母親と顔を合わせると「辛い」という感情しか出て来なくなってどれくらい経っただろう。
思い返してみれば、子供の頃から否定や却下が多かった。
頼ったところで自分の感情論(都合)で放置されたりもした。
私は何もしていないのに「姉がそうだったから」と巻き添えを食らったこともいくらかあった。
父が亡くなったことで「自分は遺された者」という盾を使って更に我儘を通したこともあった。
私は仏壇に何年も願ってたけど治らなかった。
とある一件を機に「もう何を言っても無理だ」と見限ることにした。
次は何を押し付けられるかわからない不安しか無く、同じ空間に居るだけで「苦しい」という感情が湧いて出る。
距離を置くことで心を守っていたのに、鉢合わせても何も言わなかったら「挨拶もしない、様子も伺わないなんて非常識!」とのこと。
自分が他人の都合を考えずにやりたいようにやっていたから、こちらも同じようにやりたいようにやっているだけ。
やられたら倍じゃなくてもやり返す性格なので。
ただ「やりたいこと」の中身が違うだけ。
それで「死にかけてまであんたを産んだのに、悲しい」と悲劇ぶった手紙を残す。
コウノドリ読んだから「絶対安全の出産は無い」というのは知識として得ているけど、私の時は安産だったって言ってたよね?あと喫煙のリスク背負っておいて何言ってんの?
そもそも「命を与えてやった」というニュアンスを子供に伝えるのは親として最大のタブーではないかと思う。
それこそ子供を「所有物」として見ている証拠。
そんなだから悲しいと言われても罪悪感が出て来ない。
親子関係も修復不可能だろう。とある漫画では「友達として」とあったけど、他人ならもっと無理。
世に出ている毒親漫画ほど辛辣ではないにしても、当事者にとって苦しいのは同じだろう。
思い返してみれば、子供の頃から否定や却下が多かった。
頼ったところで自分の感情論(都合)で放置されたりもした。
私は何もしていないのに「姉がそうだったから」と巻き添えを食らったこともいくらかあった。
父が亡くなったことで「自分は遺された者」という盾を使って更に我儘を通したこともあった。
私は仏壇に何年も願ってたけど治らなかった。
とある一件を機に「もう何を言っても無理だ」と見限ることにした。
次は何を押し付けられるかわからない不安しか無く、同じ空間に居るだけで「苦しい」という感情が湧いて出る。
距離を置くことで心を守っていたのに、鉢合わせても何も言わなかったら「挨拶もしない、様子も伺わないなんて非常識!」とのこと。
自分が他人の都合を考えずにやりたいようにやっていたから、こちらも同じようにやりたいようにやっているだけ。
やられたら倍じゃなくてもやり返す性格なので。
ただ「やりたいこと」の中身が違うだけ。
それで「死にかけてまであんたを産んだのに、悲しい」と悲劇ぶった手紙を残す。
コウノドリ読んだから「絶対安全の出産は無い」というのは知識として得ているけど、私の時は安産だったって言ってたよね?あと喫煙のリスク背負っておいて何言ってんの?
そもそも「命を与えてやった」というニュアンスを子供に伝えるのは親として最大のタブーではないかと思う。
それこそ子供を「所有物」として見ている証拠。
そんなだから悲しいと言われても罪悪感が出て来ない。
親子関係も修復不可能だろう。とある漫画では「友達として」とあったけど、他人ならもっと無理。
世に出ている毒親漫画ほど辛辣ではないにしても、当事者にとって苦しいのは同じだろう。
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