長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

世界が見える席ができた。

2011-01-20 08:46:20 | Weblog
先週、「世界が見える席」をつくった。

天真庵の物件を契約にきた日、近くにあった「百尺」
というお店の解体現場の中に、木のカウンターを見つけて、
それを譲り受けた。二代、60年間使われた檜の正目のカウンター。
「元祖チュウハイ」が大人気で、カウンターの角は、もつ煮の鍋の
焦げた後が、残っていて、表面にいくつもついたタバコの焦げあと
と共に、そのお店の止まり木で繰り広げられた物語を彷彿させる。

その時に、そのお店の二階に、ブラザーの足踏みミシンがあり、
それも譲り受けた。天真庵の一階は、そのころ倉庫になっていて、
カウンターは、置けたけど、そのミシンの置場がなかった。
その時、「!」ときたのが、曳舟にあるアンティークのお店。
そこの若い主人に連絡して、そのミシンの機械はいらないので、
上に古材を使って、一人用のテーブルをつくってほしい、と依頼した。

それを入り口の横の古時計の下においた。コツコツと時を刻む音の
下で、珈琲を飲むと、とても幸福な気持ちになる。昨日は
そこで毎週水曜日におくられてくる「ワールドレポート」を
読んでいたら、「ここでこれを読むと、世界が見える」と思った。
そのい席からは、タワーも一望できる。まさに「これからの世界が
見える特等席だ」

ただし、まだ正式にその席に座った人がいない。
一見、独房みたいな席だけど、見方を変えれば、「天守閣」
だ。なんか、ウキウキする。






かっぽれ かっぽれ

2011-01-19 08:27:20 | Weblog
昨日は「書の会」だった。
貞本先生とは、大塚の「江戸一」で友だち
から紹介されて、よく飲むようになった。
彼は天安門事件のころ中国で書を勉強していた。
本業は「IT」で、ゲームの製作をしている。
であったころはパソコンやゲームマシンのソフトを
つくっていたが、今はスマートフォンなどのゲームを
つくっている。最近はまたソーシャルゲームといった
新しい形態にゲーマーたちがシフトしているようで、
単なる「ゲーム」といっても、時代とともに様変わりしているようだ。
昨日は、先生以外はみな女子というハーレムみたいな書の会だった。

今日は「かっぽれ」
反対に今日は先生以外はみな男子の日。
このあたりが、うまくバランスがとれていけば、
男と女がもっとうまく出会うようになるかも。
書の女子たちが、「浴衣をきてかっぽれに参加」
とかいう企画をすると、いいかも・・・???

ゲームもかっぽれも「遊び」だけど、後者は
日本のお座敷の中で育くまれてきたもの。
日本人力の底力みたいなものを、つくづく感じさせられる。
畳や床の間やお座敷などが、時代の流れで消えていくことは
実に残念なことだ。
「床の間」はもともと、そこに畳をひいたり、布団をひいたり
する、いわゆる「寝る間」だった。それが、壁に書などの掛軸を飾り、
気に入った花器に季節の花を投げ入れたりして、「ちいさな美術館」
みたいにして、どこの家庭でも楽しんでいた。そんな世界に冠たる文化度
が高い日本人に、みんなもどる努力をちょっとしたら、もっともっと
豊かに暮らせるのに、と思う今日このごろ。



ダムエターにのって魂の旅を

2011-01-18 08:27:52 | Weblog
昨日は、「JAZZ十間橋」の中心的なメンバー深澤芳美さん
が、素敵なライブをやってくれた。ベースの田野重松さんも
JAZZ十間橋の時に楽しそうにベースを弾いてくれた。
昨日は彼のベースの低音が、カウンターの上においてある銅
の熱燗器と共鳴してした。まるで♪JAZZには、熱燗がいい!
とかいって歌っているようで愉快だった。(実際、いつも9割の人が日本酒
を飲みながらジャズを聴く。しめのそばは、まるで、じゃずそば)
重松・・・という名前もいい。テナーサックスの高橋康廣さんは、
東京タワーができた年あたりに生まれたというサックスを見事に
演奏してくれた。いつも懐には、オカリナももっていて、「スターダスト」
を演奏してくれた。サックスは、語るように泰で、オカリナは情感を吐露
させるような演奏だった。

最後に、年末に旅立った義理の父のために、
「アメージンググレース」をやってくれた。大工だった彼がつくって
くれたダムエター(一階と二階を結ぶ手動のエレベーター)の下のイス
で聴いていたら、上から魂が降りてきたような気持ちになった。
人はみな、一階(地上)にある現象世界と、二階(天空)にある実相世界
を何度も往復する旅人だ。今回はどこまで一階にいられるか、神のみぞ知る
だけど、いい音楽を聴いたり、そこに集まってくる良き仲間たちと、共
に楽しんだり、語りあったり、笑いあったりしたいものだ。

今日は、お昼は、「貸切」になったので、普通の営業は、13時30分
くらいからになります。

夜は「書」の会。
墨田の町に、文人墨客たちが集まって書をたしなめ、酒を酌み交わし、
談論風発する日。今宵はどんな粋人がくるのだろうか・・・

明日は「かっぽれ」
♪あ、かっぽれ・・・かっぽれ・・・アラヨ、ヨイトサ、
ヨイヨイヨイヨイ・・・と・・


三人目の竹の先生がやってきた。

2011-01-17 07:59:03 | Weblog
昨日は「竹細工の日」。
三の矢・・・三人目の竹の先生がやってきた。
一の矢の清水さんは、一三(大阪のじゅーそー)生まれの
こてこての関西弁しゃべる元気なにいちゃん。二の矢の
佐藤さんは、温厚な落語家か漫談師風といった感じだった。
三の矢の大谷さんは、一番やんちゃというか、いろいろな
ところを放浪しながら、大分に辿りついた、といった感じの人だ。
三人とも共通するのは、九州や大分にはゆかりのない場所で生まれた
けど、「竹」に魅了されて、大分に移り住んだということ。
その行動力がすごい。

大分には、高崎山というサルの山がある。
昔から小学校の修学旅行で、大分、別府、高崎山、というのは
定番だった。高崎山には、昔からボスザルがいて、子どもニュースなんかで
「こんどのボスは、太郎になった」とか「次郎になった」とかを伝えた。
代々のボスに共通することは、けんか(力)が強いだけではなく、メス猿
に好かれないといけないらしい。どこか人間社会に似ていておもしろい。
ただし、最近は「ボス」という制度がなくなったらしい。縦型のリーダーシップ
の時代から、横に広がっていくリーダーシップに変ったところも、どこか人間
社会に似ている。「百匹目のサル」という言葉もある。
一匹の猿が「芋を洗う」と、それが伝わっていき、100匹までいくと、
海で隔てられた島なんかにも伝わり、どこにいっても猿が芋を洗うように
なる、みたいな現象だ。これも逆猿真似よろしく、人間社会にもあてはまる
天地自然の理みたいなものだと思う。

今日は「クラシックジャズのライブ」
昨年の秋にピアニストの深澤さんが、「JAZZ十間橋」なる
企画を提案してくれた。spice cafeの伊藤シェフが実行委員長になって、
spice cafeと天真庵と中小企業センターを開場にして、クラシカルな
ジャズマンたちが集まり、300人以上の人たちが集まってJAZZ祭りを
楽しんだ。ぼくらの気持ちとしては、「こんな元気のいないシャッター通り
でも、どこからか音楽が聞こえ、お客さんたちが楽しそうに聴いたり、
踊っている」という現象が、全国の津々浦々のシャッター通りにまで、静かに
広がっていけば、日本も元気になるのでは・・・みたいな気持ちがある。
まさに「百匹の猿」現象がおきればいいと思っている。
現実には、ジャズがあまりにも日常茶飯になり、少しほかの音楽におされぎみ
のような気もする。でももともと絶望の淵みたいなところから生まれたものだから、
これからではないか、なんて希望をもっているけど・・・

ピアノ 深澤芳美

テナーサックス 高橋康廣

ベース 田野重松  

会費4000円(蕎麦会含む) 

開場pm19:00 開演pm:19:30 

まだ空席があるので、「!」の人は、天真庵3611-1821までご一報ください。
感謝。



織田流煎茶道 初煎会

2011-01-16 08:04:14 | Weblog
今日は織田流煎茶道の初煎会だ。
表参道ヒルズの裏の茶室でやる。
あまりかたぐるしい会ではない。でも
「おいしいお茶の入れ方教えて・・・ボリボリッ・・」
みたいなやわらいものとも違う。うまくいえないけど、
このあたりの区別がつかない人が増えたように思う。


喫茶去・・まあ一服・・・という気楽な言葉の中に、
礼儀とか作法とかもてなすこころ、とか緊張感とか・・
いろいろな精神性も含まれていて、一服の味の中には、
お茶そのものの味の雑味とともに、いろいろな味わい・・
時には、禅味・・・ともいうし、いろいろな「人間の味」
があり、それらを、供する側とお客さんとが、「共に楽しむ」
ということが、一番大事なところではないかと思う。

・・・今、NHKのラジオから上田秋成の「雨月物語」
の朗読が聞こえてきた。彼も文人として煎茶を生涯楽しんだ
人だ。こんな話を聞いていると、もう一度京都に住んで
昔の文人みたいに煎茶を楽しんだり、教えたりしながら
過ごすのもいいなあ、なんて思ったりする。

そろそろ、煎茶仲間の「張福」さんが、今日のお茶会の
ための蕎麦をとりにこられるので、お店へいかなくては・・・

今日は「竹細工の会」
夜はspice cafeで、竹組の新年会。

明日は「JAZZクラシック」
秋にやった「JAZZ十間橋」の第二回目をこの秋に
やる予定。それの顔見世みたいなコンサート。
正月の「アド街」の撮影に、せっかくJAZZの取材に
きたのに放映されなかったのが残念だ。きっと番組の方針が
あるのだろうけど・・・録画したけど、見る気にもなれない。

ピアノ 深澤芳美

テナーサックス 高橋康廣

ベース 田野重松  

会費4000円(蕎麦会含む) 

開場pm19:00 開演pm:19:30 

いろいろと厳しい時代だけど、音楽とか芸術とか、
自分のこころを見つめる一服の時間などは大切に
したいと思う。





中国語のお勉強

2011-01-15 08:37:09 | Weblog
昨日は「ダメから始める中国語」
日本人は、英語もあかんけど、中国語も苦手な人が多い。
お茶も仏教や禅などの文化は、中国から伝わってきたのに、
不思議なことではある。

昨日の夕方、夜の勉強会の仕込みをしようと思っていたら、
かよちゃんとあいこちゃんが、「ほんま寒いですね」といって
カウンターに座った。2人とも大阪弁でしゃべる。
いろいろな四方山話をしていたら、かよちゃんが
「私、中国語うけていいですか」というので「かまへんで」
と答えた。続いてあいこちゃんが、「私もいいですか」と
いうんで「かまへんで」と答えた。

ふたりとも、「ニーハオ」と「シェーシェー」くらいしか知らないと
いうので、「では、蚊を中国語でなんというか知ってる?おしえたるわ」
といって、「チースウ いうねん」と教えてあげた。
真顔だったので「ミャンマーでは反対にスーチーいうねん」といったら
、少し笑った。もちろん冗談。「ウェンツー」だと、まいこ先生に教えて
もらった。

昨日は寒かったとので、「あごの骨酒?」を飲みながら、元気な女子
たちと談論風発した。寒い夜はやっぱり「おでんと熱燗」にかぎる。


今日は「エリカ庵」
エリさんと、リカさんが、コリコリになった体を
ほぐしてくれる。ヤンマージーゼルみたいに
「動かす力」になってくれる。寒いとコリコリになる。
北国では、タチションをすると、チンコがコチンコチンに
なるらしい。

日曜日は、「竹細工」の日。
新しい先生がやってくる。この会は午前と午後
でやっている。午後の人たちとは、終わったあとに
ときどき酒盛りが始まることがある。今回は
spice cafeで新年会?といううわさがある。
せんしゃくんが幹事。なかなか名幹事だ。ごくろうさん。

月曜日の夜は「クラシックジャズ」のライブ。
元気のない人も元気にすつようなJAZZだ。
深澤組のジャズマンたちが、長屋の町にやってくる。


火曜日が「書の会」
新年会を先日やったので、まじめに書初めをしなくては・・

水曜日が「かっぽれ」
今年の忘年会が楽しみ

金曜日が「スケッチ倶楽部」
和香菜さんがやってくる。新らしいHP
に彼女が書いた天真庵の絵を紹介している。




寒い週末になりそうだ。

2011-01-14 08:32:27 | Weblog
朝の気温があがらない。
普通は、炭を起して、室内の温度が12度から15度
くらいの時が、自分的には蕎麦をうちよい気温だけど、
12度くらいまでもっていくのにストーブを焚いたりする手間
が増える。そんなにあわてることはないけど、蕎麦を打ち終えた
後に食事をして、その後に珈琲豆を焙煎する、というのが、
朝の習慣なので、なるべくスムーズに川の流れのように仕事を
したいと毎日思っているけど、蕎麦打ちの途中に、普段聞こえない
ような声がきこえたり、直感的なヒントがひらめいたりすると、
時間がとまってしまうようなことがある。今日もいろいろな声が
聞こえてきて、それに耳を傾ける時間が多かったのだろう。いつもより
30分くらいはオーバーしてしまった。
でも圧倒的に、朝の時間がいい。できたら、この時間体の中で
他の人にも珈琲を楽しんでもらいたい、と思ったりするけど、
今のところ12時に開けるのがせいいっぱいだ。

昨日は、よくいく千葉の里山が見えるところにいき、野菜を仕入れ、
農家カフェみたいなところで、とろろ飯を食べ、里山に夕日が沈む
ような景色が見える露天風呂に入りながら、体を休めた。
温泉も癒されるが、里山というのが、またいい。
蕎麦も野菜も、千葉近い場所に移ってよかった。
池袋に住んでいたころ、ゴルフの誘いがあっても、千葉のゴルフ場
だったら、たどりつく自信がなかったので、断っていた。
(もっとも、自分の持っていたゴルフ場にも時々たどりつけなくて、
フロントに電話して「場所かわった?」なんて聞いていたけど)

明後日は「初煎会」
織田流煎茶道の「事始め」。お店を始めてから
自分は参加できないので、蕎麦だけ参加(打ったものを、もって
いってもらっている)。
季節を感じながら生きていくのはいいもんだ。

あさイチ

2011-01-13 09:32:39 | Weblog
昨日は、せんしゃくんが幹事になって、書の会
のメンバーが秋葉原の中華屋にあつまった。
貞本先生とは、同じIT業界にいたけど、秋葉で
会うのは初めてだ。だいたいが大塚の江戸一で
飲んでいた。しかも二次会に「カラオケ」にいく、
という快挙?彼の歌もはじめて聴いた。
最後に聴いた淡谷のり子の唄は、夢にでそうなくらい
気色がわるかったが、味があった。

今日は休みだけど、朝一にお店にいって、珈琲の豆を
焙煎した。最近豆を買っていかれる人が増え、週末は
かなりストックしていないと、こめびつの底が見える状態
になることが、ままある。
ぼくの大好きなエチオピアのモカや、イエメンのモカマタリも、
いい感じの生豆が手に入ったので、絶好調なように思う。
帰ってきたら、NHKの「あさイチ」という番組で木曾が
でていた。木曾といえば漆器だ。スタジオに漆の器が
並べられた。名前は紹介されなかったけど、巣山貞一さん
のものだ。天真庵の「ほっととり蕎麦」の漆の椀や、片口
と樽のぐいのみは、巣山さんのものだ。使いこなすにつれ、
味わい深いものになってくる。今年の秋は、木曾の漆展を
天真庵でやることになっている。今からとても待遠しい。

明日(金)は「ダメ中」こと「ダメから始める中国語」
元気なまいこ先生が、ニーハオとやってくる。

明後日(土)は「エリカ庵」
エリさんと、リカさんが、コリコリになった体を
ほぐしてくれる。今年はうさぎなので、身軽に
ぴょんぴょんと飛翔したいものだ。

日曜日は、「竹細工」の日。
新しい先生がやってくる。この会は午前と午後
でやっている。午後の人たちとは、終わったあとに
ときどき酒盛りが始まることがある。今回は
spice cafeで新年会?といううわさがある。
せんしゃくんが幹事。なかなか名幹事だ。

月曜日の夜は「クラシックジャズ」のライブ。
元気のない人も元気にすつようなJAZZだ。

火曜日が「書の会」
水曜日が「かっぽれ」

金曜日が「スケッチ倶楽部」

いろいろ目白押しあげだ。





トラ トラ オートラ

2011-01-12 09:17:52 | Weblog
そんなお座敷芸がある。芸者さんといっしょに酒を飲んだ
席で昔やったりした。
酒のみのことを「オートラ」という。これは、酒飲みが
お酒を勧めるときに「さ、さ、」とか「さ、さ、もう一杯」
とかいいうもんだから、「ささ」を「笹」とかけ、竹やぶには
虎がつきものだので、いつし大酒飲みのことを「大虎」というように
なったらしい。京都の荒神口にあった「安兵衛」というおでんやの
オヤジに教わった。酒はいいもんだ。昨日は「英語で蕎麦会」。飲んだ飲んだ。
大家のおばあちゃんは大正生まれだけど、まだ3合はいける。
昨日は漆の馬上盃を持参されて、「飛露喜」を3合あけた。
ぼくも手元にある久保さんの斑唐津のぐいのみで、少しお手伝い
した。しばらくして、「英語で蕎麦会」の準備にかかろうかという
時間に、論語の会の先生が颯爽とやってきた。鹿児島生まれの
「オートラ」も、5本の徳利を空にしてから、帰っていかれた。
今年の時運を易から説明してもらったり、陽明学者の岡田武彦先生の
話などいつもながら、飲んでいても勉強になるひとだ。

久保さんから「佐加豆岐(さかずき)展のハガキがきた。
今月30日まで、京都の「器館」(うつわかん)でやっている。
久保さん(久保忠廣)、内田鋼一、大澤恒夫、鯉江明、丸太宗彦・・・
そうそうたる陶芸家たちの酒器が、大徳寺のすぐそばのギャラリー
に並んでいるらしい・・なんだか花見を先取りするみたいにウキウキ
しそうな企画だ。
案内文に「李白一斗詩百篇」が紹介されている。

李白に「月下独酌」という有名な詩があった。南條先生にも
1枚書いてもらったことがある。月灯りの下に座りで、自分と自分の影と
3人で酒を飲んでいる風情を詠んだものだ。「座る」というは、土の上
に人が2人いる。ひとりは「自己」で、ひとりは「自我」らしい。
相変わらず、世のなかは、混沌が極まってきているようだ。
こんな時の最後の決めてになるのは、やっぱり「人」らしい。


今日明日は連休。






行灯(あんどん)

2011-01-11 07:57:25 | Weblog
昼行灯とはよくいったものだ。
中仙道にある時々立ち寄る骨董やからきた
行灯が、昼間は存在が薄いが、暗くなってくると、
ゆらゆらとゆられるような艶冶な灯りを灯す。
電灯がなかった時代に蝋燭の明かりで生活していた
時代の色気みたいなものを感じる。こんな灯りが
枕もとにあって、美しい(美しに限る)女性の帯を
解く衣擦れ(「きぬづれ」)の音が聴こえてくる・・なんて素敵ではないか。
そんな情緒が少なくなった。雨の日や風の強いは行灯を外に置けないので、
昨日はじめて店の中に「おひとりさまのテーブル」を、つくった。
ためしに、かっぽれなかまの「くまさん」に座ってもらった。
*やはり女性のほうが似合う、と思った。ウソ、そうはっきりくまさんにいった。

昨日は、成人式。風が強い寒い日だった。近所のゆきちゃんも朝早くから着付けを
して、トリフォニーホールで成人式のお祝いをやったあとに、珈琲を飲みに
きてくれた。いつもは、「ミルクコーヒー」を所望していたが、昨日は
ブラックでほぼぶらじるを飲んだ。着物を着て、ブラックで珈琲を飲む。
なんとなく大人になった気がする。「二十歳の原点」、昔立命館大学の先輩
がそんな本を出して(日記)、映画化されるくらい大ブームになったことがある。
どんな飲み方をしてもいいけど、コーヒーは
ブラックがいい。新鮮な豆をうまく焙煎して、それをうまくいれると、珈琲その
ものの甘さと苦さと酸味や雑味が、口の中で一体になる。喉元を過ぎて
胃の中に嚥下していっても、香りが自身の贓物とまた一体になってもどってくる。
その残り香りというと、「ああ、あの人は何をしているのだろう」と、昔も
恋人のことを思い出すくらい、いい。
だから「コーヒーが美味い」というのは、焙煎や抽出も大事だけど、
器や飲む場所や人や、その人の人生によって、左右される。
五感を磨いていないと、おいしいコーヒーは飲めないのだ。

今日は「英語で蕎麦会」の事始め。
順受の会と同じく、この会は池袋天真庵の時代から続いている会。

金曜日は「ダメ中」(ダメから始める中国語」の事始め。
この会が金曜日にあると、飲みすぎて、次の日がたいへんなことに
なりそうだ。

でも15日(土)は「エリカ庵」があるので大丈夫。
16日(日)は「竹細工の日」。三人目の先生がやってくる。

17日(月)は「クラシックJAZZ」
温故知新ではないけど、源流には「ほんもの」が
いっぱいある。流されてもいいけど、もどれる原点が
必要かも。どんなことでも・・・「二十歳の原点」みたいな
ことが必要やね。政治家や企業のトップからして、「もどれる原点」
をもたなくて右往左往しているのなかりやから。