急須を使って茶をいれた最初の人が、売茶翁だ。
今年は没後250年で、京都ではいろいろな式典がある。
ひとつは、加茂川のほとり(北大路通り)に記念碑ができた。
佐賀で禅僧をやっていたのに、アラカンの57歳か8歳のころその身分を捨てて上洛。
名水を毎朝汲み、東山や下賀茂の糺ノ森あたりに茶道具を背負い、お茶を売った。
池大雅や若冲などの文人たちが、翁とふれあうことにより、茶味禅味の世界と、
自由で何者にも拘束されない自由な境地をつかむヒントを得た。体制にもおもねらぬ
清貧な文人たちにたちまみ広がっていき、明治維新以降西洋化している風潮の中で
すたれていったけど、「精神」はまだ日本人の中にのこっていて、いろいろなものが
いきずまりを感じる「今」のような時代に、わすれかけていた「和らしき日本人性」みたいな
ものを呼び戻す力がありそうな気がする。
先日、近くのガラスの職人に取っ手のない「宝瓶」(ほうひん)をお願いしたらできてきた。
もともと玉露を入れる茶器で、お茶も茶器も宝のように大切に使われてきたので、そんな
名前がついているのだと思う。星野村の玉露を入れ、静岡から汲んでくる硯水泉という
名水を入れ、こぶりのお茶碗でゆっくり口の中に入れる。飲むというより、舌の上にのせる、
というイメージ。この甘露な味わいの中に幸せが広がる。
その職人の工房に小さなガラスのハイヒールを発見した。Dランドのお土産の
「小さなガラスの靴」は、彼が作っている。少しつきあうのにてごわい職人だが、
いいものをつくる。水出し珈琲の器具や、後ろ手のガラスの急須も、ここでできた。
明日は「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」
玉露の葉の佃煮を酒肴に酒を飲もう。サンマも焼くし・・・秋はいい。日々是好日。歩歩是道場。
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