表裏一体

表の話題も裏の話題もひっくるめて適当に語る徒然日記

あっという間に。

2012-09-30 22:49:01 | 生態記録
今回の台風、数日前の予報よりも接近日時が早まったかと思ったらあっという間に過ぎ去ってしまいました。


大型で強力な台風ということで、テレビではやたらと臨時ニュースが入ったり特別番組に切り替えられたり。

船が流されたり波に攫われたりしたら困るので水辺は勿論、山では土砂崩れにも警戒しなければならないので当然必要な情報なのでL字型画面になるのも別に構いませんが、台風って大抵予報よりも速まるのですよね。


午後過ぎから雨が多く降って来て、夕方4時頃から『暴風雨』になってテレビの声が聴きづらい……と思ったら2時間もしないうちに風は止み雨も小降りに。

ニュースではこれから来る…みたいな感じだったんですがそれから再び天気が悪化することはなく、今はまた静かなものです。

朝起きたらそこいらの木がなぎ倒されていた時に比べると警戒していたほどではなかったかなと思いますが、被害は少ないに越したことありません。



今日はあちこちでイベントがあったようですが、中止になったものもあれば『頑丈な屋内で行われる』ということで交通機関混乱の件について客の了解があれば普通に行われていたものもあったとのこと。

緋色の欠片のイベントは結構気になってたんですけどね。
遠方でなければ多分行っていたと思います。

往復交通費で2公演分のチケットが買えてしまうぐらいですもの。


関東ばかり……と思えども、冷静に考えれば妥当なんですよね。
地方公演だからチケットが高くなっているわけでもなし。
向こうからこちらに来てもらうのは『本人』だけでなくスタッフも含まれているので『チケット』を買わないイベント(主に宣伝目的)とかでも当事者の予算を考えたら仕方ないことなのですよ。


だったら地元に来るのを待つしかないのですよね、結局。
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誰が考えてるか知らないけど。

2012-09-29 23:07:48 | 呟き
例文を手本に文字を書く。

毎回微妙に文字数が違ったりするのだが、文字の大きさや長さを駆使して上手く嵌める技術が要ることになる。
それは既に慣れたことなので、多少の失敗や出来の違いはあっても書くことはできる。


書くことはできるけど、時々書きたくないなって思う時がある。
身体の筋肉痛や手先の調子が悪いとかじゃなくて、この例文はどうだろうって時。


細かい部分は忘れたけど、書きたくないと思ったことが忘れられない文章がある。


『待望の女の子出産おめでとう。(中略)次は男の子ですね』


私は当時も今も予定や希望は無いから客観的に見るしかないけど、産んだばかりで嬉しいけど忙しい時に次のことを考える余裕ってなかなか無いと思う。
しかも性別で区別をつけて、望んだところで必ずしもできるとは限らないものを。


で、必ずしも毎回提出じゃないから結局書かなかった。

この例文を誰が考えているのかわからないけれど、誰もが手本にする文章ならば多少ワンパターンでも配慮するものじゃないかと思った。


だったら自分はできるのかと聞かれたら、それは難しいところだと答えよう。
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壁は知らねば埋まらない。

2012-09-28 23:06:57 | 呟き
行かない(行けない)にしても様子はそれなりに気になるイベントも多々ある。

それでも公式サイトを適当にチェックして今後に備えることにしている。
我慢できるようになったのは進歩だと自分では思っている。何故これがもっと早くにできなかったのだろうと時々悔やむ。


で、ネオハロで発売されるイベント限定がサティとアーネストのコンビ。


……いや、『コンビ』って言っても作品違うし、遙5には置鮎さん出てないし。
単にイベント出演率が高いマイコーさんに曲を用意しておかないと、ってことはなんとなく察しがつくけどさ。

いっそのこと別作品同士なら『コラボ』ということで普通に理解できるけど、何故この二人か。
『サティ』と『サトウ』で音が似てるからとか言わないだろうか。

公式やキャストからすれば「仲良く『シリーズ』」扱いなんだろうけど、ファンからすれば越えられない壁があるのに、それを知らないのか見て見ぬフリをしているのか。


自分が楽しいと思えないものは他人を楽しませることができない。

ただそれが『自分(達)だけ』となったら話は変わる。

それが許されるのは赤字でも実力を見せて満足したい同人の範囲だと思う。


広く長く愛される為に何が必要なのかを一番知っているのは『大衆』だと思うのだが、上に行って『大衆』から離れるほどそれを忘れてしまうから大人と言うのは厄介だ。
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右と左と。

2012-09-27 23:22:45 | 生態記録
見えるところはそれなりにケアをしていますが、見えないところだとふと気がついた時に少々驚いたりもします。


私の場合、それは足の裏。
普段外に出る時は履く靴や季節を問わず靴下を履くので見せどころ(?)の『靴下』に力は入れてもその中はノータッチ。


ちなみに靴下は履いていた方が湿気を吸うので夏場でも問題は無いらしいです。
ちゃんと毎日替えて洗ってますし。


で、長く歩くと何だか足の裏がゴツゴツしたのが気になり出すだけで。

風呂から上がって足の裏を見るとかなり固くなっている部分があるのですね。
そして歩き方が良くないのか、右と左と固くなっている部分が違う件。


これは悪化しないうちに軽石等で削った方がいいんでしょうか。

しかし、以前も一部が爪並に固くなっていた時があったがいつの間にか治っていたりもしました。

素人が下手に手を出すと蛇足になりかねないですが、エステに行くほどでもなし。


やはり様子を見ることにしましょう。
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スキとシアワセ。

2012-09-26 23:01:49 | 呟き
幸せの形は一つではない。


安定した生活があればいい場合もある。

愛さえあれば何にでも耐えらえることもある。

プライドを保たなければ生きて行けないこともある。


決めるのは他人ではなく自分だとつくづく思う。


私は「好き」があればいいと思う。

自分から相手に向かうもの、相手から自分に向かうもの……無論どちらでもいいわけではない。


私なら、どうせなら自分から相手に向かうものの方がいい。
生来の人見知りの分もあるが、どんなにメリットがあったとしてもいくらか見直せるポイントがあったとしても受け付けられない相手だとストレスにしかならない。

そんな偉そうなことを言えるほど偉くもないが、性分だから仕方がない。
嫌われることも困るが、嫌いになるのもまた困る。
それが逃げられない立場であったら幸せどころか生きている意味さえ見失う。


逆に何を知ったところで超絶嫌いになることができない場合もあったりするから、そういうことやものを見つけるのがいい。

行き過ぎない感情は慣れている。

あとは自由があればいい。
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それは違う。

2012-09-25 23:07:19 | 呟き
天臣家は現在ベランダに出る為の『出入り口』二つあるうち、一つが「立てつけが悪い」という状態です。
それなりに古い家ですから自然摩耗でガタの一つや二つは当然です。


前は両方ともガタが来ていたのですが、一方は修理を行いました。
そして、そのすんなり通れる方が私の部屋に通じている方で、状況によっていちいち通られるのが鬱陶しい時があります。


だから「向こう側も直せばいいのに」と言ったらば、天臣父曰く。


『直すと金がかかるだろう』


( ゜д゜)…………。


何言っちゃってるんですか、父。


プロが直すんだからお金がかかって当然。

人間の風邪じゃないんだから放っておいても直りはしない。

困っているのはこっちなのに何故動こうとしないのか。


私も節約はしますが、それは出したい時に出す為に締めているだけのことです。
必要な時に使わないのは『節約』とは違います。


しかし、自分で修理費を出して向こうへ回ってもらおうという気までは起きないのもまた事実。


やはり血は争えぬものです。
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反応が見えてしまうと。

2012-09-24 23:03:53 | 生態記録
ラジオの可聴範囲というのはテレビよりも狭いもので、聴きたくても聴けないものがそれなりにあります。

そして家の中でさえ場所や時間帯によって雑音が入ることが多いです。


そんな時の強い味方がWebラジオなわけですが、ニコ動などでコメントが流れるものだとそちらの方も気になってついつい画面を見てしまいます。
『ラジオ』だけならば聴きながら作業もできるんですが、動画+作業になるとなかなか進まないものです。

しかし視聴できないよりはいいかな、時間がある時じゃないと……と思って作業を後回しにしてしまう悪い癖が出てしまいます。


せめておたよりを送るぐらいすればいいのに、他愛ない話題を送りつけるのもどうかと思う上に『どうせ読まれないから』と傍観(傍聴)の一方。
こういうところでも行動のネガティブさが目立ちます。


しかし、下手に投稿すると行く末が気になり、入らなくて当然でもちょっと悔しくなるというのはテイルズチャンネルでのネタ投稿でも同じことです。


楽しく聴く為に行動を抑えることも私には必要みたいです。
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懐かしさ…よりも。

2012-09-23 23:05:14 | 生態記録
遙コルフェスが終わって1週間。


取り敢えずの作業も終わってここ1か月ほど無かっただらけた日曜日になりました。


『ネオロマジック』が抜けていない為か、本棚にあったネオライ2007夏のDVDが不意に目に入ると何だか無性に見たくなったのでパソコンで再生。
家に一人でないとせっかくのブルーレイ再生機器も役に立ちません。(苦笑)


翌日仕事(当時は夜行のち強行などという考えは浮かばなかった)の為に泣く泣く1日だけの参加になったライブ。

当時のことをレポを含めてある程度のことを覚えていたり、最近生で聴いていない曲で懐かしい…と言うよりも。


やっぱり若いな、とか。
今とそんなに変わらないな、とか。
今の方が痩せてるな、とか。
当時の方が痩せてるな、とか。


今と比べることしか浮かんできません。


過去そのものを振り返らないのは良いことなのか、いけないことなのか。


甦るものはなくとも楽しいことは楽しいと思えることは悪いことではないと思いました。
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多いもの勝ち?

2012-09-22 23:23:17 | 呟き
19日の記事で、噂が出て1日経っても公式から何の反応も無いから結婚の噂は本当だったんだー……とか普通に信じてた小野さんの件。

「噂は噂」と本人からの言葉があったそうです。

やはり私はどちらでも構わないんですけど、やはり公式回答が遅いのでは…と思いました。
本人はリアルタイムのツールを持っていないにしても、事務所側はサイトに一文を載せた上での『お答えし兼ねます』とか等の対処はできるでしょうに。

人は真実が明かされない場合は意見の多い方を取る傾向にあると思うのですよね。



取りあえず流れて来た小野さんの言葉から考えると『お相手』とされた方へのフォローが無かったり、『事実無根』とまで言っていないような曖昧さはありますが、否定と取れる形で弁明した上で嘘だったら信用失くしますからね。

人気商売でも信用は必要です。

プライベートは守られるべきでしょうが、守り過ぎて周りに飛び火してしまったら元も子もありません。
不本意でも騒ぎが起きてしまったら迅速に対応する『能力』も必要だと思いました。
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考えるだけなら。

2012-09-21 22:47:58 | 呟き
余裕だからと思い込んで事を進めていると、後から焦ることがあります。

焦らない為に事を進めていると、余裕ができた為に慢心を起こします。


普通はバランスを保ってどちらにもならないようにするものなんですが、私はどちらかになってしまうことが多いです。
持ち前(?)のギリギリ運で最悪の事態だけは避けられるものの、ピッタリに進めることは難しいものです。


ただ、これをプラスに考えられないこともないです。

何にでも『緊張感』は必要です。
後から焦った時に起こる緊張感、慢心になる前には存在する緊張感……気持ちを引き締める事柄があるからこそ自分も高められるというものです。


……ということを考えたところで実行できるとは思えません。
考え方はいくらでもポジティブになれます。それが創造力の源にもなりますから。

考え方の1割だけでも行動につながればもっと世界は広がるでしょう。

結局傷つくのが怖いだけの人間です。
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