秋雨前線が停滞していて、昨日もぐずついた天気だった。
昼間お店の前に畳屋さんらしき車が止まり、後ろのアパートの一階の右端の部屋の
畳替えがはじまった。10年前から独りで住んでいたおじいちゃんの部屋だ。
お店の改装が始まった時、毎日のようにお店の前を通る時、「何をやるんだ?
モーニングはあるのか?天ぷらそばが好きだ?」なんていいながら、ついに一回も
くることがなかったけど、すれ違うたびに、「糖尿だ」とか「心臓が弱ってきた」とか「もうだめだ」
とかいいながら、入退院を繰り返しながらも、男子の平均年齢を凌駕していったツワモノじいちゃん。
名前も出身地も聞いたことがないけど、少し東北なまりがあったので、北国の人に違いない。
救急車で運ばれるたびに「生きて帰ってきてよ」と声をかけると、手を振って「これが最後だ」
といいながら何度も生還したきたが、先月終わりに10回目くらいの救急車にのるとき、「生きて・・・」といったら、
手を弱弱しくふるだけで、「これが・・・」とはいわなかった。合掌。
お店にくる人や友達たちも、親の介護など、家族であってもなくても、老人との付き合い方に、四苦八苦
している人が多い。うちでも、常連さんだったおばあちゃんと、とある些細な件で絶縁状態になったり、
年賀状を「今年限りに・・・」というのも多くなり、その中には、もちろん年賀状を交わす関係なので、親戚
であったり、親戚・家族のような関係だったりする人もいるので、「これからの付き合い方の距離感」を
量りかねることが、日常になってきた。ま、いずれいく我が道ではあるが。
「人間」、人と人の間、生きている間、その距離感に右往左往しながら生きていく稀有な動物なのかもなんばん。
今日は日曜日なので16時閉店。それから「日曜蕎麦道場」
今日は将来地元長野で「そばライブハウス」を経営したい、という若者が入門してくる。
明日の朝は「卵かけごはん」。昨日、ぼくのHPにリンクしている「暮らしの実験室・やさと農場」
から元気な野菜や卵が届いた。と同時に農場関係者が蕎麦を手繰りにきて、「今年も蕎麦打ち大会
よろしくお願いします」ということにあいなった。命を紡いでいる「根源」を学ぶためにも、一度この農場
とふれあってみることをおすすめする。野菜を食べた瞬間・・「生きている」を直感すると思うし、農場
にふみこんだ瞬間に「なつかしい未来の気」を感じると思う。
夜は「論語の会」
火曜日が「書をしよう会」