宇治の黄檗山を開いた隠元和尚は、隠元豆など野菜を中国から日本に持ってこられ、
精進料理の元になる「普茶料理」を紹介した。京都のお寺のまわりにおししい豆腐屋さん
があるのは、そのおかげである。普茶料理は「普(あまね)く大衆に茶を施す」という
隠元和尚の「おもい」が入った料理で、煎茶と禅との「茶禅一味」という思想の中心にある。
そんな歴史があるので、煎茶の茶会などで、土からの成果物を飾ってお祝いするような神事のような
茶会が連綿とおこなわれてきた。昨日のかっぽれの後の蕎麦会は、大分の最高かぼすを会のメンバー
がくれたものがあったので、それで「花」(そば焼酎)にしぼり、炭酸で割って、妹からおくられてきた
漬物3種と、ぼくが漬けた糠漬けで飲んだ。初めてのこころみ「おでん・そばどん」も秋から冬にかけて
盛り上がりそうだ。おでんは、鍋の中に、いろいろな「たね」がいっぱい入っていて、それが調和されて
いるのがいい。それをつつく人も、それぞれの「個」があって、どれも同じでないほうがいい。
今の時代に「かっぽれ」とか「着物」とか「お茶」とか「お花」とかを愛でるような人は、少数派で
「奇人」と世間では呼ばれるような人が多い。でも奇人は変人よりも、貴人に近く、70億のいち、
つまりこの星に生きている人のなかで唯一無二のものを生かしている人だ。みんながそうなれば
世界中の鍋が、いいおでんになる。人と人が楽しく生きていく、ということは、そうゆうことではなかろうか。
昨日は「翁」の能面を飾り、花のおばあちゃんから譲り受けた掛け軸をいくつか紐といてみた。
花鳥風月とはよくいったもので、花を飾る床の間に花を添える、みたいに鳥や景色を描いたもの
がいくつもあった。今日の「普茶料理」は、アラカンの同世代の同志みたいな人たちなので、なんかそれに
ふさわしい軸をかけたいと思い、朝一番で花をいけ、軸を飾った。その軸を見ながら煎茶を一服。
今日も楽しい1日になりそうだ。日々是好日。
明日は「ダメから始める中国語」
茶が中国から伝わってきたので、茶器や掛け軸もその影響を受け、山紫水明の図や、
中国の漢詩も書家や禅林が好んで描いた。翁の面をいただいたおばあちゃんの荷物の
中に、「楓橋夜泊」が入っていた。唐代の詩人・張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩で、これで
彼は世界的な詩人になる。「科挙の試験に落ち、絶望していた時に、泊っていた舟に、寒山寺
の鐘の音が聴こえ、その音に、「あ、あの寒山拾得なら試験に落ちたくらいでは、なんともないのではないか」
と自分のちいささを悟った」みたいな詩だ。明日はこれを、中国語の先生に中国語でろうろうと詠んでもらおう。
昔の日本人は、「寒山拾得を知らないのは、日本人ではない」くらいに、日常だったことが、おばあちゃんの荷物に
よってわかった。
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