長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

これで体も心もリセット

2015-05-16 08:38:53 | Weblog

今日は「インヨガ」。不安定な天気が続き、気圧もへんで、

体やこころが不安定になっている人が多いような今日このごろ。

ヨガがブームだけど、どんな世界もそうやけど、生活の一部になって、

これがないと生きていけない、空気みたいな存在になるくらいまで続けると、

「やるな」というくらいなものになる。小さなトレンドに右往左往していると、何を

やっても「ふーん」程度のものにもならない。

昨日は「ダメから始める中国語」。一年くらいで終わり、と先生も生徒も思って

いたけど、5年以上続いている。まさにお互いに育っている(共育)。

骨董の話になった。最近、押上にくる前に長く住んでいた上池袋の歯医者に通っている。

界隈には、知り合いのお店がいっぱいあり、いくたびにふらっと立ち寄ったりして、お互いの

10年の積もった話をしたりする。そこから大塚にいくガン研(昔・ガン研がそこにあった)通りから一筋

入った住宅街に、骨董屋がある。そこの主人は、いくたびに玉露を丁寧に入れてくれ、その滋味と人間味

にあふれた味にびっくりして、煎茶道という極道を歩み始めた。ぼくの煎茶道具の半分はその主人から

買ったものだ。そのお店を中国人のSさんが商品ごと買った。電話番号も看板もそのまま営業している。

Sさんは上海にも骨董屋があり、いったりきたりしながら商いをしている。彼は遊びにいくとウーロン茶を

丁寧に入れてくれ、明時代の染めつけの茶器かなんかに入れてくれ、それを楽しみながら,

今の中国とか日本の話をする。骨董好き、しかも「茶道具」になると、中国人が10億?いても

好きな人はごくわずか、だけど、分母が違うのでその「わずか」の桁が違う。

そこの主人にいつかみせた「渡り(中国からきた骨董)の茶托」と「ボーフラ(素焼きの急須)」の話になると、

目つきがかわり「ぼくが上海で○○○円で売ってあげる」なんていうようなことをのたまう。

こちらは、「ノーシャエーシャエ」と、いつも無視しながら3杯めくらいのお茶をにごしながら四方山話をするのが

ならわしになっている。いついってもお客さんがいることはないけど、そこにあるお茶道具は、間違いなく動いて

いる。先方のお金持ちの嗜好も少し変ってきた感じが、大塚の路地裏にある小さな骨董屋の椅子に座って

いても感じられる。「渡りに舟」ではないが、渡りの茶道具を風呂敷につつみ、お金にして、寒山寺あたりを

旅するのも一考だな、と思ったりする気圧の安定しない朝。


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