長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

壺中天みたいな蕎麦屋があった

2011-02-24 09:03:49 | Weblog
「先駆村」というブログを書いている大学院生の藤原くんが
、野生の鴨を土産にもってきてくれた。
20日に「bunkan」でたった「鴨遊び」のために
5人で捕まえた鴨の一羽。貴重なものだ。
自分たちで捕まえ、〆、内臓をとったり、羽をむしって
アパートの洗濯干し竿で熟成させたものだ。
「鴨南ばん」にして食べた。こんなに美味い「鴨南ばん」は
筆舌が及ばない。やはり自然に勝てる味はない。
こんな野趣満天な晩餐を大学生たちが、企画して楽しんで
いる。なんだか、新しい時代の生き方を学んでいるように思う。

次の日に、また鉄砲打ちの友だちが、猪の肉と、鹿肉の燻製を
もってきてくれた。ぼくがまだ蕎麦を打ち始めのころ、よく
彼らのキャンプ場に、蕎麦を持参して、蕎麦会をやった。
山菜やきのこ、そして、しし鍋などの後に、近くの清流の水
なんかで沸かした水で、蕎麦をゆでで食べる。
「蕎麦は、野趣を残しておかなければいけない」ということを、
誰とはなく教えられた気がした。
「命をいただく」ことによって、ぼくたちは生かされている。
そんな当たり前のことを、つい、つい、わすれて、ぼーと
生きている。

昨日は、来週の月曜日の「卵」を買いに、茨木と福島の
県境の村にいってきた。ネットで検索して、目的の農場に
ナビを設定していたのだが、道すがら、気になる看板が
目に入り、少し変な名前の卵だけど、ちゃんと広い土地で
平飼いにして、自然のえさを食べて育った「卵」をゲット。
これから、試食。

それから、寒村の冬景色を満喫しながら車を走らせていると、
古色のついた看板に、小さなわき道への案内が書いて
ある蕎麦屋らしきにおいのするものにひかれ、またナビを
無視して、わき道をのぼって、掘っ立て小屋みたいな
蕎麦屋についた。いきなり、玄関横に、猪の毛皮がつるして
ある。まだ鼻は生きているように、みずみずしい。

おそるおそる中に入ると、8人くらいお客さんがいて、
「しし鍋」で酒などを楽しんでいる。「壺中天」では
ないけど、入った瞬間に「天国」を感じるくらいワクワク
した。厨房の中を見ると、なんと腰のまがったおばあちゃんが
ひとりで、やっているではないか。がばいばあちゃん、否、さしずめ「典座」(てんぞ)だ。
おじいちゃんは、お客さんに猪をしとめた話や、それを
燻製にする話などをしながら接客しているが、厨房の中を
手伝うことをしない。どころか、ときどき「はさみくれ」
など、てんてこまいのおばあちゃんにわがままをいったり
している。でも間髪をいれず、ぐちもいわず、はさみが
でてくるのにびっくりした。しかもその後に、これでも
飲んでまっててけれ、と、自家製の「にんにく酒」や、
「やまもも酒」などの果実酒を、まがった腰でもってきて
くれる。

その後すぐにでてきた「猪肉蕎麦」を食べながら、
おばあちゃんの果実酒を堪能した。
帰りに、そのおばあちゃんの大根の漬物を買って
きた。来週の月曜日の「月曜の朝は卵かけごはん」
の時に、カウンターに並ぶことになる。

明日は「赤松林太郎くんのピアノコンサート」
最近はすっかり日本酒党になった林太郎くんと
飲み明かしたいものだ。

土曜日は「お花のお稽古」
春が近づくと、いろいろなお花がそろってきて、いい。
昨日は、田舎のお店で、「白梅」の樹を買ってきた。
これを庭に植えたら、今朝、めじろが遊びにきた。
路地裏の小さな庭が、まるで下鴨神社みたいになった。

日曜日は「竹細工の日」

毎日、無駄のない縁でつながった人たちと、お互いに
楽しみあったり、学びあったりしている。
教育といくのは「共育」であってほしい。
月曜日は「順受の会」(論語の会)だ。

「子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからず乎
朋有り、遠方より来る、亦た楽しからず乎
人知らずしてみず、また君子ならず乎」

「人知らずしてみず」、人に知られようが、知られまいが、
自分が思ったことをやる、好きな道を歩く・・・
1度しかない人生、これ以外にないと、最近つくづく思う。