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毎日の暮らしの中にある大好きなもの、こと、出合(会)いなどについての気まま日記

夢見つつ深く植えよ

2006-06-24 09:23:53 | 読書
長いさすらいの実りを
収穫する祝福された人よ
大いなる遍歴ののちにようやく
ふるさとへ船を向けた老ユリシリーズにも似て
知恵に熟し身丈をのばして
夢見る想いを深く植えるために

小川も林もある3万6千坪の広大な土地に立つ、ひどく傷んだ18世紀の家。
見に行ったその日に、楓の木のてっぺんで歌った高麗うぐいすの声に後押しされるように、46歳にして初めて自分の家として所有することになる。
ボストンから、何ひとつ知ることのないニューハンプシャーのネルソンという片田舎に移住した、サートンの自伝的エッセーだ。
詩人であるサートンは、この老家と庭を再生、創造することによって人生哲学を深めていき
「異なった年齢において、われわれは人生のまったく新しい事実に遭遇する」
ラ・ロシュフーコーの言葉を自身で経験していく。

20歳のとき、私たちは不死身だ。けれど55歳を過ぎると死の予覚のために、われわれのもっとも内奥の生活の質が変わる。突如として時間が短縮される。
浪費を慎み、自分にとって重要なことでないことを鋭敏に自覚しなくてはならなくなる。
若いときならではの楽しみがあるように、人生の半ばを過ぎての楽しみもある。
若いとき、ひなげしの花びらを通して輝く光に心を奪われる時間があったろうか。

画家のターシャチューダーにも共通するものを感じるけれど、深い自然の中では芸術家でない凡人でも、思索するようになるのではないだろうか。
木が切り倒され、古い家が壊され、新しい家が建つ。
土の部分がセメントで塗り固められる。確かにぬかるむこともなく便利だけれど、心の荒廃と関係があるように思う。

「夢見つつ深く植えよ」 メイ・サートン