たろの日記ページ,gooブログ版

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お金とオークション

2005-06-23 11:55:12 | ココロ
一昨日の話の続きをちょっとだけ…。しつこくてすみません。
一昨日の話を書く前に,またオークションの話を書こうと思っていたら,一昨日のネタがあったので,一昨日は社会的希望の話になったのでした。
あまり物事を単純化して,一つのことに原因を集約させるのは良くないとは思いますが,やっぱり「お金」が人の中の物差しとして,他を圧倒するような存在に,少なくと日本ではなっていることに危機感を感じます。お金というのが何なのか?…って話は5年程前に書きましたが,簡単に言うと,すべてのものの価値を一つの物差しで測り,そして交換可能にした…ということがその恐ろしさの元凶でしょう。すべてのものと交換可能なので,お金さえ持っていれば一人でもどんな状況になって生きていける,困らない…という「幻想」が生まれるのです。実際はお金の価値は単に国が保証してるだけなんですけど…。
昨日書いた話は,結局社会不安を払拭するためにお金への固執が使われていて,それ以外(他人とか社会とかとの関係性)より重要視されてきているという問題。そして元々書こうかと思っていたのは,ネットオークションというのが「価格決定のプロセスを衆人の前に公開し,かつ誰でも何とでも交換可能」としたことの問題です。
情報を一般の目にとまるようにし,かつ誰でもそのプロセスに参加できるというネットオークションは「情報の公開こそが善である」という幾分行き過ぎの信仰が広まる現代ではなにも悪いことではないように思われます。確かに以前はものの価格が業界の中で閉じて決定されていて,流通の手段も業界が独占していた時代でした。しかし,確かに一般の人に見えないところで価格決定がされていたかも知れませんが,そこには業界の慣習や市場を護るためにコントロールされていた部分があったのも確かです。ネットオークションの広まりは業界はともかく市場を無視し短期的に投機的に儲かればいいという人が,そこでのやり取りに入ってくるわけで,「それが経済だ,資本主義だ」と言われれば反論はできませんが,すべての業界,すべての市場がそういう草狩り場になってしまうわけです。
わたしは4年前くらいまで一時期ネットオークションを利用してましたが,その頃わたしがネットオークションをいいと思った点は,「リサイクル」と「直接必要な人同士での物々交換」的なところでした。ところが,今のオークションは「必要な人により高額で売り捌く」という場になってしまっている気がします。もちろん,売り捌く側のリスクもありますし,リスクを背負うからこそ商売になるっていうのもわかりますけど…。
個人的な好みではわたしが見いだしていたような利用が主となるようななんらかの制限があった方がいいと思います。少なくとも現状はいろんな犯罪やトラブルの元になっているという事実もあるのだし…。
あと,もう一つ…やっぱり,「お金」以外の価値観を重要視するようななにかが必要な気がします。こっちはオークションじゃなくて社会への望み…ってことで…。
コメント
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