大人の休日俱楽部パスの最終日の7月3日は、新潟県の長岡市に行きました。
長岡市は、かねてから行ってみたい街でした。
幕末の北越戦争で町は大火に見舞われていますし、
太平洋戦争でも大きな空襲があってやはり広い範囲で焼失しています。
余り古い建物などは残っていないと思っていましたが、
それでも行ってみたいと思ったのは、
やはり長岡藩の河井継之助の足跡を辿りたいと思ったからでした。
河井継之助も最近は有名になりましたので、ご存知の方も多いかと思います。
僕は、中野好夫の「忘れえぬ日本人」で河井を知り、
その後、司馬遼太郎の「峠」を読んで、好きになりました。
「峠」は名著だと思っています。
長岡で行きたい所を探している内に、
ほぼ同じコースで駅からハイキングがあるのを知りました。
駅からハイキングは、JRがやっているウォーキングイベントです。
前から興味があったのですが、今回参加しても良いかなと思いました。
午前10時過ぎに長岡に着いて、観光案内所で駅からハイキングの申し込みをしました。
そして、そのルートに従って歩き始めました。
最初に行ったのが、如是蔵博物館でした。
ここは、1934年(昭和9年)、野本互尊が唱えた互尊独尊の思想を
後世に伝えようと設立された日本互尊社が運営している博物館でした。
野本互尊は、山本五十六に影響を与えた人物だったとの事で、
特に山本五十六関係の資料が充実していました。
博物館とは言え、誰も入館者がいなくて、3階建ての建物の中で
管理をなさっている小母さんと二人になりました。
この方の話が面白くて、思わぬ時間が掛かってしまいました。
山本五十六は山本家に養子に入った人物で、
山本家は、会津戦争で当時の当主の山本帯刀が処刑されたため家が断絶していました。
この山本帯刀は処刑の前に、宇都宮藩士に軍資金の一部を託し、
長岡藩兵の菩提を弔うのを依頼しました。
現在、宇都宮市内の六道の辻にその慰霊碑があります。
案内の小母さんは、この話をご存知なかったようで、
お話したら、早速ネットで検索して、慰霊碑を探し出していました。
興味のある展示物が多数ありました。
特に、「あだまもる 砦のかがり 影ふけて 夏も身にしむ 越の山風」の
北越戦争で戦死した盟友の時山直八を悼んだ歌を山縣有朋が詠んでいますが、
その書があるのに驚いてしまいました。
小母さんにその話をしたら、山縣は「越の山風」と言う言葉が好きだったようで、
軍中日誌の表題を越の山風としていたとの事でした。
若干後ろ髪をひかれる思いがありましたが、
次の河井継之助記念館に行きました。
この記念館は、河井継之助の邸宅の跡に建てられているとの事でした。
生涯を辿ったビデオがあるとの事なので、これを見せてもらいました。
若干汗が収まるまでの時間稼ぎの意味もありました。
ビデオは少し美化し過ぎではないかなと思いました。
博物館に、河井の旅日記「塵壺」の原本がありました。
小さい書物に、びっしりと書かれていました。
河井継之助記念館から、山本五十六記念館に行きました。
山本は、ブーゲンビル島で乗っていた飛行機が撃ち落とされて死亡しますが、
この搭乗機の左翼が展示されているのに驚きました。
また、山本が揮毫した「常在戦場」の軸がありました。
常在戦場は、選挙が近くなると政治家がよく口にする言葉ですが、
元々は長岡藩主の牧野家の家訓です。
この言葉を政界に持ち込んだのは田中角栄ではないかと思っているのですが、
果たしてどうでしょうか?
山本五十六記念館を出て中華料理店で冷やし中華を食べましたが、
その店の近くに平潟神社があったので、見て来ました。
立派な神社で、戦災の慰霊塔などもありました。
そこから、長岡市科学博物館にある牧野家資料館に向かいました。
結構長い道でしたが、日差しが強くて暑くて閉口しました。
しかし、長岡はやはり雪国なのでしょう。
古い家並の前には、雁木と言うのでしょうか、雪除けが主目的なのでしょうが、
アーケードのようになっていました。
この下を歩くと、日差しが遮られて涼しいのですね。
残念ながら、新しい家や駐車場の前などにはありませんでしたが。
この牧野家資料館への駅からハイキングの地図を持っていたのですが、
曲がる場所を間違えてしまったようで、道に迷いました。
交差点で信号待ちしていた自転車に乗った女子高生に道を尋ねたら、
分かる所まで、自転車を押して案内してくれました。
彼女は、高校3年生で、図書館の司書の資格を取れる所に進学したいそうです。
写真部なのですが、一眼レフのカメラを持ってないと言って、僕のカメラを見ていました。
場所が分かったので、丁寧にお礼を言って、受験を頑張るよう激励して別れました。
この牧野家資料館は、元の長岡市役所の3階にありました。
地元の方でも、まだ余り普及していない感じでした。
資料館で、昔の長岡城の模型を見て、現在のJR長岡駅は本丸の跡にあるのを知りました。
科学博物館では、「長岡藩主牧野家の至宝展」もやっていました。
幕末近くの歴代当主の写真がありましたが、
皆さん顔が長いのに笑ってしまいました。
俗に殿様顔と言って、江戸時代の殿様は長い顔の人が多かったそうです。
現在のご当主の写真もありましたが、この方はそれほどの長い顔ではありませんでした。
牧野家資料館から長岡駅に戻り、そのまま宇都宮に帰って来ました。
暑かった事もありましたし、4日目だったこともあり若干疲れました。
新幹線の中で、若い人が美味しそうにビールを飲んでいました。
家に帰って、僕も冷えたビールを飲みました。
とても美味しかったです^^
例によって写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
http://photozou.jp/photo/album/2882708
4日間の旅日記にお付き合い頂き、有難うございました。
とても充実した4日間だったと思います。
また、何かの機会があれば、あちこち出歩きたいと思っています。
長岡市は、かねてから行ってみたい街でした。
幕末の北越戦争で町は大火に見舞われていますし、
太平洋戦争でも大きな空襲があってやはり広い範囲で焼失しています。
余り古い建物などは残っていないと思っていましたが、
それでも行ってみたいと思ったのは、
やはり長岡藩の河井継之助の足跡を辿りたいと思ったからでした。
河井継之助も最近は有名になりましたので、ご存知の方も多いかと思います。
僕は、中野好夫の「忘れえぬ日本人」で河井を知り、
その後、司馬遼太郎の「峠」を読んで、好きになりました。
「峠」は名著だと思っています。
長岡で行きたい所を探している内に、
ほぼ同じコースで駅からハイキングがあるのを知りました。
駅からハイキングは、JRがやっているウォーキングイベントです。
前から興味があったのですが、今回参加しても良いかなと思いました。
午前10時過ぎに長岡に着いて、観光案内所で駅からハイキングの申し込みをしました。
そして、そのルートに従って歩き始めました。
最初に行ったのが、如是蔵博物館でした。
ここは、1934年(昭和9年)、野本互尊が唱えた互尊独尊の思想を
後世に伝えようと設立された日本互尊社が運営している博物館でした。
野本互尊は、山本五十六に影響を与えた人物だったとの事で、
特に山本五十六関係の資料が充実していました。
博物館とは言え、誰も入館者がいなくて、3階建ての建物の中で
管理をなさっている小母さんと二人になりました。
この方の話が面白くて、思わぬ時間が掛かってしまいました。
山本五十六は山本家に養子に入った人物で、
山本家は、会津戦争で当時の当主の山本帯刀が処刑されたため家が断絶していました。
この山本帯刀は処刑の前に、宇都宮藩士に軍資金の一部を託し、
長岡藩兵の菩提を弔うのを依頼しました。
現在、宇都宮市内の六道の辻にその慰霊碑があります。
案内の小母さんは、この話をご存知なかったようで、
お話したら、早速ネットで検索して、慰霊碑を探し出していました。
興味のある展示物が多数ありました。
特に、「あだまもる 砦のかがり 影ふけて 夏も身にしむ 越の山風」の
北越戦争で戦死した盟友の時山直八を悼んだ歌を山縣有朋が詠んでいますが、
その書があるのに驚いてしまいました。
小母さんにその話をしたら、山縣は「越の山風」と言う言葉が好きだったようで、
軍中日誌の表題を越の山風としていたとの事でした。
若干後ろ髪をひかれる思いがありましたが、
次の河井継之助記念館に行きました。
この記念館は、河井継之助の邸宅の跡に建てられているとの事でした。
生涯を辿ったビデオがあるとの事なので、これを見せてもらいました。
若干汗が収まるまでの時間稼ぎの意味もありました。
ビデオは少し美化し過ぎではないかなと思いました。
博物館に、河井の旅日記「塵壺」の原本がありました。
小さい書物に、びっしりと書かれていました。
河井継之助記念館から、山本五十六記念館に行きました。
山本は、ブーゲンビル島で乗っていた飛行機が撃ち落とされて死亡しますが、
この搭乗機の左翼が展示されているのに驚きました。
また、山本が揮毫した「常在戦場」の軸がありました。
常在戦場は、選挙が近くなると政治家がよく口にする言葉ですが、
元々は長岡藩主の牧野家の家訓です。
この言葉を政界に持ち込んだのは田中角栄ではないかと思っているのですが、
果たしてどうでしょうか?
山本五十六記念館を出て中華料理店で冷やし中華を食べましたが、
その店の近くに平潟神社があったので、見て来ました。
立派な神社で、戦災の慰霊塔などもありました。
そこから、長岡市科学博物館にある牧野家資料館に向かいました。
結構長い道でしたが、日差しが強くて暑くて閉口しました。
しかし、長岡はやはり雪国なのでしょう。
古い家並の前には、雁木と言うのでしょうか、雪除けが主目的なのでしょうが、
アーケードのようになっていました。
この下を歩くと、日差しが遮られて涼しいのですね。
残念ながら、新しい家や駐車場の前などにはありませんでしたが。
この牧野家資料館への駅からハイキングの地図を持っていたのですが、
曲がる場所を間違えてしまったようで、道に迷いました。
交差点で信号待ちしていた自転車に乗った女子高生に道を尋ねたら、
分かる所まで、自転車を押して案内してくれました。
彼女は、高校3年生で、図書館の司書の資格を取れる所に進学したいそうです。
写真部なのですが、一眼レフのカメラを持ってないと言って、僕のカメラを見ていました。
場所が分かったので、丁寧にお礼を言って、受験を頑張るよう激励して別れました。
この牧野家資料館は、元の長岡市役所の3階にありました。
地元の方でも、まだ余り普及していない感じでした。
資料館で、昔の長岡城の模型を見て、現在のJR長岡駅は本丸の跡にあるのを知りました。
科学博物館では、「長岡藩主牧野家の至宝展」もやっていました。
幕末近くの歴代当主の写真がありましたが、
皆さん顔が長いのに笑ってしまいました。
俗に殿様顔と言って、江戸時代の殿様は長い顔の人が多かったそうです。
現在のご当主の写真もありましたが、この方はそれほどの長い顔ではありませんでした。
牧野家資料館から長岡駅に戻り、そのまま宇都宮に帰って来ました。
暑かった事もありましたし、4日目だったこともあり若干疲れました。
新幹線の中で、若い人が美味しそうにビールを飲んでいました。
家に帰って、僕も冷えたビールを飲みました。
とても美味しかったです^^
例によって写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
http://photozou.jp/photo/album/2882708
4日間の旅日記にお付き合い頂き、有難うございました。
とても充実した4日間だったと思います。
また、何かの機会があれば、あちこち出歩きたいと思っています。