天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

長岡市と高梁市・・・

2018年07月12日 19時51分15秒 | 日記
 平成30年7月豪雨の被災地を支援しようと、
 新潟県長岡市が岡山県高梁市に職員と地元の防災団体の関係者を派遣するとの
 ニュースが、昨夜NHKが報じました。
 先週、長岡市に行ったばかりでもあり、このニュースが印象に残りました。

 北越戦争で敗れた長岡藩は、城下町が戦火に遭った事などから、
 河井継之助を恨む声が高まり、妻のすがなども苦労します。
 しかし、現在は長岡を代表する人物になっているようです。
 この河井継之助は陽明学徒でしたが、
 その縁で、備中松山の山田方谷に入門します。
 備中松山が現在の高梁市です。

 山田方谷も陽明学徒で、農民の出身ながら備中松山藩の財政改革を行った人物です。
 当時の藩主は板倉勝静で、幕末の幕府内で老中などを務めた人物ですが、
 勝静を内政面で支えた人で、備中聖人とも呼ばれています。
 岡山県の伯備線で、高梁駅から3つほど先の駅の名前が方谷ですが、
 人名が駅名になっているのも珍しい事です。
 司馬遼太郎の「峠」でも、方谷の下での河井の生活が印象深く描かれています。

 こうした先人達の縁で、支援をすると言うのも珍しいような気がしますが、
 両市は、現在でも歴史に関する講演会や資料提供などで頻繁に交流するなど、
 関係を密にしていたとの経緯もあるようです。
 今回の大雨被害では、こうした交流のある地域同士の支援もあるようです。
 災害支援協定などの協定を締結していなくても、
 何らかの縁のある地域へ支援の手を差し伸べているニュースを見ました。
 これも良い事だと思います。

 長岡市は、2004年10月23日の中越地震により大きな被害を受けました。
 災害のために全村民が避難した山古志村は、
 2005年の4月1日に、長岡市に編入合併しています。
 今回派遣された職員の方は、
 中越地震で被災者の支援や避難所の設営にあたった方のようです。
 高梁市では今回の記録的な豪雨で河川が氾濫して広い範囲が水につかり、
 今も多くの人が避難所で生活しています。
 是非、経験を生かした支援を行って欲しいと思います。

コメント
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