昨日も、こりずに銀ブラ。
午前中に、焙煎を5回やって、銀座へ。
昨日に引き続き、「田中絹江」の映画。
昨日のタイトルは「生きる」。
昭和32年に撮影されたもので、金沢が舞台になっている。
犀川や浅野川の風景は今とかわらないが、町並みが
今とはまったく違う。木造の日本家屋や、家の周りの土壁
なんかが、「今は昔」な感じ。
最初に京都に修学旅行にいった時に受けた衝撃みたいなものが
蘇ってきた。
昔の映画は、ストーリーが単調で、いいたいこと、訴えたい
ことが、簡素で見たあとの後味が、美味いコーヒーを飲んだ
後に、自分の体の中から湧き上がってくるそれと、共通したものが
ある。
小学校のころ授業が始まるチャイムがなって、間髪をいれずに
映画が始まり、終わりの画面で、なんと拍手がきこえて、映画館の
灯りがともり、おしまいになる。
ほんものというものは、いつも簡素
ということをつくづく思う。
帰りに銀座の小さな店で金沢の天狗舞を、ちょっと飲んだ。
明日は「お花のお稽古」。
お茶とかお花というものは、生きていくうえで、こんなに
「知的生産を施してくれるものは、ない」と、最近特に
そう思う。
午前中に、焙煎を5回やって、銀座へ。
昨日に引き続き、「田中絹江」の映画。
昨日のタイトルは「生きる」。
昭和32年に撮影されたもので、金沢が舞台になっている。
犀川や浅野川の風景は今とかわらないが、町並みが
今とはまったく違う。木造の日本家屋や、家の周りの土壁
なんかが、「今は昔」な感じ。
最初に京都に修学旅行にいった時に受けた衝撃みたいなものが
蘇ってきた。
昔の映画は、ストーリーが単調で、いいたいこと、訴えたい
ことが、簡素で見たあとの後味が、美味いコーヒーを飲んだ
後に、自分の体の中から湧き上がってくるそれと、共通したものが
ある。
小学校のころ授業が始まるチャイムがなって、間髪をいれずに
映画が始まり、終わりの画面で、なんと拍手がきこえて、映画館の
灯りがともり、おしまいになる。
ほんものというものは、いつも簡素
ということをつくづく思う。
帰りに銀座の小さな店で金沢の天狗舞を、ちょっと飲んだ。
明日は「お花のお稽古」。
お茶とかお花というものは、生きていくうえで、こんなに
「知的生産を施してくれるものは、ない」と、最近特に
そう思う。