長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

福の会の誕生日 ワインにそばを合わせる

2015-05-19 08:10:23 | Weblog

昨日は朝が「卵かけごはん」

早朝蕎麦打ち軍団のわかものも、めきめき腕をあげてきた。

来月から隔週で打ちにくるらしい。なんでも、ぐーっと急にうまくなるところ

があるけど、ファッシヨン関係の仕事をしているのもあるのかないのか、直感力

がすぐれているのかもなんばん。

夜は「福」の会。畑仕事を始めた女子がさやいんげんを持ってきてくれた。

少し収穫時期がおくれ、皮がかたくなっていたので、お豆をゆがき、マヨネと

柚子胡椒で食べた。その子が今月誕生日なので、ほかの女子がシャンパンとか、ワイン

を持参してくれたので、昨日は「そばピザ」を作ってみた。「そば前」の定番に、なめこおろし

というのがある。さっとゆがいたなめこを、少し濃いめの蕎麦汁に浸す。そのひたひたを

蕎麦の生地にのせ、トマトやピーマンをのせ、ケチャップをかけて焼いてみた。

なかなかいける。「メニューにないメニュー」にいれようかしらん。

東京は朝から雨。

明日はお休みだけど、ピアノの烏丸調律師がやってくる。夜は女かっぽれ。

明後日は「ながや」にいってくる。いろいろ縁ある人たちが早川までいってくれて

いるようで、感謝感謝。


蕎麦打ち イクメン 食育 共育

2015-05-18 05:55:25 | Weblog

昨日はお花のお稽古だった。うちに狭い庭には、バラとどくだみが咲いている。

どくだみは「八重」で、白い小さな花がそそとして可憐で、茶花として床の間に飾ってもいい。

三重県の菰野町に住む陶芸家の久保さんの庭に咲いていたものを東京にもってきた。

今では、ご近所のspice cafeの庭にも兄弟が咲いていて、若いカレーファンの人たちにも

楽しんでもらっているようだ。それを昨日は久保さんの斑唐津の徳利に投げ入れた。

ちょうど田能村竹田の掛け軸で、煎茶を楽しんでいる絵が飾ってあるので、ぴったりの感じがでた。

彼と頼山陽が交わした書簡「一楽帖」というのが、文人の春風駘蕩なふれあいの手本みたいなものに

なっていて、煎茶人たちのあこがれの生き方の模範でもある。日本人が、お茶やお花に求めた

ものの大事な「精神」がそこに込められているように思う。

昨日はめづらしく女子だけの「お花のお稽古」だった。いにしえから伝わる古流の花は、地味

だけど、修破離の根本には大事なものなので、ぜひ「花」の好きな人、花をやってみたい人

は、のぞいてほしい講座である。

日曜蕎麦大学には、英語の会にきていたメンバーが入門してきた。目出度く夫婦になった報告と、

いっしょに生活するにあたり、「いつも台所にそば粉」を実践していきたいらしい。

なかなか元気な蕎麦が打ちあがった。夫婦でゴルフとかテニスとか同じことをやるのは、楽しくも

ある半面、才を争う危険も伴うので、そのあたりの注意点も説明しながら、手とり足はとらずに

蕎麦打ちを伝授。

今日はこれから「卵かけごはん」。今朝は若いくんたちが「早朝蕎麦打ち教室&卵かけごはん」

にくるので、少し仕込みをして、今家にもどってこれを書いている。さて、出陣。夜は「福の会」

福とは、田んぼで採れた穀物を、神棚にささげる、という象形文字だ。

花も仏に手向ける、というところが原点だ。仏とは、いろいろなしがらみから「ほどく」

という言霊。人間が自由に生きていくには、いろいろな「しばり」からほどかれていく必要がある。

それが「天真」というものかもなんばん。


今日はお花のお稽古

2015-05-17 08:35:08 | Weblog

日曜日だけど、今朝はこれからお花のお稽古。

先生はお仕覆と同じT先生。お花をやる人は、柿食う客だ、

ではなく花器を選ぶようになる。そうなると、骨董屋なんかをのぞく

習慣ができ、あるとき習慣病よろしく不治の病の「骨董病」に感染する。

茶をやる人も、茶掛け、といって掛け軸がほしくなったり、それを飾る床の間に

茶花を飾りたくなったりするので、同じく「骨董病」に感染する。院内感染と

同じように、骨董屋の部屋の中には、病原菌がみんなの命をねらっているらしい。

しかし、この病気にかかっている人は、みな死ぬまで幸せそうにしているのが大きな特徴だ。

ときどき「茶道具」をヤフオクなんかをのぞくことがある。やはりその中には、中国語も跋扈している。

まさか、京焼きの茶碗や水注しなんかを、彼らと争いながら買う時代がくるとは、シェー、である。

「お金になる」とかいうのと、違う視点で、中国人とも仲良くできればシェーシェーだけど・・

今日は日曜日なので16時閉店。それから「日曜蕎麦打ち塾」

明日の朝は「卵かけごはん」夜が「福の会」

水曜日が「女かっぽれ」

6月30日に世界にひとつだけの花、女幇間のたまちゃんの86歳誕生日ライブ。


これで体も心もリセット

2015-05-16 08:38:53 | Weblog

今日は「インヨガ」。不安定な天気が続き、気圧もへんで、

体やこころが不安定になっている人が多いような今日このごろ。

ヨガがブームだけど、どんな世界もそうやけど、生活の一部になって、

これがないと生きていけない、空気みたいな存在になるくらいまで続けると、

「やるな」というくらいなものになる。小さなトレンドに右往左往していると、何を

やっても「ふーん」程度のものにもならない。

昨日は「ダメから始める中国語」。一年くらいで終わり、と先生も生徒も思って

いたけど、5年以上続いている。まさにお互いに育っている(共育)。

骨董の話になった。最近、押上にくる前に長く住んでいた上池袋の歯医者に通っている。

界隈には、知り合いのお店がいっぱいあり、いくたびにふらっと立ち寄ったりして、お互いの

10年の積もった話をしたりする。そこから大塚にいくガン研(昔・ガン研がそこにあった)通りから一筋

入った住宅街に、骨董屋がある。そこの主人は、いくたびに玉露を丁寧に入れてくれ、その滋味と人間味

にあふれた味にびっくりして、煎茶道という極道を歩み始めた。ぼくの煎茶道具の半分はその主人から

買ったものだ。そのお店を中国人のSさんが商品ごと買った。電話番号も看板もそのまま営業している。

Sさんは上海にも骨董屋があり、いったりきたりしながら商いをしている。彼は遊びにいくとウーロン茶を

丁寧に入れてくれ、明時代の染めつけの茶器かなんかに入れてくれ、それを楽しみながら,

今の中国とか日本の話をする。骨董好き、しかも「茶道具」になると、中国人が10億?いても

好きな人はごくわずか、だけど、分母が違うのでその「わずか」の桁が違う。

そこの主人にいつかみせた「渡り(中国からきた骨董)の茶托」と「ボーフラ(素焼きの急須)」の話になると、

目つきがかわり「ぼくが上海で○○○円で売ってあげる」なんていうようなことをのたまう。

こちらは、「ノーシャエーシャエ」と、いつも無視しながら3杯めくらいのお茶をにごしながら四方山話をするのが

ならわしになっている。いついってもお客さんがいることはないけど、そこにあるお茶道具は、間違いなく動いて

いる。先方のお金持ちの嗜好も少し変ってきた感じが、大塚の路地裏にある小さな骨董屋の椅子に座って

いても感じられる。「渡りに舟」ではないが、渡りの茶道具を風呂敷につつみ、お金にして、寒山寺あたりを

旅するのも一考だな、と思ったりする気圧の安定しない朝。


女子に人気で品薄?

2015-05-15 08:23:36 | Weblog

昨日は新人女子が参加くる卒啄珈琲塾。午後からは新人のちょい前まで女子だった

人たちと無茶しぃの会で、煎茶を楽しんだ。

この界隈には「もつ煮」なるものを看板メニューにした居酒屋が多い?といっても

ほとんど半径1K内のお店には、いくことはないけど・・・

居酒屋でもつ煮で一杯、というのは、男の定番メニューみたいなもんだったけど、

最近は女子たちが好んで酒肴にして飲むらしく、モツが品薄になっているらしい。しかも

値があがって、本家本元の肉よりも高い?とかいう話。経済は需要と供給のバランスでなりたって

いるとはいえ、ちょっと不思議な感じがする。

近くに住んでいた天才ジャズドラマーのセシルももつ煮とクロキリが大好物だった。

大石学トリオのドラマーだったけど、2011年の夏に千葉の海で死んだ。

昨日、その大石学さんから新しいCDが届いた。「やっと新しいドラマーがみつかり、またこれから

がんばります」みたいな手紙が添えてあった。お茶の準備をしながら、聴いた。また新しい扉が

開いた、という感じの曲がいっぱい入っている。セシルのことを少し思い出しながら、クロキリのロック

を飲みながら聴いた。今年も7月20日(海の日)は、大石学さんがソロでピアノを奏でてくれる。

今日は「ダメ中」

明日が「インヨガ」

 


グラグラくる

2015-05-13 07:52:18 | Weblog

九州では、怒ったりすることを、そんな風にいう。

今朝久しぶりに寝ていたら、グラフラきた。ひょっとして「箱根?」とか

思いながらテレビをつけたら、東北を震源とするものだった。ネパールもまた大きな

地震があったり、世界中が政治も経済も環境も大揺れしているようだ。

良寛さんの言葉ではないけど、病気の時は病気になり、地震や台風でよもや死ぬ

ことがあれば、その時はそんな運命を受け入れて、死ねばいい・・・・・というような死生観

みたいなものを持つことも肝要かもなんばん。

昨日はネコちゃんたちは引っ越してこなかったけど、もしもの為に箱を用意した。妹が

お米をおくってくるダンボールを適当な大きさに切って、屋根のあるオープンスペースの

下に置いていた。今朝お店にいったらそれは使われていなかった。どこかの軒下あたりで台風が

通過するのを待ったのだと思う。

昨日は「書の会」の前に南條先生から寒山拾得の絵が届いた。

寒山拾得に虎と豊干禅師が寄り添って寝ている構図の絵がある。昔から絵描き

や禅林が好んで描いた絵で「四睡図」という。「生きとし生きるものはみな家族である」

というような禅的な気持ちが伝わってくる。もともと中国から渡ってきた思想ではあるが、

中国人も日本人も「寒山拾得」ともども、忘れさられた感がある。

今日これから「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」だ。

一階も二階も、新しい寒山拾得の絵が飾られている。新しい説教をしながら、線香臭い

絵を眺め、それを隠し味にした珈琲を飲んだり、お茶を飲んだりする二日間。

明日で「おわり」という時は、気のおけない仲間たちと、静かにお茶会をやりながら

過ごしたいといつも思う今日このごろ。なんの不足もなし。


吾輩はネコではないが・・

2015-05-12 09:05:36 | Weblog

今朝蕎麦を打ちながらニュースを聴いていたら、台風が近づいているという。

後ろでネコの気配がした。どこかで子育てを始めた「てん」だ。

何匹子供がいるのか知らないけど、おっぱいをあげるので自分は少しやつれている。

人間と違って、姑と嫁、だんなとの微妙なあつれきなど、どこゆく風な感じだけど、ひとり(一匹)

で子供を育てるのは大変だ。昨日の「長屋で女史会」で食べた、豚の三枚肉とだいこんとこんぶ

の煮もの(それに水と少しの酒、塩で味をつける)の豚を小さくきざみ、鳥のがらの肉をこそげ落し、

鳥ガラスープをたっぷり入れてあげたら、うまそうに食べた。蕎麦が打ち終わるころには、子どもがいる

近くの家の軒先がどこかにでかけた。確かチビというネコが初めて子供をつれてきたのが、二年前の

台風の日だった。さきほどのニュースをてんが聞いたなら、今晩あたり、子どもを連れてくるかもなんばん。

人もネコも犬も虫や鳥たちも、「どこで生きていくか」を自分で選ぶのがとても重要な課題だ。

箱根もだいぶ活発になってきたみたい。何があってもおかしくない、もしかしたら今日でおしまいかもしれない、

という覚悟をもって生きていく時代。たぶんいつの時代もそうだったと思うけど。「今日一日がわたくしの一生」

今日の夜は「書をしよう会」

 

 

水曜日・木曜日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

 

金曜日が「ダメ中」

 

土曜日が「インヨガ」

 

 

25日(火) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・宮坂拡志(チェロ)・藤田朗子(ピアノ

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲付き)

 

31日(日) OTOSOBA2(おとそば)

演奏:三輪福 (本水晶の響き)

19時開場 19時半開演 ¥5,000 (蕎麦・蕎麦豆腐・珈琲・チーズケーキ又はぜんざい 付き)

 


この星に男と女がいる限り・・

2015-05-11 07:51:53 | Weblog

今日は「長屋で女史会」 女性の歴史のナゾをひもとく会。

ということは、「男と女の歴史」を楽しく学ぶ会。

HPのなんやら奇談、とかいう中に押上にきたばかりに書いたコラムがある。

「男と女がいる限り」とかいう内容。引用すると・・・

この地球という星には、男と女がいる。そして、珈琲という宝物もたまわった。 男と女がいる限り、恋があり失恋がある。人は恋するとき、一杯の珈琲に夢や 憧れや希望を求めたりし、失恋したほろ苦さを感じるときにも、珈琲を所望するものだ。

男も女も珈琲も、神さまがこの星にくださった最高のプレゼントに違いない。

多くの人と人が出会い、そして別れ、また出会い、愛されたり、憎まれたり、嫉妬したりしながら 人生という時間が紡がれていく。 雨が降ったり、雪がふったり、風が吹いたり、人生にも悲喜こもごもの時があるけど、どんな時でも 傍らに一杯の珈琲がある。

お煎茶も、お酒も、珈琲も、ほんとうにおいしいものは、「人肌」でいただくものときまっている。 きっと男と女が、お互いの「生きてる」を求め合う気持ちと同じようなものかも知れない。

珈琲の味わいには、苦味、甘み、酸味がある。でも最も大切で、印象に残る味は、これらすべてのバランス と「人間味」かもしれない。

20歳のころから珈琲の世界を探求してきたけど、齢50を超えて、そのへんの機微が少しわかったような気がする。 天真庵の「長屋の珈琲」は、そのあたりを抽出できたら・・・がささやかな目標。 そして、一杯の珈琲が紡いでいく出会いを大切にしたいと思う。そんなこころが静かに広がっていったら、そこは きっと「やさしい時間」が流れていると思う。男と女がいる限り、世界が平和である限り、人間は珈琲を楽しんでいる と信じたい。

 

これから「卵かけごはん」夜は「長屋で女史会」

火曜日が「書をしよう会」

水曜日・木曜日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

金曜日が「ダメ中」

土曜日が「インヨガ」

 


夏も近づく八十八夜 

2015-05-10 08:31:38 | Weblog

新茶が出回る季節の到来。

天真庵では「玉露」と「煎茶」のセットメニューがある。手作りの蕎麦豆腐に、餡子を

かけたお菓子をお茶受けにし、福岡の星野村のお茶をていねいにいれている。

先日、お茶屋さんに電話をしたら、「今年もおいしい新茶ができました」とのこと。

とても楽しみだ。毎日お茶を楽しめる余裕を持ちたいものだ。喫茶去(まあ、一服)

天真庵に遊びにくる野良猫の「てんちゃん」が、どうも子育てを始めた様子。

いつもは朝一度ごはんをやると、満足げな顔をするけど、最近は「もうちょっとくれ」

とばかりに、お店とオープンエアーの結界あたりにお座りをしている。

近くに新しい住宅が増え、原っぱや土が少なくなり、水やえさをさがすのに

も苦労しているのが推察され、野らちゃんの数がめっきり減っている。

蕎麦打ちの途中は、いつもしかとしていたけど、人間とおなじく、生きとし生ける

ものたちがこの星から消えていくのはしのびないので、蕎麦粉がついた手を洗って

てんちゃんとまだ見ぬ子供たちの「ごはん」をあげた。ネコは無表情だけど、

毎朝そばを打っている時にくるのは、親愛の情みたいなものがあるからだろう。

今日は日曜日なのでお店は16時。それから「がんばれなでしこ。日曜蕎麦打ち特訓教室」

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん」夜は「長屋で女史会」

火曜日が「書をしよう会」

水曜日・木曜日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

木曜日は、期待の新人さんたちがやってくる。ほかの会にきている女子たちだけど

これからの時代を切り開いていくのはこんな子たちだろう、と思うくらいおもしろい女子たち。

 


英語でポン引き?

2015-05-09 08:52:03 | Weblog

昨日は「英語で蕎麦会」だった。先月に続き、スカイツリーの広場で先生と生徒さん

が集まり、ガイジンさんに声をかけ、天真庵に連れてきて蕎麦会に参加してもらう、

という大胆な企画の第二弾。どの世界もビギーナーズラックというのがある。2度続けてガイジンさんを

ゲットというのは、常識的に無理ではなかろうか?などと思っていたら、先生から電話。

「オーストラリア人のカップルをゲットしました。焼酎は苦手らしく、北野エースでワインを

買っていきます」とのこと。まさに「英語でポン引き」だ。途中、「暗い道を通っていきますが、

怪しいもんじゃない」とか「蕎麦屋の主人は、昔からガンコもんが多いが、これからいくとこは

その典型みたいなとこ」とか英語で説明しながら?、到着。

「ほんとうに大丈夫?誘拐されたんでは?オレオレ詐欺?・・・」いろんなことが頭によぎるのでは

と思うんだが、ニコニコしながらやってきた。「はじめまして、ぼくはケンです」と英語でのたまうので、

「ぼくは、エーチャン。」と答えた。奥さんはメリーさん。まさに一世を風靡したスカイラインのCM

ソング、「ケンとメリー」。(注・ぼくの英語力で、勝手に聞こえたことを表現しているので、ひょっとしたら

「ゲンとモレイ」とか、すこし違うかもなんばん)

昨日は蕎麦が途中で売り切れになったので、そばがきとオリーブオイル&スパイスで、ワインの

前菜にした。よく池袋時代にガイジンさんたちがワインを飲みにきたころやっていた料理。

昨日もフキなどの春の山菜がやまのごとくあったので、それもワインのアテにした。けっこういける。

ケンはぼくとおなじく「アラカン年」ぼくの英語力では表現できないので、先生に頼んで、「日本では

ぼくらの年のことをアラカンという。カンレキとは60歳。そしてあと10年もすると、ちがうアラカンになる。

それは、棺桶のカンだ」というのを英語にしてもらったら、大いに盛り上がり、「オーストラリアの父は

94歳だから、アラカンだ」と流暢な英語が帰ってきた。なかなか駅前や都心の英会話スクールでは味わえ

ない生きた英語を酒肴にワインがすすむ。

今朝の新聞によると、昨年度のスカイツリーの観光客はだいぶ減ったらしい。でもガイジンさん

は2倍近くきている、ということだ。この企画がどこまで続くか知らないけど、「不思議な出会い記念日」

が多いほど、人生はだんぜん面白い。

いい友達がいっぱいいるのは幸せなことだ。いい友達をつくるには、まず自分がいい友達に

なることやし、いい友達を作ろうと、積極的に行動することだと思う。