長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

夜の学校で、がっこを喰う。

2013-01-12 08:11:51 | Weblog
昨日、今年初の「いぶりがっこ」が届いた。
うらぶれた十間橋通りで、「酔香」(すいか、じゃない。すいこう)というお店をやっている女将さん
が毎年親戚のつくる「がっこ」をわけてくれる。
スーパーで売ってる「がっこ」とは格好も香りも歯ごたえも違う。
これをポリポリ食べながら(もちろん、適当な太さで切る。こと適当というところも
気をつけたいくらい美味い)、酒を飲むと、3合はいける。
この季節は木曾からも「あかかぶ」が届く。これも3合はいける。
昼間にうちにきて、「酒三合、つまみはあかかぶ」といって飲んで、その後
酔香で「酒三合、つまみはいぶりがっこ」と梯子をしてみるといい。

夜は「ねんど」だった。昨年二十歳になってお酒解禁の女子と、あと10年
の小学校5年生の女子たちと、楽しく談論風発(これは立派な女子会)しながら
事始め。玄米ひじきごはんとおかずはいぶりがっこ。これがうますぎて、そばが
少しあまった。田舎から調達した自然薯を温そばにしたけど、夜の学校ではがっこ
の方に軍配があがった。

玄米は、土鍋で炊くと簡単。明日の「なんとなく・・・」でも
やってみようか?と思う。原理原則にこだわっていると、料理も酒も珈琲
も、「それなり」で終わる。
これからは「それなり」を脱皮して、「これから」みたいなものがいい。

新年のブログに書いたけど、この半年くらい、いろいろなお店にいって「珈琲」
を飲んだけど、耶馬渓の「豆岳」で飲んだのが一番。
自然の中で楽しそうに自然にとけこみながら、感謝しながら珈琲を焙煎し、抽出
する姿勢に「人生のものがたり」が見える。
最近の珈琲屋さんは、格好はいい(せんずりみたいな格好だけど)し、うんちくや
知識は一人前だけど、味もマスターベーションみたいなところが多い。
自然の中で育まれてきたものに対峙するのは、己も自然によりそい、恵みに感謝
しながらふれあう、というのが大切だと思う。
粒々皆辛苦、なのだ。大根、かぶ、そば、米、珈琲・・・の一粒一粒に、それぞれ
いろいろな人や土や水や空気や・・・そんな無駄のない不思議なまんだらのようなつながり
(縁)が感じられてくると、人生が少しおもしろくなってくる。

へんな学校にいくより、がっこを喰いながら酒かごはんを食べるほうがいいかも。
クリックよりもスナック、か、居酒屋。弱い頭で推敲するより、酔香。

明日は今年から始まる「なんとなく蕎麦を喰う会」
隠元和尚が命がけで、大陸から渡ってきて始めた「煎茶」と「普茶料理」
を楽しんでみたいと思う。今年から日曜日は毎週16時で閉店。
元気におでない日曜日の夜を、元気にしたいと思っている。感謝。

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