長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

鬼が笑おうが・・・「海の日」は・・

2016-09-17 08:23:00 | Weblog

ジャズピアニストの大石学さんから、新しいCDが届いた。

札幌のギャラリーでライブをやった時につくったライブ版。

緑に囲まれたギャラリーにピアノがぽつんとあり、そこに大石さん

が禅僧のように坐っている写真。

手紙が添えられてあり、「来年の海の日もライブをさせてください」とのこと。

東京オリンピックまで、生きているのか?ということを最近よくいきく。みんな年を

とったせいもあるけど、社会が存続しているの?東京は無事?地球があるの?

鬼が笑うどころか、五里霧中な世の中になっている。「下流老人」の著者が今朝の新聞で紹介されていたけど、

明日は我が身であるかも、という可能性を、ほぼ一億人がもっているらしい。一昔はやった「がばいばあちゃん」みたいに、

上流から流れてくるものを悠長に待っているような風流心をもって、下流での「ゆたかさ」を考えていく必要がありそうだ。

貧乏長屋に住んでいた落語家が「貧乏はするもんじゃない。楽しむものだ」といった。けだし名言であり、これからの

一億総課題でもある。

今日は「ボサノバのライブ」がある。タイトルは「海」。誰もいなくなり、祭りの寂しさを感じながら、悠然として大きさ

に人は惹かれてきた。

16時閉店。

17日(土) ボサノヴァライブ 「海」

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


月見の無茶しぃの会

2016-09-16 08:25:03 | Weblog

月に一度、珈琲の焙煎教室と、煎茶のお稽古をやっている。

先月に続き、今月も「すすり茶」を楽しんだ。夏目漱石の「草枕」に

玉露の楽しみ方を描写している文があるけど、飲むものではなく、舌の上

でころがしながら、お茶の精みたいな甘露を味わう。

........舌の先へ一しずく落して味わってみるのは、閑人敵意の韻事である。(草枕より)

昼間仕込みをやっていたら、野良の「テン」が遊びにきた。ので、餌をカンパしていると、

後ろに人の気配。女学生みたいなおぼこい女子がいた。休みだけど、どこからから珈琲か蕎麦を食べにきた、という感じ。

「ごめん。今日は休みなんや」と答え、「どこからきたの?」と問うと、「ベルリンからきました」と女子。

「錦糸町にあるキャバクラじゃない?。ほんまもんのベルリン?」というと「ほんまです」

と京なまりの返事がかえってきた。「それでは、茶でもどうぞ(喫茶去)」で、すすり茶と梅鉢屋のお菓子

をだしながら談論風発。話をしていると、その女子は、同志社を卒業後、日本の文化を世界に伝えようと、

ヨーロッパにいき、今ドイツのベルリンでそのような活動をしているらしい。

「この煎茶の文化をヨーロッパ人に教えたい」というので、「それは君の仕事やな、きっと」といって、

久保さんの黄瀬戸の「すすり茶碗」を一個託して、お別れした。来週あたりは、ベルリンで久保さんの茶碗で

「月見の茶会」が催されるかもなんばん。ベルリンから、いろんな国や文化の壁を壊して、煎茶がひろがっていくイメージ。

夜は、ベテランの人たちと、「月見の茶会」よろしく、すすり茶を楽しんだ。はっきりとではないが、ボーっと

仲秋の満月が見えた。自然とふれあう・・・・これも閑人敵意の韻事。

明日は「ボサノバのライブ」 最高の秋の韻事。

17日(土) ボサノヴァライブ 「海」

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


珈琲もお茶も衣替え

2016-09-14 07:50:26 | Weblog

季語らしきものの少ない東京では、ひとびとの衣替えが、一番季節を

感じる。陽が短くなって、朝夕が涼しくなってきた。

今日は「卒啄焙煎塾」だ。夏場は、水出し珈琲がよくでる。

少し深めに焙煎した豆を、細かく挽く。それを上手につめて、世界一

の濾過器(富士山)の近くから汲んでくる水をポタポタさせて抽出する。

言葉でいうは簡単だし、原理は簡単。でも「ホンモノ」はみな「簡素」だ、と思う。

その簡素なものを、どうやって深みにたどりつくか、そんな気の遠くなるよう旅がおもしろい、

と思う奇人にしかわからない「道」とか「味わい」とかいうものがある。

昨日、熊本の「たまな創生館」の館長から「電話で悪いばってん、そばがきの作り方を教えて」

との依頼があり「蕎麦粉50g、水150ccを鍋に入れ、火を中火にして、木べらで一気呵成にかく」

と答えた。10分後に「あんたとこみたいに、フワフワにならんばい」と電話。

「毎日やって、一年くらいやると、なんとかなりますよ」と答えた。料理とは、理(ことわり)を知るお勉強。

簡素ではあるけど、みな奥が深い。館長も名にしおう奇人なので、これからが楽しみだ。

午後からは「お茶のお稽古」をやる。お抹茶ではなく煎茶。

先月は玉露を「すすり茶」にして飲んだ。少し足を痛めた後輩がきたので、テーブルで立礼という

形で玉露を楽しんだ。5煎ほど飲みながら、20年ぶりの話に花が咲き、3時間以上談論風発した。

お酒も食事も茶も、「気のおけない友達と、共に楽しむ」からこそ楽しい。そんな簡素な原則さへ、

どうも日本人が忘れてしまっているような今日このごろ。

そのへんをちゃんとしないと、日本人総沈没。一億総活躍とか、言葉は簡素だけど、中身

のないスローガンが風化しそうだ。はやくアホな政治家たちも、総衣替えの季節を迎えてほしいものだ。

 


至福の時間の簡単な作り方

2016-09-13 08:44:57 | Weblog

今日は「お仕覆」。「おしふく」という。寺子屋の中で、読み方

と内容を一番よく聞かれる。新しい名刺には「菌活の会」と「梅林ガールスの会」

を入れた。前者が「味噌つくり」で後者が「梅仕事」だ。

日本人は昔からものを大切にしてきた。縄文時代から、土を捏ねて、器をつくり、

欠けたら、ちゃんと金継ぎをして、そこに新しい美を発見し、大事に使うために、

布などで袋を作り、紐を結び、それを大切な人の前で使うために持ち歩いたりした。

その「つつむ」という文化の中の中心に「お仕覆」はあり、それのまわりには、お茶

やお花のやさしい文化がただよい、まさに「至福の時間」がつまったものだ。

「ひゃっきん」を否定するつもりはないけど、それだけの価値しかない。

10回使って、一回10円。一万円のぐいのみを一生使う。

10年毎日使って10年で、一日3円弱。しかも、その時には、器は「古色」が

つく、いわゆる美人に成長しているし、金継ぎなど施していると、美術館

とかでみる桃山陶以上の輝きがあったりする。それをまた次の人が愛用

してくれたりすると、またまた美人に育つ。次の世代に継承されると、隔世遺伝

よろしく、ほんものの輝きのオーラを放っているに違いない。どちらがお得?

今日はそんな「お仕覆」を二階でやる日だ。

明日明後日は「珈琲豆の焼き方・入れ方教室」あんど「お茶を一服して至福の時をすごす教室」

 


翁がダールマか

2016-09-12 07:13:54 | Weblog

そばの師匠から手紙がきた。

いよいよ11月から大分でお店を始める、とのこと。

目白で「翁」を始めて、山梨に移転し、広島の山の中に

雪花山房「達磨」をつくり、多くの弟子を育て(ぼくもその末席にちょこんと坐っている)、

申年なので今年齢(よわい)72歳になるけど、大分の杵築(きつき)に新しい店をつくる。

ほんものの達磨さんの修行はいあかほどの年月を費やしたか知られねど、彼の蕎麦道は

足かけ40年以上になる。「ひとつごと」を究めよう、という人はだれもが哲学者、のような風貌だ。

11月はちょうど「松休み」で九州に帰る時だし、重ねようと思えばどうにかなるけど、オープン

日にいくのもなんだし、今回は予約をみおくることにした。下関でふぐでも食べながら、一献としよう。

こんどのお店は「会員制」だ。会員のカードと千社札のようなものがおくられてきた。そこの「達磨」

という文字は、白井晟一さんの字で、奇しくも天真庵の二階の「生」という字と同じ。ほかに「道」と「胆」

という字があるけど、まだお披露目していない。次のお店ができるとしたら、そこで飾ってみたい。

道まだ半ば、胆もまだ足らず、といったところか。

今日はこれから「卵かけごはん」夜は「長屋で女史会」

明日は「お仕覆」

水木が「珈琲の焙煎教室」&「煎茶のお勉強」

 

 


顔にも体にも責任をもつ

2016-09-11 08:26:24 | Weblog

昨日はゆみちゃんの「TQのセルフエステ」。

ときめいてキュンのTQ技術を使って、自分をきれいにする方法を二階でやった。

男は自分の顔に責任をもちなさい、と、誰かえらい人が昔のたまったけど、今や

男以上に「女時」(めどき)であるし、しばらく、たぶん何世紀かそんな時代が続きそうなので、

どうぞお金も時間もかけずに、女性がキレイになっていくと、世の中もっと明るくなるかもなんばん。

今日もゆみちゃんがきて二階で「エステ」。呼吸とか体を整えると、もともと自分がもっている本心良心(天真)

みたいなものが浮き出てきたりする。お茶をやったり、禅をやったりすることと同じようなものかも。

「こころ見つめて歩く(もしくは、坐る、もしくは根っころがる」みたいな静かな時間が必要だということだろう。

今日は日曜日なので16時まで営業。それから「鬼か仏か?日曜蕎麦道場」

明日は月曜日なので朝が「卵かけごはん」夜は「長屋で女史会」

火曜日は二階で「お仕覆」

水曜日・木曜日が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

先月ははじめて一階で無茶しぃをやった。いわゆる坐ってやるのではなく、今

の生活様式にあわせて、テーブルでお茶を入れた。歩く禅もあるように、これからは

融通無碍にいろんな場所で、お茶を楽しめるようにする必要もある。

どんな形にかわっていっても、ようは「こころの置きどころ」の問題かもなんばん。


芸術、食欲、旅行・・・秋はいい

2016-09-10 08:13:17 | Weblog

今月は、角居くんが江戸川区で個展をやっていたり、三輪福さんが四国で

イベントをやたり、いろいろ盛りだくさんのことがある。

角居くんは養蜂もやり、珈琲を入れるのもうまい。錫のドリッパーは

彼だからこそできた逸品だと思う。三輪福さんは「梅林ガールズ」の団長であり、

今朝のわがやのちゃぶ台には、彼女がつくった今年の梅干しがでた。

昨日は、カラスマ料理人が集まって、「きらず談義」になった。きらず、とは

「おから」のこと。豆腐屋でもおからは、産業廃棄物として、お金を出して、捨てて

いる。えらいもったいない話だ。昔から京都では、月の終わりや、年のおわりに、

「お客さまとの縁をきらず」という縁起から、おからを食べるのがならわしだった。

なんでもない家庭料理だけど、なんでもないものにこころをこめ、いい着物(器)をきせて

あげたいものだ。おからや、納豆などは、十二単クラスのものを使いたい。

昔からおからの出汁は、エビ、しかも伊勢エビをつかった出汁がいい、といわれてきた。

ちなみに、今日の朝食は納豆。これを久保さんの絵唐津の器にもっていた。

ごはんちゃわんも久保の皮くじら。15年もの。それだけで、朝の茶会のような雰囲気になる。

椀は田園調布の「いちょう」さんから調達したものを15年くらい使っている。すごく

いい感じになってきた。デザートの桃はバカラの器にもられている。もとい、そんなバカラ。

今日は「セルフエステ」がある。TQ処理された「エステグッズ」が初登場。

 


8月8日はフジテレビの日 9月9日は重陽の節句

2016-09-09 08:43:36 | Weblog

中国では奇数が陽であり、縁起のいい数字とされ、その中の

最大の数字の9月9日を重陽の節句として、お酒に菊を浮かべたり

して、長寿を祝ったりしてきた。そんな中国の思想に影響され、文人

たちの号にも、「九」はよく使われてきた。ぼくのお茶名も「南九」という。

うだるような暑い夏もそろそろおわり。虫のすだく音や、庭にはほととぎすが薄紫

の花をつけ、秋を感じさせる。

昨日は「かっぽれ」だった。かっぽれのあいかたが、小池都知事のブレーンの

話をした。なんやらいう名前に聞き覚えがある。昔、上智大の中で、勉強会を

毎月やっていたことがある。その中のメンバーのひとりで、15年ほど前に、そこの

主催者が経営する出版会社の本に、お互いに原稿を入れた縁を思い出した。

今は昔の話であるが、自分が45歳の時に思っていることと、今にさほどブレが

ないことを確認できた。その時から、「晴耕雨読」にあこがれていて、どこか名もない

地方の街に住んで、そんな暮らしがしたいようなことが書いてある。ここはまだ実現していないが、

この10年は、そんなことができる準備をゆっくりしてきたような気もする。

今日は「インヨガ」。

明日は「セルフエステ」

 

 

 

 


新しい英会話の形

2016-09-08 07:55:13 | Weblog

念願のアボリ人はこなかったけど、「ニューカレドニア」から

ふたりの男子をゲット。天国に一番近い国?だけあって、澄んだ海

のようにこころがきれいなふたりだった。

15勝4敗くらいの成績で、ガイジンさんたちのぽんびきから、不思議な英会話

が続いている。自分たちの母国語でない英会話を媒体として、お互いの国の文化とか

歴史などを話しながら、酒を酌み交わす、というのがなによりも楽しい。

我が国では、小学校や中学校の「英語力」をあげようと、方針をたてているらしいが、

「何を話すか」のほうに力を入れて、絶滅危惧種のような「和のもの」をもう少しまじめに

勉強したほが、この国や、これからこの国で生きていく人たちに、プラスになると思う。

家に床の間もしくは、掛け軸を飾る場所がありますか?箸置き、急須はありますか?

茶道、華道、書道をやったことがありますか?墨をすったことは?炭をおこせますか?

昨日は、お休みで少し買い物があったので、「かっぱ橋」にでかけ、いきつけのカウンター

だけのお店で昼ごはん。雨にもかかわらず、いっぱいで奥の部屋で食べた。うちの常連さん

関係で知り合った店だけど、ゆっくり酒を飲みながら過ごすことが難しくなってきた。

古本屋で本を買い、カミヤバーで、電気ブランを飲みながら、本を読む。

ビール大1、中1、電気ブラン3杯を飲む間に、一冊読破して、徒歩30分で家にかえる。

吾妻橋を渡ったところの「ア・ビアント」という画廊に立ち寄るのもこの散歩の定番コース。

うちの常連さんの父親で90歳になる人は、40年以上、神谷バーに毎日歩いていく怪物翁がいる。

昨日も常連席で、幸せそうに電気ブランを飲んでおられた。スゴイ!

今日は「おとこかっぽれ」

明日は「インヨガ」

明後日は「セルフエステ」

 

 

 


アボリ人みたいなくんがやってきた

2016-09-06 08:24:06 | Weblog

9月3日から、25日(日)まで、葛西の関口美術館にて「角居康宏」くんの「はじまりのかたち」

という個展をやっている。

天真庵に、錫の珈琲ドリッパーがある。彼につくってもらったものだ。入り口の扉の取っ手に

「天真庵」と刻まれたものがある。それもそうだし、茶托などお茶道具も彼につくってもらったものが

すくなからずある。池袋でギャラリーを始めたばかりの時に、金沢から彼がひょこっとやってきた。

ぶら下げてきた「手取り川」をさしつさされつ飲むうちに、盛り上がりすぎ、「とまっていけば」と誘うと

「では、一宿一飯のお礼に、ひとつ芸をお披露目したい。」といって、部屋にあった掃除機の

柄をはずし、真ん中の管?をはずし、手ぬぐいでそれをていねいにふいて、口をつけ、

音を奏で始めた。アボリ人の民族楽器ディジュリドゥの「もどき楽器」にみたてたものらしい。

天真庵の内装をやってくれ、今は和歌山に移住して「田並劇場」を再興しようとしている林くん

もディジュリドゥをふくと、アボリ人はだし?だ。

煎茶を量り、急須にいれる道具に「茶合」(さごう)というのがある。だいたい竹でつくられたものが多い。

ぼくのは、角居くんに錫でつくってもらった。模様はアボリ人の象形文字で「水」を表現したものらしい。

しゃれではないけど、涼やかな風のような形をしている。

今日は「英語で蕎麦会」 先生と生徒がスカイツリーで待ち合わせをして、ガイジンさんに

声をかけ「いっしょに、そば食べませんか?」といって、ポンビキをする日。

オーストラリア人はきたことがあるけど、今日はアボリ人あたりをひっかけてきてもらえないだろうか?

と岩本先生にメールしてみよう。

明後日は「おとこかっぽれ」だ。