7月1日に恐山に行った事は、先日書きました。
恐山と言えばイタコの口寄せが有名です。
イタコと言うのは、北東北で口寄せを行う巫女のことで、
シャーマニズムの流れにあるものだと思います。
かつては全国的にいたようで、沖縄地方のユタも同じ系統のようです。
口寄せとは、霊を自分に降霊(憑依)させて、
霊の代わりにその意志などを語ることです。
恐山のイタコの口寄せの歴史はそれほど長いものではなく、
最初にイタコの口寄せが行われたのは、
1935年(昭和10年)頃だったようです。
イタコになる女性は、目の不自由な人が多く、
そうした人々の生活のためだったような気もします。
恐山のイタコは、昭和30年代頃から有名になって、
昭和40年代には40人位のイタコがいたようですが、
現在では、2・3人に減り、しかも7月20日から24日まで行われる例大祭と、
10月上旬の大祭の時だけきりいないとの事でした。
実際に体験された方の文章がネットに載っていますが、
5・6時間待ちとか、11時間待ったけど出来なかったなどとありました。
そんな事から、今回恐山に行くに際して、イタコはいないものと思っていました。
ところが、恐山の参道脇に「イタコ 口寄せ」の看板が立っていました。
それで、お寺の方に聞いてみたら、今日はイタコが来ているとの事でした。
前に書きましたように、時間はたっぷりあります。
これは是非体験してみようと思いました。
地獄巡りをしてから、口寄せをやっている場所に行ってみました。
1人の女性が口寄せを受けている最中で、
ご夫婦なのでしょうか、男女の方が1組待っているだけです。
十分帰りのバスに間に合うだろうと思い待たせて頂きました。
イタコさんは、年配の方とのイメージがありますが、
その時のイタコさんは、僕と同年配か少し上位の年齢の感じで、
目が不自由ではありませんでした。
品の良い小母さんと言う感じの方でした。
彼女の前に座って、訊かれたのは、命日と誰を呼ぶかでした。
僕は同居人の命日と続き柄を言いましたが、
お若かったですねと驚かれていました。
それで58でしたと言いました。
何を訊きたいですかと重ねて尋ねられ、
彼女の最期は、意識も混濁していたので、
何か言いたかった事があるのではないかと答えました。
イタコさんは、
「わたしの数珠の音が止まっている時に、何か訊いても結構です。」とも言いました。
イタコさんは、大きな数珠を擦りながら、呪文を唱え始めました。
同居人の命日を唱えた事は聞こえました。
少しすると、霊が乗り移ったのでしょう、
「おとうさん、こんなに早くこちらに来てしまい、
色々迷惑を掛けて申し訳なかったね。」と言いました。
同居人は、僕の事を余り「おとうさん」と呼ぶ事は少なかったです。
全く呼ばなかった訳でもありませんが。
しかし、ごめんなさいと言う声を聞いている内に、
彼女が病床で、
「こんな病気になって、ごめんね。」と言っていたのを思い出し、
不覚にも涙が出てしまいました。
「息子たちも仕上がって、これから色んな所に一緒に出掛けられると思ったに、
本当に申し訳なかったね。」と言いました。
僕は、息子たちがいるとは一切言っていません。
しかし、イタコさんは、そのように言いました。
「わたしは行けないけど、わたしの写真を持って色々な所に行ってね。」とも
言いましたが、
これは、彼女が最期の頃に言っていた事と同じでした。
それを聞いて、
本当に同居人の霊が降りて来ているのではないかとも思ってしまいました。
「今まで守ってもらったから、これからはわたしがおとうさんやみんなを守るね。
今日は家に帰るまで守って、家に着いたらこちらに戻ります。」と言って終わりました。
僕も興奮してしまったので、正確ではないかも知れませんが、
概ねこのような内容でした。
終わってから、イタコさんは、
「私が何を言ったか、私は全く分かりません。」と言いました。
自分で言ったのではなく、霊が言わせた事だとの意味なのでしょう。
その後少し話をしましたが、
月に1・2度は恐山に来ているけど、住んでいるのは岩手県だとか、
大祭の時に来たくなかったけど、出る事にしたとの事でした。
同居人は、旅行に行く時は彼女の写真を持って行けと言っていたので、
僕は、一人で出掛ける時には、必ず彼女の写真を持って行きます。
それで、その写真をイタコさんに見せましたが、
「この方でした。」と断言するような口調で言いました。
時間にしておよそ20分程度だったと思います。
料金は4000円でした。
僕が、恐山に行ったのは、
ひょっとすると同居人に会えるのではないかとの思いもありました。
まさか、イタコがいて口寄せをしてもらえるとは思っていませんでしたが、
実際に口寄せしてもらって、
3年半前に旅立って少しずつ影が薄れて来たような彼女の存在が、
再び色濃く蘇ったような気がしました。
イタコは、身近な人を亡くした悲しみを癒してくれる、
心理カウンセラーのような存在なのかも知れないと考えながら帰って来ました。
今回の恐山行きは、取りづらい指定席も取れましたし、
天気が悪く雨にも降られましたが、すぐに晴れました。
そして、いないと思っていたイタコの口寄せが体験できました。
何か同居人に引き寄せられたような感じがしないでもありません。
恐山と言えばイタコの口寄せが有名です。
イタコと言うのは、北東北で口寄せを行う巫女のことで、
シャーマニズムの流れにあるものだと思います。
かつては全国的にいたようで、沖縄地方のユタも同じ系統のようです。
口寄せとは、霊を自分に降霊(憑依)させて、
霊の代わりにその意志などを語ることです。
恐山のイタコの口寄せの歴史はそれほど長いものではなく、
最初にイタコの口寄せが行われたのは、
1935年(昭和10年)頃だったようです。
イタコになる女性は、目の不自由な人が多く、
そうした人々の生活のためだったような気もします。
恐山のイタコは、昭和30年代頃から有名になって、
昭和40年代には40人位のイタコがいたようですが、
現在では、2・3人に減り、しかも7月20日から24日まで行われる例大祭と、
10月上旬の大祭の時だけきりいないとの事でした。
実際に体験された方の文章がネットに載っていますが、
5・6時間待ちとか、11時間待ったけど出来なかったなどとありました。
そんな事から、今回恐山に行くに際して、イタコはいないものと思っていました。
ところが、恐山の参道脇に「イタコ 口寄せ」の看板が立っていました。
それで、お寺の方に聞いてみたら、今日はイタコが来ているとの事でした。
前に書きましたように、時間はたっぷりあります。
これは是非体験してみようと思いました。
地獄巡りをしてから、口寄せをやっている場所に行ってみました。
1人の女性が口寄せを受けている最中で、
ご夫婦なのでしょうか、男女の方が1組待っているだけです。
十分帰りのバスに間に合うだろうと思い待たせて頂きました。
イタコさんは、年配の方とのイメージがありますが、
その時のイタコさんは、僕と同年配か少し上位の年齢の感じで、
目が不自由ではありませんでした。
品の良い小母さんと言う感じの方でした。
彼女の前に座って、訊かれたのは、命日と誰を呼ぶかでした。
僕は同居人の命日と続き柄を言いましたが、
お若かったですねと驚かれていました。
それで58でしたと言いました。
何を訊きたいですかと重ねて尋ねられ、
彼女の最期は、意識も混濁していたので、
何か言いたかった事があるのではないかと答えました。
イタコさんは、
「わたしの数珠の音が止まっている時に、何か訊いても結構です。」とも言いました。
イタコさんは、大きな数珠を擦りながら、呪文を唱え始めました。
同居人の命日を唱えた事は聞こえました。
少しすると、霊が乗り移ったのでしょう、
「おとうさん、こんなに早くこちらに来てしまい、
色々迷惑を掛けて申し訳なかったね。」と言いました。
同居人は、僕の事を余り「おとうさん」と呼ぶ事は少なかったです。
全く呼ばなかった訳でもありませんが。
しかし、ごめんなさいと言う声を聞いている内に、
彼女が病床で、
「こんな病気になって、ごめんね。」と言っていたのを思い出し、
不覚にも涙が出てしまいました。
「息子たちも仕上がって、これから色んな所に一緒に出掛けられると思ったに、
本当に申し訳なかったね。」と言いました。
僕は、息子たちがいるとは一切言っていません。
しかし、イタコさんは、そのように言いました。
「わたしは行けないけど、わたしの写真を持って色々な所に行ってね。」とも
言いましたが、
これは、彼女が最期の頃に言っていた事と同じでした。
それを聞いて、
本当に同居人の霊が降りて来ているのではないかとも思ってしまいました。
「今まで守ってもらったから、これからはわたしがおとうさんやみんなを守るね。
今日は家に帰るまで守って、家に着いたらこちらに戻ります。」と言って終わりました。
僕も興奮してしまったので、正確ではないかも知れませんが、
概ねこのような内容でした。
終わってから、イタコさんは、
「私が何を言ったか、私は全く分かりません。」と言いました。
自分で言ったのではなく、霊が言わせた事だとの意味なのでしょう。
その後少し話をしましたが、
月に1・2度は恐山に来ているけど、住んでいるのは岩手県だとか、
大祭の時に来たくなかったけど、出る事にしたとの事でした。
同居人は、旅行に行く時は彼女の写真を持って行けと言っていたので、
僕は、一人で出掛ける時には、必ず彼女の写真を持って行きます。
それで、その写真をイタコさんに見せましたが、
「この方でした。」と断言するような口調で言いました。
時間にしておよそ20分程度だったと思います。
料金は4000円でした。
僕が、恐山に行ったのは、
ひょっとすると同居人に会えるのではないかとの思いもありました。
まさか、イタコがいて口寄せをしてもらえるとは思っていませんでしたが、
実際に口寄せしてもらって、
3年半前に旅立って少しずつ影が薄れて来たような彼女の存在が、
再び色濃く蘇ったような気がしました。
イタコは、身近な人を亡くした悲しみを癒してくれる、
心理カウンセラーのような存在なのかも知れないと考えながら帰って来ました。
今回の恐山行きは、取りづらい指定席も取れましたし、
天気が悪く雨にも降られましたが、すぐに晴れました。
そして、いないと思っていたイタコの口寄せが体験できました。
何か同居人に引き寄せられたような感じがしないでもありません。