方。
いわゆるブーメラン。
ベタ甘に甘やかされて他人を慮られないような人間にならなかったのが反面教師として役立ったということだろうか。
とはいえ、「おなかに入れば何でも同じ」というほどでもない。
ごはんは美味しい方がいいけれど、それ以上に注ぎ込む趣味があるから食費に回さないだけのこと。
小学生時代の給食でのトラウマも多少関わっているかもしれないけど、それは今更な話。
そんな節約系の食事でも、環境によっては普通に楽しむことはできる。
その「環境」を破壊するのが毒親。
前はそんなに気にしなかったと思うけれど「毒親」と気づいたら許せないことが多くなって来た。
残業を終えて空腹で、これからご飯を作ろうという時に「足止め」されたらそれで美味しいごはんの気分ではなくなってしまう。
それは今しなければならないことなんだろうか?
せめてあと十数分待てば私も食事を終えるのに、何故待てないのか。
いい大人が。
話を聞けば今すぐに解決しなければならないことではなかった。
だから食道炎にもなってしまうんだろう。
「おいしいごはんを」ではなく「おいしくごはんを」の当たり前が無い。
「何でそんなに怒るの?」と言いやがりますが、「他人の都合を考えないから」という理由があります。
理由も無く感情的になって子供の頃の私に怒っていたのは母の方。
いわゆるブーメラン。
ベタ甘に甘やかされて他人を慮られないような人間にならなかったのが反面教師として役立ったということだろうか。
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