たろの日記ページ,gooブログ版

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価値観の単純化と不安の払拭手段

2005-06-21 12:58:22 | ココロ
「希望格差社会」の山田昌弘教授の講演とその感想について。興味深いのでメモ。
わたしはこれまで何度も書いている,ここでも近い指摘をしていると思いますが,階級が無く,更に価値観が単純化してることが結局のところ原因かと。「価値観が単純化?,多様化の間違いでは?」と思うかも知れませんが,わたしは現在の価値観の多様化というのは表層的な部分が多様化してるだけで,根本的なところはむしろ単純化というより狭まってる気がします。ぶっちゃけていうと「金銭」で物事をすべて測るようになっていると。つまり金銭的成功としての様々な成功例があるわけで…。
このことは,地域や組織と「個」のつながりが弱くなり人間一人一人が孤立が強い世の中になり,そうなるとすべての個に共通の価値である金銭に頼ざるをえない世の中になっているということではないでしょうか?。昔の村社会ではある個人が経済的に破綻しても周りの人が面倒を見るというセーフティネットがあったり,戦後の日本でも使えないやつでも会社がそれなりに食わせてくれる…という不文律があったりした気がします。ですから,金銭的成功だけではなく,そういう人間関係をうまく作っていくことで,乗り越えていた人達がたくさんいたわけです。そういえば,今の都会では近所に余ったものを配る…という風習なんてほとんど見られません。
わたし自身がいい歳をして独り暮らしなので思うのですが,一人で将来不安無く暮していく…っていう見方で考えると相当な貯蓄や収入がないと不安です。しかし実際にそれだけの収入や貯蓄を多くの人が得ることなんて不可能でしょう。「希望を持てない」というのもあるのですが,「不安を払拭する手段がない」と言う方が大きいようにも思います。
階級社会が無い日本の弊害については今回は書きません。弊害は弊害だと思うけど,階級社会の方がいいというつもりは全然ないので,誤解無き様。
それから,以前のような地域や組織と「個」が密着した社会が良いと単純にいってるつもりもありません…というかそこに戻る手段が具体的に良く見当たらないので…。まぁ今の日本で一番組織と個が密着してるのって宗教団体かもしれませんが:-p。
いずれにせよ,ちょっと気になるのがニートにしても引き籠もりにしてもココロの分析の話として語られることが多いこと。もちろんココロの問題なのですが,そういう状況に至ったのは社会システムの変化でしょう。中で言われているように「しくみ」を作ることが重要でしょうし,それだけではなくもっと社会システムを見直す必要があるように思います。ココロの問題にしてしまうとまるで「そう思っている人のせい」っていう風なニュアンスになって個人にその責任が帰着するような気がして気持ち悪いのです。
それと読めばわかりますが,わたしは今回は「希望」じゃなくて「不安の払拭」という見方で書いてます。希望格差社会の議論は「希望」という点に視点が行きがちですが,「不安」という要素も重要でしょう。わたしは不安と希望は表裏一体ではないと考えていますので,希望を考えれば不安の払拭を考えたことにはならないと思います。
わたしはニートでも引き籠もりでもないのですが,やっぱりお金で不安を払拭するような社会はどうも居心地が悪い。なのでそうではない社会がどうやったら出来るか?…ということには関心があります。
コメント
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