たろの日記ページ,gooブログ版

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言い訳として正論をかざす品格

2009-08-16 07:47:53 | ココロ
ネットでよしもとばなな女史が飲み屋で持ち込みをしたら「店長に注意されたのだけど,それで客を失っただろうとか,その店は店長が変わるか店がつぶれるだろう」と書いているのに疑問を感じている文章が話題になってました。
正直わたしもこの文章を読んで,よしもと女史の方にあまり好感をもてなかったのですが,ネットでも「自分達を特別扱いしろ」みたいに書いているのが不快だとか,「昔は良かったのに」と言いたげなのが不快だとか,そんなことが書いてます。
まぁ確かにわたしも同じようなことを思うんですが,ただ一番一番よしもと女史に共感しないのは,よしもと女史自身がその店長に注意,もしくはよしもと女史の行動で店員が店長に怒られたことの原因になっており,つまりよしもと女史が当事者であるのに,あたかも自分が客観的に「あの店は今後商売に失敗するだろう」と評してるからです。まったく利害の外にいる第三者が,この一連の流れを目撃して評していれば,まぁそういう見方もあるわな…とは思うのですが,怒られた当事者が,そういう客を大事にしない店は良くないと,しかもその「客」というのが自分たち自身だったりするわけですから,単に自分達がまずいことをやったことを正当化するために,言い訳を考えたように見えるのです。これって冷静に書いているようですが一種の逆切れですよね。「冷たい逆ギレ」と銘しましょうか:-)。
どんなに正論であっても,当事者だけで評している場合,それが本当に正しいことなのか?平等なことなのかわかりません。もしかしたら,よしもと女史が自分で飲食店を経営して,持込をする客がいても持ち込みは客を大事にするために許容すべきだといえるのでしょうか?。よくわかりません。こういうことは,当事者が語る上では客観的な意見じゃないのだと思います。それを頭がいい人は客観的な事実の様に語ろうとする,でもそれははたから見ると,自分を正当化するために言い訳してるとか,逆ギレしてるって言う風にもみえるんですよね。だからなんとなく,わたしはこの文を読んだときに品がないなぁ…とも思いました。ただ,一方でこの文が売っている本に書かれている…ってことを観るに,こういう文を支持する人も結構いて,それを計算して,こういう文を書いているのか?とも思うと,わたしがこう書くのも計算のうちなのかと思うと,だとすると向こうがさらにもう一枚以上上なのか?などとも感じてしまいました。品がないのも芸風…というか。
いずれにせよ,わたしが普段医療とかの話で書いているように当事者の意見は貴重だけど,それを一般論の様に,さらにまるで相手や世間のための様に語るのは,ちょっと違うような気がする,というようなことを,このことでも思いました。
コメント (2)
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