tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

北の国から

2007-10-09 20:17:54 | cinema

泣いちゃうから見たくなかった。けれど、見ないわけには行かなかった・・・・・・。北海道富良野市麓郷地区を舞台として、大自然の中に生きる一家を主人公にした「北の国から」。その何本かあるスペシャル編をぼくは見たわけで。
20年も前のテレビドラマに、富良野の人々の優しさが刻み込まれており、人間っていいな、と感動し。厳しい大自然の環境のなかで、みんなで力を寄せ合って生きる姿が、都会生活で忘れていたものを呼び覚ましてくれるわけで。

いつからだろう。日本の文化がお金中心になったのは。近所の空き地で野良猫が増えると、オバちゃんたちは、すぐに市役所に連絡し。知らないうちにネコ達は駆除され、ある日突然にいなくなる。ぼくの住んでいる地区では、毎月、100匹に近い猫たちが捕獲され、ガスで死に追いやられる。
だけど・・・。少なくとも20年前の富良野では野生のキタキツネと人間は共生し。お互いにテリトリーがかぶらない、ぎりぎりのフチに両者が生存していたわけで。人口増加が止まり、宅地開発が一段落したいまでも、誰のためか、まったくもってわからない道路は残っていて。餌場を失ったキタキツネたちは、人間の出した生ゴミをあさる。昔ながらの自然のままがいいに決まっている。だけども、餌場を人間の生息地域にシフトすることも、野生動物にとっては自然な事で。たとえ、交通事故や疥癬症で死ぬ個体数が増加しても、種の保存のために彼らは選択したわけで。

いつからだろう。人生が、勝ち負けで評価されるようになったのは。その昔、富良野にゴロウが丸太小屋を建てた頃は、人生にはいい人生とダメな人生の2種類しかなかった。人生の価値は、ものを持っている、持っていないではなく、がんばって生きたかどうかだったわけで。富良野には、富める人たちは、ほとんど見当たらなくて。みんなが生活に四苦八苦してたから、富める人との差を気にすることなんて無かったと思われ。
いまは、純たちが毎日語り合ったストーブのまわりの空間に、テレビというメディアが、セレブの日常を映し出し。所有しないものは負け組みと決め付けるわけで。そうした、一部のきらびやかな人達の価値判断のもとで、テレビを見ながら、わびしい食事をくりかえすしか選択の余地はない・・・・・・。
2本のラインの入った赤いジャージを着た蛍が、とてもなつかしく。とても、ステキなわけで。
なんで、若い頃にこのドラマを見ておかなかったのだろうと。・・・・・・ただ、涙がこぼれるわけで。

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