アポカリプトの意味をネットで調べたら、どうやらメル・ギブソン監督自身がテレビコマーシャルでその意味を明かしてたらしい。
You might have seen Gibson himself explaining in the TV commercials for the movie that "Apocalypto means 'a new beginning,'" an assertion he was making to reporters more than a year ago.
'a new beginning,'「新しい始まり」というのが答えだ。
今から約4600年前に中央アメリカの密林に誕生し、エジプトのピラミッドを上回る巨大ピラミッド文明を築きつつも、 15世紀に突然謎の消滅をとげたマヤ文明だが、小さな都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、統一されることはなかったという。川沿いの肥沃な土地でなく、川もない密林に高度な文明。その失われた文明の特徴は、高度な建築技術や暦、複雑で独特の絵文字を持つ一方、鉄器などの金属器や車輪、牛や馬などの家畜を持っていなかった点だ。
マヤの人々が、この映画で描かれたような狩猟民族であるか、あるいは、農耕民族であるかという議論は置いておいても、あの巨大なピラミッドを牛や馬などの動力を使わずに人力だけで建築したとすれば、その社会は奴隷制度、あるいは、税制に代わる労役の制度のようなものがあったに違いない。また、マヤ北部(メキシコ)のチチェン・イツァーの遺跡。ここでは、当時4万人が暮らしていたと推定される。ここに地下10mにセノーテという泉があり、水深15mの底に歯をギザギザに削った118体以上の人骨が発見されている。顔を強打された子供の頭蓋骨には、石のナイフで皮を剥がされた跡が残る。これらは神に捧げられた古代マヤの人々だ。天候不良や雨の為に生贄にされた。生贄にされた人間は戦いの捕虜たちであり、この映画で描かれたように生贄を得るため周辺諸国に戦士を送ったと考えられる。
かくして、奴隷として無理やり徴集されたとあるの人々が、自由を求めて権力と戦うというストーリーが湧き出てくるのだろう。戦いの場を密林に求めるのなら、ストーリーの関係でどうしてもマヤの人々を森の勇者にしなければならないのもうなずける。そうした世界では、女を守るため、一家を守るために、ぎりぎりの戦いを毎日のように強いられるのだろう。まさに、弱肉強食。果たして自分は、もしそのような社会に放り込まれたのなら生き延びることができるのだろうか。命は戦いの中で始めて得ることができる。生きるための戦い、生きるための忍耐。ともに、前作の「パッション」からメル・ギブソン監督が訴える人間の宿命が描かれている。
戦いに明け暮れたマヤ文明は、内乱とスペインの侵攻によって崩壊していった。1519年、スペイン人が新天地を求め、また異教徒を改宗させるために中央アメリカに到達した。当時のユカタン半島は小国家や部族の乱立状態にあった。こうした状況下においてスペイン軍は予想以上の苦戦をしいられた。だが、近代兵器を携えたスペイン軍の前に、やがてマヤの都市は次々に征服されていった。決定的だったのは、スペイン人が持ち込んだ伝染病だった。侵攻から100年の間にマヤ族のおよそ9割が疫病で死に絶えたとも言われている。
1527年から始まったユカタン地域の征服は着々と進み、1542年にはスペインの町メリダが建設され、スペインの植民地時代が始まっていく。マヤの人々はその後、キリスト教への暴力的な改宗をしいられつつも抵抗を続けたが、1697年のタヤサルの戦いを最後に、マヤ人はスペインの軍門に下ることになる。
ボナンパックの壁画に描かれた当時の戦士の様子を見ると、映画に出てきたような全身の刺青や、耳にも首にも唇にも穴を開けて数々の装飾が施されている。なぞに満ちたマヤ文明であるが、それは自然を敬い、その恵みを大切に分け合いながら暮らそうとした人々の知恵の姿なのだろう。