京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤ後の生活を綴っていきます。
日本ぶらり旅や、京都のおいしいお店、海外旅行にも行けたらいいけど。。

東北旅行8 会津若松さざえ堂と武家屋敷

2016-05-29 14:25:00 |  国内旅行

東北の旅1 銀山温泉へ
東北の旅2 銀山温泉能登屋・散策
東北の旅3 銀山温泉散策・ライトアップ
東北旅行4 銀山温泉能登屋夕食~
東北の旅5 会津若松へ
東北旅行6 会津若松 鶴ヶ城
東北の旅7 白虎隊
東北旅行8 さざえ堂と武家屋敷
東北の旅9 東山温泉庄助の湯瀧の湯
東北旅行10 瀧の湯・夕ご飯~郡山へ
東北の旅11 日光の町
東北の旅12 日光山輪王寺・東照宮五重の塔
東北旅行13 東照宮三猿の教え
東北の旅14 日光東照宮・陽明門・唐門
東北旅行15 日光東照宮・眠り猫・鳴龍・二荒山神社
東北の旅16 日光温泉日光千姫物語
東北の旅17 ナチュラルパークツアー華厳の滝・中禅寺湖
東北旅行18 日光・中禅寺・龍頭の滝
東北旅行19 明治の館~京都

  東北の旅7 白虎隊の続きです。

3月5日(土)

国指定重要文化財 さざえ堂

飯盛山では、白虎隊十九士の墓や宇賀神堂をお参りした後、
国指定重要文化財 「さざえ堂」 を参拝。
正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」

1796年に建てられ、六稜三層の形がさざえに似ていることから
さざえ堂と親しまれています。  

参拝後、運転手さんに、中に入ることもできますよと言われ
では。。と、主人と中に入ってみる事に。

上がりも下りも階段ではなく、らせん状のスロープを
ぐるぐる周っていきます。

上がりと下りの道が別々という珍しい構造の建物になっていて
参拝者たちは、すれ違うことなくお参りできるのです。

210年も前の古い木造建物で大丈夫かな。。と思ったけど、
中は結構しっかりしていて、

しかも2重のらせん状構造なんて。。どうなってんの?
。。って感じです。

 

昔は、スロープに沿って西国三十三観音像が安置され、
参拝者はこのお堂をお参りすることで、
夢の西国三十三観音参りが、あっという間にできたそうです。

明治になって、西国三十三観音像は取り外され、
西国三十三観音参りはできなくなりましたが、

建築史上の特異性が認められ、平成7年に国重要文化財に
指定されたそうですよ。

成瀬桜桃子句碑

近くにこんな句碑が。。

成瀬桜桃子(おうとうし)の
「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」

さざえ堂が若干傾いている様に見えることから、
ピザの斜塔と重ねたのかもしれませんが、
なぜ、ここにピザの斜塔が出てくるの?と不思議。。

 

でも、そういえば、ローマ市からのボンペイの遺跡を使った
塔の寄贈があったり。。

会津とイタリアは何か特別な関係があるのかしらね。。

武家屋敷へ

さて、飯盛山を後にして、次は武家屋敷を見に行きます。

 

旧滝沢本陣

まずは、旧滝川本陣。

旧滝川本陣は、江戸へと続く旧白河街道沿い滝沢峠の入り口にあり、
江戸おもてへの参勤交代や領内巡視、旅支度の休憩所として
使われていたそうです。

 

白地に黒字の会津藩の旗印。

シンプルですが、ちょっと愛嬌があって可愛いです。
1643年、保科正之が会津初代藩主となった時、
家紋は会津葵、旗印は「会」の旧字体「會」の漢字一字としたそう。

でも、よく見ると、「會」は真ん中の縦棒が突き出た字の形に
なっていますね。

 

新政府軍は、滝沢峠を越え城下に侵入したので、
戦場となった滝沢本陣には今も砲弾や刀傷が残されています。

ほら、あそこにも。。と運転手さんが教えてくれた場所にも
砲弾の跡や刀傷があって、
本当に、ここが戦場だったんだ。。

  

今のこんなにのどかな景色からは、ちょっと想像できません。。

会津武家屋敷

さて、次にやって来たのは会津武家屋敷です。

会津藩家老 西郷頼母(たのも)邸を中心に、
中畑陣屋(県重要文化財)などが並ぶ歴史文化総合観光施設です。

  

西郷頼母(たのも)家老屋敷

西郷家は会津藩松平家譜代の家臣で、代々家老職を務め1700石取りの家柄。
敷地面積2400坪、建築面積280坪のお屋敷には、
部屋が38もあり、畳の総数は328枚なのだそうです。

表門を通り、表玄関へ。

奥方の人形が出迎えてくれます。人形はマネキンではなく蝋人形。

挨拶する奥方の手の先が少し上に上がっているのは、
手の内を見せる、つまり二心のない本心を
お見せしていますという意味なのだそう。。

武士の時代には、こんな所にも気を使っていたんですね~。

各部屋には生活調度品がおかれていて、
その当時の生活の様子が忍ばれます。

こちらは台所。お釜がいっぱい並んでいますね。

八重の桜

会津といえば、NHKの大河ドラマ八重の桜が
思い出されますが、

 

会津でのロケは、ほとんどなかったんですよ。。
と、運転手さん。

この武家屋敷では、こちらのシーンが撮られたそうで
DVDで、その場面だけを映しているのが面白かったです。

そりゃ、ここがロケに使われたとあらば、
武家屋敷の誇りですもんね。 

御成りの間の厠

こちらは御成りの間(おなりのま)の厠(かわや)

御成の間とは、お殿様が来られた時に使われる部屋の事。
つまり、会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)が
使われたお手洗いという訳です。

敵の間者が忍び込むのを防ぐため厠に天井はなく
三畳の畳敷きの部屋になっています。

天井はないし、広すぎるしで。。
なんだか落ち着かないでしょうね。。

床下には木製のレールの上に、砂を敷いた箱車があります。

医師が、お殿様の健康具合を便でチェックしてから
砂と一緒に捨てたそうです。
でも。。お殿様って大変。
プライバシーなんて、ほんと、ないんですね。

自刃(じじん)の間

若松城下の武士は妻子を含め新政府軍が侵攻してきた時は、
鶴ヶ城に籠城するよう言われていたそうです。

しかし、1868(慶応4)年8月23日、
政府官軍と会津藩の戦いが激しくなる中、

西郷家の婦女子21名は鶴ヶ城に籠城することなく
集団自刃の道を選びました。

「婦女子は足手まといになるから」
「新政府軍に捕まり恥辱をうけることを避けるため」

というのが一般的な理由ですが、

「新政府軍の会津に対する非道さに対する抗議」とか、

あるいは、ずっと京都守護職就任に反対し、
新政府と和平交渉することを訴えた西郷頼母を長きに謹慎させ
籠城の折には籠城戦闘員から外した主君松平容保への
物言わぬ抗議であったという説もあるそうです。

そうか。。歴史って知れば知るほど、深いものなんですね。。

老屋敷の中には、逆さ屏風(死の儀式のときは屏風を逆さにする)
の前での西郷婦女子の自刃の様子が
蝋人形で復元されています。

下は4つや2つの女の子にまで手をかけるなんて、
その気持ちを考えると、恐ろしくて、怖くて。。
実は、その時はとても写真を撮ることはできませんでした。

でも、ネットで写真を見つけたのでやっぱり載せておきます。

死にきれなかった長女、細布子(16歳)を
土佐藩士中島信行が(薩摩藩川島信行とも言われていますが)
「我ハ味方ナリ」と言って介錯する場面は有名で
八重の桜でも描かれていましたよね。

でも。。本当にショッキングな蝋人形でした。

 
中畑陣屋

家老屋敷の後は、武家屋敷の周りの片長屋を見て、


次は福島県西白河郡矢吹町中畑より移築した中畑陣屋です。

陣屋とは、徳川幕府直轄領の役所のことをいいます。

 現在は、福島県の重要文化財に指定されているそうですよ。

色々と教えて下さった運転手さん。
でも、もうそろそろ武家屋敷探索も終わりです。

 石風呂

最後に、ほんものの石風呂を見せてもらいました。

昔の日本人は小さかったとはいえ、なんと小さな
お風呂。。 

昔の一般家庭に据えられていたお風呂で、
浴槽内を通っている煙突の熱で湯をわかしたそうです。
沸かし口は杉の皮などで密閉し、熱くないように
工夫していたようですが。。

この小さいお風呂で、まだ沸かすための煙突と
杉の皮の保護部分があったら。。

まっすぐ立って、そのままそっと浸かるしかないな。。
って感じですよね。

運転手さんも、

ま、湯に浸かってくつろぐというより
肩から掛けた湯が流れないようするという感じでしょうね。。。

なるほど。。

昔の石風呂からしたら、現代のお風呂って。。
夢のまた夢のようなお風呂なんですね。

 

さて、次は、少しお買い物をして、その後は東山温泉です。

東北の旅9 東山温泉庄助の湯瀧の湯へ続きます。

 

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東北の旅7 白虎隊

2016-05-26 00:15:00 |  国内旅行

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東北旅行19 明治の館~京都

東北旅行6 会津若松 鶴ヶ城の続きです。

3月5日(土)

さて、次に向かったのは飯盛山です。
飯盛山は、幕末の頃、白虎隊の少年兵が自ら命を絶った場所。。

父との思い出

実は、会津若松にぜひとも行ってみたかったのは
父が亡くなった時の思い出があるからなんです。
気付かぬうちに、私は、
父が亡くなった年とおない年になってしまいました。

父が亡くなったのは、1986年の11月。
もう、30年も前のことです。

その前年から日本テレビで、12月30日31日の2夜連続
年末時代劇スペシャルが放映されました。
1985年の初回、忠臣蔵を見て面白かった~と感動した父は
1986年12月放映予定の、白虎隊もとても楽しみにしていました。

白虎隊は、戊辰戦争の会津藩の悲劇を描いた物。
この年の年末のテレビを楽しみにしていたのに。。
まさか自分が11月に死んで、12月の白虎隊の時代劇スペシャルを
見れないなんて、父も思っていなかったと思います。
父は長く腎臓を患っていましたが、10月ごろ入院、
その後肺炎をこじらせての死でした。

父が亡くなって2か月も経たない12月末、
堀内孝雄さんが歌う 愛しき日々の歌をバックに
放映された白虎隊の時代劇。

私は、その時代劇を涙いっぱいで見ながら
父にも見せてあげたかったな~と思ったものでした。

そして、いつか、白虎隊の地、会津若松の飯盛山に
父の代わりに行こう。。というか、
いや、そんなたいした事ではありませんが、
いつか行ってみたい。。と思うようになっていたんです。

飯盛山

タクシーの運転手さんに連れられて、
今その飯盛山へやってきました。

飯盛山は、会津若松市街の東2キロにある
会津の町を一望に見渡す小高い山。  

この階段を上がっていくらしいのですが。。

 この階段を上がられますか?それとも近くまでいきましょうか?

と言われ、二人とも、近くまでお願いします。 
(階段横には有料のエスカレーターもあるそうですが。。)

タクシーが停まったのは、奥州會津飯盛山本参道と書かれた
道のすぐそば。

こちらの方が本来の参道だそうですよ。

鳥居の下をくぐり、坂道を歩いていきます。

 

と、坂道を上がった所に小さな池と洞穴がありました。

戸ノ口堰洞穴

猪苗代湖の水を会津地方に引くために掘られた
戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)です。

戊辰戦争時、戸ノ口原で敗れた白虎隊20名が
飯盛山目指して潜った洞穴だそうで、

長さ約150メートルの冷たい水が流れる洞穴を、
水に浸かりながら命からがら進んだ洞穴なのだそうです。

こんなに小さくて狭い洞穴を少年たちが必死で
進んだなんて。。

 白虎隊

会津藩の武士の男の子たちは、10歳になると日新館という
藩の学校に入学する決まりになっていました。

白虎隊(びゃっこたい)は17歳以下15歳までの日新館の生徒ですが、
戦争が始まると、生徒たちは調練場で厳しい訓練を受けていました。

会津の隊には、

玄武隊(げんぶたい):50歳以上
青龍隊(せいりゅうたい):49歳以下36歳まで
朱雀隊(すざくたい):35歳以下18歳まで
白虎隊(びゃっこたい):17歳以下15歳まで※のちに16歳まで
その下に、幼少組:15歳14歳があったそうですが、

このうち、もっとも強い朱雀隊が第1線にくりだし、
青龍隊が国境を守り、玄武隊、白虎隊、幼少隊は控えでした。

ところが、新政府軍が国境に迫り、
会津の危うきを見ていた白虎隊の少年たちが自ら申し出て、
白虎隊は朱雀隊のように戦いに臨むことになったのです。

こうして力もなく経験も少ない少年兵の白虎隊が、
青年たちと同じように戦うことになったのでした。

こちらは、白虎隊が辿った道を表した石碑。

 

 本来白虎隊は300名以上いたらしいのですが、
この飯盛山にやって来たのは中二番隊の20名だったそうです。

飯盛山自刃の地

新政府軍の猛攻から逃れ、冷たい水の中を必死に走り
やっとたどり着いた飯盛山。

でも、その飯盛山から見た城下町は火の海となり、
鶴ヶ城は黒い煙に包まれていたのです。

まだまだ経験も少なく幼く疲れ切った少年たちは、
鶴ヶ城ももはや落城し、自分達の帰るところはもうないと
集団自決を選んだといいます。

ここから見る景色は、そんなに高い建物もなく
少年たちが見た時の景色と今もそんなに変わらないのだそうです。

 

ここからだと拡大しても小さくしか見えない鶴ヶ城、
赤い火と黒い煙に包まれ、落ちたように見えたのでしょうか。。

でも、本当は、鶴ヶ城は落ちていなかった。。

が、落ちたと誤認し悲観して自決したのではなく、
このまま敵に捕まっては、主君や家族に申し訳がたたないという気持ちで、
武士の息子らしく潔く自刃したのが真相だとも言われているそうです。

どちらにしても、幼い少年たちが自ら命を絶った
自刃の場所はこちらです。

しかも、自刃した少年の遺骸は、
新政府により、動かすことを禁じられていたそうで、
自害後三か月もそのままにされていたのだそうです。

そのあまりもの悲惨さに、村人が遺体を埋葬してくれたのだとか。。

綺麗な空の青が、こんなにもむなしくこんなにも哀しく感じるのは
初めてです。

 

運転手さんは、
ここでの白虎隊の話は有名だけど、
本当は、その話の影に何百もの少年兵の死があるんですよ。。
知られてないけれど。。と言ってられました。

歴史が好きだった父に、白虎隊の地に来たよ。。と伝えた時、

あの年、時代劇白虎隊の中で流れた堀内孝雄の「愛しき日々」の

かたくなまでの一筋の道
 愚か者だと笑いますか。
 もう少し時がゆるやかであったなら~
というフレーズを思い出しました。

本当に時代の流れ方がもう少し違っていたら、
そんなにたくさんの若い命が消えることはなかったかもしれない。。
と、切なくなってしまいました。

白虎隊士の墓

白虎隊自刃の地をから戻り、白虎隊士の墓へ行きました。

こちらが、その白虎隊19名 のお墓。
お墓の写真はあまり撮りたくないので、この一枚だけですが、
京都の黒谷さんにある会津藩士のお墓によく似ています。

そのことを運転手さんに話すと、

そうなんですか~。京都の会津藩士のお墓は
白虎隊のお墓に似ているんですか~。と感激され、

一度京都の会津藩士のお墓参りに行ってみたい。。
会津の人でそう思っている人はたくさんいますよ。
私もいつか行ってみたい。。と言ってられました。

白虎隊20名の中でただ一人生き残った
飯沼貞吉さんのお墓は、貞吉さんたっての希望で
白虎隊が自刃した場所と19名の墓の間に造られました。

貞吉さんは、生き残ってしまった自分を恥、
会津の地から離れてしまい、
白虎隊のことを話すことはあまりなかったそうですが、
最後に貞吉さんが語ってくれた事で、飯盛山で自刃した白虎隊の話が
人々に知られることとなったのです。

ローマ市寄贈の碑

白虎隊のお墓の近くには、鷲が翼を広げた
トーテムポールのような塔があります。

これは、白虎隊士の精神に深い感銘を受けた
ローマ市からの寄贈だそうです。

ポールは、なんと、噴火で埋没滅亡したイタリア南部の都市
ポンペイの遺跡から発掘された神殿柱なのだとか。。

こんなところで、ポンペイの遺跡に会えるなんて。。
なんだか、びっくりです。。

 宇賀神

白虎隊十九士之霊像が安置されている宇賀神堂 。

 正面上に掲げられているのは「白虎隊士自刃之図」。

白虎隊十九士之霊像の手前の写真には
蘇生して生き残った飯沼貞雄(貞吉改名)さんの写真も飾られていました。

 

会津は教育に熱心な藩で、
会津の武士の息子たちは、10歳で日新館入る前の小さい頃から

年上のいう事に背むかない、
卑怯な行いをしないなど、
色々なおきてを厳しく教えられてきたといいます。

「ならぬことは ならぬものです」

将来、りっぱな武士となるためのおきて
でも、それをかたくなまでに守り抜こうとした
少年たちの思いが、集団自決という悲劇につながったのかも
しれないと思うと、改めて教育の難しさ大切さを感じました。

 東北旅行8 会津若松さざえ堂と武家屋敷へ続きます。

 


 参考

白虎隊20名の中でただ一人、喉をついて生き残った
飯沼貞吉さんに関する動画を最近見つけました。
新たな発見があって感動でした。
この放送を作成したのが、元長州藩の山口放送だというのも
感慨深いです。

  https://youtu.be/y25ejczLUGg

  

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東北旅行6 会津若松 鶴ヶ城

2016-05-23 12:32:00 |  国内旅行

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東北の旅5 会津若松への続きです。

3月5日(土)

会津若松鶴ヶ城

会津若松観光で、まずやって来たのは、鶴ヶ城です。

県外では会津若松城と呼ばれることが多いようですが、
地元では蒲生時代に名付けられた鶴ヶ城(つるがじょう)と
呼ばれているそうです。

遊女石(ゆうじょいし)

お城の天守閣へ行く為、椿坂と呼ばれる坂道を歩いていきます。
鶴ヶ城の石垣は、野面(のづら)積みと言われる積み方で、
自然石を組み合わせて積み上げていくのだそうですが。。

タクシーの運転手さんが止まって、
こんなに大きな石をどうして積み上げることができたのか。。
分かりますかと、私達にクイズ。

真中の大きな石ですが、
推定7.5トンもある城内最大の大石だそう。

え。。っと私達。そんな。。見当もつきませんよね。。

運転手さんの話によると、

この石は、余りにも重たくて動かせなかったので、
石の上で綺麗な女の人が踊り、その美しい姿で
石を運ぶ男達の勢いをつけて石を動かしたそうです。

だから、この石を遊女石って呼ぶそうですよ。

今も昔も、女性の力は強いってことでしょうかね。。

へ~っ。。と遊女石を見上げる主人です。

武者走り

鶴ヶ城の大手門の渡り櫓(やぐら)などに、
兵が簡単に昇り降りできるよう、V字型に造られた武者走り。

鶴ヶ城は、明治7年に取り崩され、
昭和40年に再築されたのですが、
ここは、取り崩しを免れたので、
築城当時の姿をそのまま留めているそうですよ。

石垣のずれ

 東日本の大地震でも、鶴ヶ城の石垣は崩れ落ちる事がなかったのですが、
一部ずれてしまったところもやっぱりあるそうです。

確かに、この部分ちょっと石垣がずれていますよね。

でも、大きく崩れてしまうことがなくてよかったです。

稲荷神社

600年前お城のできたころからの守り神社。

今は、学業成就、商売繁盛、家内安全や交通安全祈願など、
地元の方の強い味方鶴ヶ城稲荷神社だそうです。

個人で行っていたら、見過ごしてしまうような色々な所を
丁寧に教えて下さる観光タクシーの運転手さん、
何を聞いても答えて下さって、ほんとすごいです。

そして、いよいよ鶴ヶ城。

鶴ヶ城

鶴ヶ城は、古くから難攻不落の名城と言われ、
戊辰の戦争で新政府軍の猛攻にあって籠城すること一か月。
それでも最後まで落ちることがなかったお城です。

白虎隊の少年兵は、城下町からあがる火や煙で
お城が落ちたと思って落胆し自刃(じしん)したんですよね。。
でも、本当はお城は落ちていなかった。。

白虎隊のお話は、次にまわしますが、
そんな幕末の悲劇を生んだお城でもあります。

昭和40年再築されたという鶴ヶ城、綺麗ですよね。
  

普通、なかなかこんな写真は撮りませんが、
運転手さんに勧められてこんなポーズを。 

実は、横で私も同じポーズをしています。。
でも、写真はカットカットです。

 天守閣からの眺め

天守閣の中は郷土博物館となっていて、
会津の歴史に触れることができます。

鶴ヶ城の天守閣の一番上に登ってきました。見晴らしいいですね~。

会津は京都と同じ盆地なのだそうです。

運転手さんは、慣れておられるのでしょう。
ささっと軽く階段を昇られますが、
私達はその後をはぁはぁ言いながらついていきました。

でも、上に登りきった後は、風が吹いて気持ちいい~。

 

会津の町が見渡せて、登ってきてよかった~と思います。

珍しい赤瓦

鶴ヶ城の天守の瓦は、全国的にも 珍しい赤瓦が使われています。

 

昭和の再築の時には黒い普通の瓦だったそうですが、
2011年3月に大改修を行い、会津松平藩の藩祖保科正之公の時代に使っていた
美しい赤瓦に葺き替えられたそうです。

表面に薬を塗って焼いた赤瓦は強度があり、
会津の冬の厳しい寒さや雪の凍結にも耐えられるのだそうですよ。

赤瓦と白のコントラスト、綺麗ですよね。

松の木の上にかぶさっている傘のようなものは、
雪落しだそうです。

松の上にずっしりと雪が積もるのを防いでくれるそうです。 
ま、今年は、ほとんどお役に立っていないようですけど。。

「荒城の月」の歌碑

鶴ヶ城には「荒城の月」(作曲:滝廉太郎 作詞:土井晩翠)
の歌碑も建てられています。

春高楼の 花の宴 巡る盃 影さして
千代の松が枝 分け出でし 昔の光 今いずこ

荒城の月のモデルだと言われる城は全国に5つあるそうですが、

鶴ヶ城は作詞の土井晩翠が会津で講演をした時、
荒城の月は鶴ヶ城のことを思い浮かべながら作詞した
と言ったことからモデル城だと言われているそうです。

  

その他には、土井晩翠の出身地である仙台の青葉城、
土井晩翠がよく立ち寄ったとされる岩手県二戸市の九戸(くのへ)城、
滝廉太郎の出身地の大分県竹田市の豊後竹田城(岡城)、
滝廉太郎が小学生の頃過ごした富山の富山城なのだそうです。

でも、幕末の惨劇にも落ちることなくその荒れ果てた姿を
残した鶴ヶ城こそが、
荒城の月の歌にはぴったり合っていそうな気がします。

見所いっぱい

その他にも、体が銀、目がダイヤモンド
できているしゃちほこや、

朱色が鮮やかな廊下橋と、鶴ヶ城随一の規模で
積み上げられた高石垣。

千利休の息子、少庵が建てたといわれる茶室麟閣(りんかく)など
鶴ヶ城には見所が満載。 

 鶴ヶ城歴代城主

 最後に、鶴ヶ城歴代城主について説明してもらいました。

会津は、戦国時代に葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と
数多くの大名が治めた歴史があります。

一つのお城がこんなにも色々な大名に治められたのも
珍しいですよね。

せっかくなので、家紋とともに教えてもらった歴史を少し。。

1葦名(あしな)時代
1384年、葦名直盛が黒川城を築城、
      ここから600年の歴史が始まります。

2伊達時代
1589年、伊達政宗が黒川城に入城。

3蒲生(がもう)時代前期
1590年、豊臣秀吉の命により伊達政宗が
      陸奥へと移り蒲生時代に。
1593年、城の名前も鶴ケ城となり天守閣も完成。

4上杉時代
1598年、上杉景勝が会津入りし、出羽3郡、佐渡3郡を加えて
      120万石の城主に。

5蒲生時代後期
1601年、上杉景勝が米沢に行き、蒲生秀行が会津に入り
      再び蒲生時代へ。

6加藤時代
1627年、蒲生家が途絶え、愛媛松山から加藤嘉明が会津城主に。

7保科時代・松平時代
1643年、三代将軍家光の弟保科正之が城主に。
1696年、松平の姓と葵の紋を用いることになり、
      以来会津の松平藩政は九代続いたそうです。

そして、1868年戊辰戦争、
1874年 会津鶴ケ城が廃城となったそうです。

鶴ヶ城は、600年の間、城主が入れ代わり立ち代わり
時代に翻弄され続けたお城でもあったのですね。。

 

さて、次は、白虎隊のお話です。
会津若松に行きたかったのは、
この白虎隊の地に行ってみたかったという事があるのです。

その話は、また、次回に。。

 

東北の旅7 白虎隊へ続きます。 

 

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コメント (4)

東北の旅5 会津若松へ

2016-05-20 11:11:11 |  国内旅行

 さて、次は、東北旅行の続き、福島の会津若松です。

東北の旅1 銀山温泉へ
東北の旅2 銀山温泉能登屋・散策
東北の旅3 銀山温泉散策・ライトアップ
東北旅行4 銀山温泉能登屋夕食~
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東北の旅17 ナチュラルパークツアー華厳の滝・中禅寺湖
東北旅行18 日光・中禅寺・龍頭の滝
東北旅行19 明治の館~京都

東北旅行4 銀山温泉能登屋夕食~の続きです。

3月5日(土)

2009年10月~11月にかけて、
主人と東北旅行をしたことがありました。

行きは青森空港まで帰りは仙台空港から飛行機、
青森・秋田・岩手・山形・宮城の各県をレンタカーで周りました。

あの時、福島へも行きたかったのですが、
時間の関係で行けなかったのです。

東北旅行 青森・秋田・岩手・山形・宮城

その後、2011年3月に東日本大震災や原爆事故で
2009年に見た東北地方の穏やかで豊かな自然が壊され、
大きな大きな被害が各地に出ていると知ってショックでした。

あれからもう5年。。
なかなか行けなかった福島に、
ようやく行けるチャンスがやってきたのです。

大石田出発

銀山温泉大石田の駅を東北新幹線つばさ136号に乗って
まずは、郡山を目指します。

電車の外は雪景色。

 

 

でも、暖冬ですからね。。

きっと、いつもの年なら真っ白の銀世界を作る山々の雪も
木々の雪もご覧のとおり。。

京都の東山にちらちらと雪が降った時くらいの感じですかね~。

福島

そして新幹線は福島へ。

停車する新幹線の窓から見た福島の街。
原爆事故から5年間、この街の方たちはどんなに大変だっただろう。。
そんな思いで福島の街を見ていました。

 郡山

そして、郡山で新幹線を降り、普通列車に乗り換えです。

乗り換え時間にお弁当も調達。

郡山は、会津若松への出入口なんでしょうね。

こんな歓迎の絵と文字が。。嬉しいです~。

ローカル線

ごとごと、ごとごと走る普通列車ローカル線の中で
お弁当を食べました。

あ。。でも、普通列車だけどちゃんとボックス席でしたよ。

海苔べんとうと小原庄助べんとう。
おやつは、銀山温泉でもらったくるみゆべしです。おいしい~。

今は畑もお休み中なんでしょうね。。
なんにもない広い茶色の畑が続いています。

 

温泉で有名な磐梯熱海駅。
降りて温泉に入りたい所ですが、ここはぐっと我慢して。。

広い広い田んぼや畑の中をごとごと走る電車。
なんか、ゆったりしていて、こんな旅もいいですね~。 

猪苗代湖と会津磐梯山

猪苗代ですよ~。

雪国だから、とてもレンタカーは使えないと思って
今回は電車を中心にした旅行にしたのですが、

もし、車で来ていたら絶対に猪苗代湖は行っていただろうな。。
ってちょっと残念。

 でも、猪苗代湖の辺りだけは雪が残っています。 

この日の夜、旅館の大浴場で、たまたま、
レンンタカーで猪苗代湖まで行ったという関東からの方と一緒になったら、
猪苗代湖湖畔は結構雪が多くて、
雪道の運転怖かったですよって言ってられました。

確かに雪道に慣れていないとやっぱり怖かったかもしれませんね。

あれ、あそこに見えているのは、会津磐梯山

 そうですね。雪をかぶった会津磐梯山です。

猪苗代湖の北にど~んと構え、会津の歴史をじ~っと見てきた山ですね。

思わず、会津磐梯山は宝の山よ~なんて歌が浮かんできました。

 会津若松駅到着

電車は会津若松駅に到着。

会津のマスコットキャラのあかべぇちゃんがいっぱい描かれた電車。
こんな可愛い電車に乗ってきたんですね。

駅には大きな張りぼてのあかべぇちゃんもいます。

会津若松駅には、旅行社が手配してくれていた
観光タクシーが待っていてくれました。 

観光タクシーなんて使うのは初めてです。
だって、いつもはレンタカーですから。。

雪国の運転は無理。。と観光タクシーにしたけど
ほら、この通り、会津若松に雪はありませんでした。 

これなら、全然運転できましたよね。。

タクシーの運転手さんの話では、3月初めにこんなに雪のないのは
仕事を始めてから初めての事だそうです。

いつもは、雪道を気を使ってゆっくり走るそうで、
今年はほんとうに楽です~と言ってられました。
(銀山温泉でも同じ言葉を聞きましたね。

会津若松観光

会津若松の町中には、江戸期からの古い町並みを
残しているところはあまりないそうです。
戊辰戦争の火で町は焼きつくされ、
その後も会津藩は斗南に移ることを強制されたので、
町の復興がうまくいかなかったらしいと言ってられました。

それでも、一部昔の面影が残る七日町通りを通ったりしながら
会津若松の町を車で観光。

こちらは、若松城の甲賀町口門跡、
国指定の史跡だそうです。

郭外より若松城の郭内に入る門の石垣で、
この内側が侍の屋敷で外側が町人の住居だったそうですよ。

さて、そろそろ、最初の観光地会津若松城(鶴丸城)に到着のようです。

東北旅行6 会津若松 鶴ヶ城へ続きます。

 

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母の日

2016-05-17 13:38:00 | 家族

この日曜日、用事があって高島屋へ行ってきました。
お昼ごはんを7階の糖朝に食べに行ったら
7階で大九州展をやっていました。

九州から色々な味のお店が出店。
九州といえば、やっぱり熊本が気になりますよね。

熊本出店のお店で、うにコロッケや南阿蘇の高菜漬けや
高菜飯の素を買いました。

熊本のお店の前は人でいっぱい。
皆、熊本に頑張ってほしいという思いで
ちょっとでも買う事で応援したいと思っているのでしょうね。

大九州展には熊本地震の募金箱も用意されていて
透明で大きな箱の中には小銭だけでなく、
紙幣も結構入れられてました。
私達も、少しだけど紙幣を募金。

地震から一月以上たって、余震は少なくなってきたようですが
でも、被災地の方の生活はどんなに大変かと思います。

関西と九州、住む地域は違っても、京都の人も熊本の人を
応援しているのだと感じました。

きっと、日本中の色々な地域の人が、熊本の人を
応援していると思います。
熊本の方、元気になって下さいね。
熊本に一日も早く普通の日々が
戻ってくるようにと祈っています。(5.15)


 さて、5月8日の日曜日は母の日でしたね。

5月8日(日)母の日

みその橋サカイ

母の日、4月27日から出かけたバルト3国の旅行
から帰って4日目です。
この日のお昼ご飯、どうしても食べたくなってしまったのは。。

みその橋サカイのレー麺でした。

旅行から帰って、まず、食べたのはお出汁たっぷりのおうどん、
その次が鮭の塩焼きとお漬物に白ごはんでした。
そして、やっぱりこのレー麺が食べたくなってしまいました。

私達は、サカイのレー麺が大好きで、
ひと月に1回くらいは食べに行っているんです。

いつも人気のサカイさん。
この日も、駐車場はいっぱいで、お店の外にも人が並んでいます。。

でも、席がたくさんあるので、結構早く順番が周ってきますよ。

主人が頼んだのは、サカイ名物の焼き豚レー麺。

お酢が苦手な主人も、うまい。。。とこのレー麺の大ファンです。

こくがあってまろやかなので、
酸っぱいんだけど、つ~んとした酸っぱさを全然感じないんです。

 私は、ハムレー麺です。
この味、この味。。食べたかった~。
とっても美味しくて、疲れが飛んでいきそうです。

小エビの天ぷらと八宝菜も頼みました。

たくさんの人数で来たら、もっと色々と頼めるのですが、
二人だと、これでせいいっぱい。これ以上は食べれません。

でも、美味しかった~。満足満足のお昼ご飯でした。

マールブランシェ

帰り道、北山のマールブランシェで、ケーキを買って帰ることにしました。
だって、今日は、母の日ですもんね。

賀茂川を渡ってちょっと行くとマールブランシェさんですよ。

 マールブランシェのショーウィンドーの中に並んだ
可愛いケーキたち。

母と主人と私。。どれにしようか。。と迷ってしまいます。 

 どれも、すっごく美味しそうですよね。

ピザとお寿司

夕ご飯は、母の日に夕ご飯は作りたくないよ。。という
私の要望が通って、ピザとお寿司になりました。

ピザは母の希望。久しぶりに食べたくなってしまったんですって。

宅配でなくお店に取りに行ったら、同じものをもう一つ
プレゼントしてくれるキャンペーン中。

もちろんお店に取りにいきました。

近くのお寿司屋さんで、奮発して握ってもらった上握り。

赤わいんを飲みながら、久しぶりに3人で
ゆっくり話しながら食べた夕ごはん。
色々な話ができて楽しかったです。

母へのプレゼント

私達から母へのプレゼントは血圧計。

先日、いつも使っていた血圧計が壊れて、
新しいのを買わないと。。と母が言っていたのを思い出して、
主人と二人で買いに行ってきました。 

字が大きく表示されて、30日分の記録も残せるそうですよ。

これほしかったもの。。と、母もとっても喜んでくれました。

それから、バルト3国のお土産も。。 

お土産の可愛い小物も、とても嬉しかったみたいです。

マールブランシェのケーキ

そして、先ほどマールブランシェで買ったケーキは。。

ショートケーキとチョコケーキ、そしてマンゴムースのケーキでした~。

 

どれが誰のケーキか、皆、一目見て分かったよう。。

主人は、イチゴのショートケーキで
母は、チョコレートケーキ、
そして、私は、お花の乗ったマンゴムースの可愛いケーキです。

一人一つのシュークリームのおまけつきですよ。

私にも。。

そして、母の日。

私にも、次男夫婦からお花が届きました。

とっても素敵な香のするラベンダーの花。

 ありがとう~、とってもとっても嬉しいです。

大事に育てていきますね~。

 

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まーちゃん入園祝いとれーちゃん誕生日

2016-05-15 00:30:30 | 家族

ちょっと東北旅行を休憩して、4月のまーちゃんとれーちゃんのお話を。

4月9日(土)

 まーちゃん音楽発表会の続きです。

この日、まーちゃんの入園とれーちゃんの1歳のお誕生日を
お祝いするために、次男の家まで行ってきました。

車で走っていても、どんどん桜の花びらが向かってくる
桜吹雪の舞う頃。

もったいないね~。。
もう、桜散ってしまうんやね。。

また、一年後忘れずに咲く、綺麗な桜の花を待つことにしましょうか。。

輪っかの首飾り

次男の家で、まーちゃん、れーちゃんと一緒に
持って行った折り紙で輪っかで首飾りづくり。

まーちゃんは、ちゃんと輪っかをテープでくっつけていってくれます。
上手にできたね~。

れーちゃんは。。。できた輪っかを、ちょっとくちゃくちゃに。。あら?

だめだよ~、れーちゃん。。
と、お姉ちゃんに言われながら、

でも、ちゃんと二人の首飾りが出来上がりましたよ。 

可愛いお姫様たちが、もう一つ可愛くなっています。

お仕事を始めたママが、夜なべして飾ったという
れーちゃんのハッピバースデーの飾り。

まーちゃんの時と同じようにしてあげたかったって。。
その親心私にもよくわかります。
子供たちには同じようにしてあげたいものですよね。

 まーちゃん1歳の時の飾りはこちら 

まーちゃんは、次男に高い高いをしてもらってごきげん。。

きゃあ~きゃあ~叫んでいます。

もっと~もっと~と何回も何回もパパにおねだり。
次男は、いいかげんへとへとかな。。

でも、そういえば、主人も二人の息子たちにおねだりされて、
何回も何回も、高い高いやっていましたっけね。。


お昼ご飯と夕ご飯

お昼ご飯は、美味しい餃子をいっぱい買っておいてくれました。
ママのお母さん手作りのお赤飯もありますよ。

 夜はすき焼き。うちの近くの美味しいお肉屋さんで
すき焼き用のお肉を調達していきました。 

お肉いっぱいたべてね~。

一升餅

 私は知らなかったのですが、
一歳のお誕生日に1升餅を背追わせる習わしが
あるみたいですね。

これは、1生食いはぐれることなく
満たされて暮らせますようにとの願いを
込めたものだそうで、

それなら、頑張って背負って貰わないと。。

ということで、れーちゃんは、
1.8キロもある1升餅を背負っています。

なんとか立ち上がって。よかった、よかった。。と
外野は拍手。

でも、重いよ~。。。と泣いているれーちゃんです。

 まーちゃんは、自分も1歳の時に背負ったのに、
そんなことはすっかり忘れていて、

わたちも~と、
こちらは背負いたくて泣いています。

背負いたいお姉ちゃんに一升餅をバトンタッチして
記念写真を。

れーちゃんは、重たさから解放され、ママに抱っこされてごきげん。
ま、なんかうまくいきましたね。

ケーキでお祝い

ケーキで二人のお祝いもしました。

ケーキは、もちろんまーちゃんの大好きなチョコレートケーキ。 

でも、れーちゃんの為にママが離乳食のパンケーキを
焼いてくれましたよ。
もちろん、れーちゃん、まーちゃんの二人分ね。

ハッピバースディーの歌とハッピ入園の歌を皆で歌って、
ほら、ロウソクを二人で消しています。

お祝い

私達からも、れーちゃんとまーちゃんにそれぞれお祝いを。

れーちゃんは、本当に見ているだけで癒される
とってもキュートな女の子。
これからも、ほんわかムードそのままで、
明るく可愛い女の子に育ってほしいと思っています。

まーちゃんには、きっと初めての保育園で
え~んえ~ん泣いてしまうだろうと思って、
「どんぐりむらのどんぐりえん」の本をつけました。

幼稚園や保育園って、こんなに楽しい所なんだよって。。
って、ちょっとでも感じてもらえたらな。。って。

 

そうそう、入園といえば、長男の息子のなーちゃんも
この春から幼稚園入園なんです。

なーちゃんとまーちゃんのお祝い袋、
こんな可愛い袋を見つけました。

最近は、祝い袋も本当に可愛いものがいっぱいでびっくりですよね。

もちろん、なーちゃんにも、この「どんぐりむらのどんぐりえん」
の本を送りましたよ。
なーちゃんも、きっと最初はいっぱい泣くだろうと思って。。

でも、初めは二人ともいっぱい泣いたようですが、
今は、それぞれ元気よく、保育園と幼稚園、
出かけて行ってくれているみたいです。ほんと、よかった~。


今までずっと家にだけいた孫たちが、
この春から、それぞれ、新しい世界に旅立ちしたんですね。

今度会った時、幼稚園、保育園、楽しい~って
大きな笑顔で言ってくれるでしょうか。

お友達と一緒に楽しい日々を過ごしてほしいなと
心から願っているばぁばです。

 

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東北旅行4 銀山温泉能登屋夕食~

2016-05-12 00:18:00 |  国内旅行

東北の旅1 銀山温泉へ
東北の旅2 銀山温泉能登屋・散策
東北の旅3 銀山温泉散策・ライトアップ
東北旅行4 銀山温泉能登屋夕食~
東北の旅5 会津若松へ
東北旅行6 会津若松 鶴ヶ城
東北の旅7 白虎隊
東北旅行8 さざえ堂と武家屋敷
東北の旅9 東山温泉庄助の湯瀧の湯
東北旅行10 瀧の湯・夕ご飯~郡山へ
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東北旅行18 日光・中禅寺・龍頭の滝
東北旅行19 明治の館~京都

 

東北の旅3 銀山温泉散策・ライトアップの続きです。

3月4日(金)

能登屋旅館へ戻ってきました。
こちらは、別館の談話室。

新しく造られた別館ですが、レトロ感を損なわない造りで
いい雰囲気ですね。

 

夕ご飯

夕ご飯は部屋食でした。

食前酒の山ぶどう酒で乾杯。
結婚35年の記念にあこがれの温泉に来れて感謝です。

結婚35年。。色々な事がありました。。
結婚して最初の5年ほどは、次から次から襲われる試練に
あせ汗の大変な日々でした。

でも、今思うに、あの時があったからこそ、
あの時を二人で乗り越えられたからこそ、

それ以後のどんな事もたいした苦労には思えなかったし、
普通のなんでもない日々の大切さも知ったような気がします。

そして、いつ、突然に、普通の日が何の予告もなしに
奪われる怖さも知った私達は、

二人の大好きな旅行に、いつか。。ではなく
今、思い立った時に行くことにしてきたんです。

だから、家族旅行や二人での旅行もたくさんしてきました。
でも、銀山温泉にはなかなか来れなかったんですよね。。

なんて。。前置きはさておき、

お料理は、尾花沢牛や鴨などの地元産の食材を使ったお料理。

メインは尾花沢牛のしゃぶしゃぶかな~。
アスパラ菜の冷し汁。

地元でからかいとよばれる棒鱈を乾燥させたものの甘辛煮、
鯉の洗いとサーモン、勘八のお造り。

 

鯉の甘露煮、山形旬の野菜うるいと海老の和え物、

 岩魚のあんかけ、豆乳を寒天で固めた滝川豆腐、

蟹の茶碗蒸しに、鴨汁鍋と蕎麦、

どれも、郷土の味を伝える温かいおもてなしです。

初めて食べるものもあって、食べ方など色々と
仲居さんに教えてもらいながら楽しい食事でした。

そして、お酒は、やっぱり地元の銀山温泉。
銀山温泉のレッテルが貼られていますよ。

すっきりと美味しいお酒でした。

本館のロビーから

フロントで教えてもらった本館2階のロビー。

本館のお部屋はとれなかったけれど、
この窓からも、おしんの撮影がされた部屋の窓からの景色と
同じ景色が見えるそうです。

 うわ~、嬉しい~と、レトロな椅子に座って窓を開けると。。

銀山川をはさんで立ち並ぶ旅館が見渡せました。
ずっと見たかった景色が目の前に。。

なんだかこの瞬間、時を超えてしまいますね。。

平成から大正時代にタイムスリップです。

 夜の散策

そして、夕ご飯後、夜の闇の降りた町の散策に出かけることにしました。
こちらは、銀山川に架かる赤い橋の上から見上げた能登屋旅館です。 

先ほど町を見おろしたのは、能登屋旅館と書かれた上にある
2階のロビーですよ~。

夕暮れ時と違って、周りは真っ暗。

お部屋の窓からの灯りもガス灯の灯りも、黒い闇の中に光っています。
能登屋さんにも左官職人による鏝絵(こてえ)が。。

銀山開拓の祖である「木戸佐左ェ門」の名の横に鳳凰と桐が
描かれています。

気温はどんどん下がってきて、
観光客はそれぞれの旅館が貸し出すぶ厚いコートを着て温泉街を歩きます。
能登屋さんのコートの色は赤。
赤いコートを着た人も、たくさん歩いていましたよ。

お店はもう閉まっていますが、町を散策する人はいっぱい。
銀山温泉の情緒を皆堪能しています。

これで、はらはら雪が降ってきてくれたら最高なのにな~。。
なんてちょっと思いながら歩いた夜の散策。

また、いつか。。のお楽しみですね。

洞窟風呂

夜の散策から帰って、冷えた体を温めるために洞窟風呂へ。

開業時より元湯として利用されていたという洞窟風呂は、
今は、貸切風呂になっています。

先に部屋へ戻っておいてね。。と言って、
主人の後、私が洞窟風呂に入ったのですが、
洞窟風呂は階段の下にあって、

とっても雰囲気はあるんだけど、
暗くてなんだかちょっと恐る恐るという感じ。

ささっと入って上がってきたら、
主人はロビーで待っていてくれました。

ちょっと一人では心もとない洞窟風呂だったのでほっとでした。

そうやろ~。。と主人。

部屋に帰ってから、お土産屋さんで買ったお菓子を食べて
スイカサイダーを。

このスイカサイダー、本当にしっかりスイカの味がして
びっくりでした。美味しかったですよ。

 3月5日(土)

朝、部屋の窓をあけると、雪国らしい雪景色。
でも、雪は降っていませんね。

 

今日も、いいお天気になりそうです。

 朝食・だいこん飯

朝ご飯は、朝食会場で。

 可愛い器に、色々なおかずがいっぱい並んでいます。

山形名物玉こんにゃくもありますよ~。

2009年山形の山寺に登った後に茶店で食べた
力こんにゃくを思い出しました。

東北の旅16 山形・山寺立石寺

 ごはんは、白いご飯と大根めしの好きな方を選べます。

主人も私も、もちろん大根めし。

しろいごはんたっぷりの中に大根が少し入った大根めしで
とってもおいしかったです。

おしんの頃の大根めしは、米粒を探すのが大変なくらいの
大根めしだったんでしょうね。

贅沢な大根めしを頂いてしまいました。

 銀山温泉を出発

最後にもう一度お部屋の窓から外を眺めて、銀山温泉にお別れです。

 ロビーでは、入れたてのコーヒーを用意して下さっていました。

コーヒー通の主人も納得のとっても美味しいコーヒーでしたよ。

そして、結婚35周年おめでとうございます。。といって
おかみさんが下さった、一筆箋。

銀山温泉の絵がついています。嬉しい~。
ありがとうございます。

ちょっともったいなくて使えませんね。

お世話になりました。

そして、旅館のバマイクロバスで大石田まで送ってもらう為、
しろがね橋の先まで歩きます。

 

いよいよ、本当にお別れですね。

とっても素敵だった銀山温泉。
もう一度来れることがあったら、真冬のしんしんと雪の降っている時に
来てみたいな。。

いつか、もう一度来れますように。

 バスからの雪景色

バスから見た雪景色、雪をあまり知らない私達にとっては感動ですが
実は例年の半分以下だそうです。

やっぱり、もっと雪深い銀山温泉も見てみたいですね。

さて、絵葉書や映画の世界かと思うような異次元空間から
新幹線の通る日常の現実空間へ戻ってきました。

大石田の駅

いつもなら町全体がこれくらいの雪になるそうですが、
一部分だけ雪が積み上げられています。

その雪の壁の前で、とりあえず雪国っぽく記念写真。

 

 本当は、ほとんど雪はありませんけどね。。 

送って頂いた、能登屋さんのマイクロバスにもさよなら。

ありがとうございました。
長年の夢が叶って嬉しかったです。

また、いつか、雪深い時に戻ってきますよ~。

 

さて、次は、福島の会津に行ってみます。
会津の白虎隊。。
実は、ここは私の父の思い出と重なって
一度行ってみたい所だったのです。

 東北の旅5 会津若松へ続きます。

 

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コメント (2)

東北の旅3 銀山温泉散策・ライトアップ

2016-05-09 00:10:30 |  国内旅行

東北の旅1 銀山温泉へ
東北の旅2 銀山温泉能登屋・散策
東北の旅3 銀山温泉散策・ライトアップ
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東北の旅17 ナチュラルパークツアー華厳の滝・中禅寺湖
東北旅行18 日光・中禅寺・龍頭の滝
東北旅行19 明治の館~京都

東北の旅2 銀山温泉能登屋・散策の続きです。

3月4日(金)

 さて、今度は銀山温泉の入り口の方へ歩いていくことにしました。 

なんか、ゆっくり、ゆっくり、ぶらぶらと歩くのが
よく似合う温泉街。

 

色々な旅館

 少し歩くと、大正ロマンというより、和モダンな旅館の藤屋さんが。
こちらは、高級旅館で有名だそうですよ。
確かに昔ながらの古き旅館という風ではありませんね。

そして、こちらは古勢起屋別館(こせきやべっかん)さん。

こちらは、銀山川に面した通りにある
大正ロマンたっぷりレトロ感たっぷりのお宿。

 信楽を思う大きな狸の置物があるのは昭和館さん。
こじんまりとした旅館ですが、懐石料理には定評があるようです。

どのお宿も泊まってみたいな~って思ってしまいます。

鏝絵(こてえ)

銀山温泉で眼を引くのが色々な旅館の看板や壁などに
デザインされた鏝絵(こてえ)です。

鏝絵とは左官職人が使う道具の鏝(こて)で漆喰を塗って
描いた色々な柄の絵だそうです。

こちらは老舗旅館の一つ、古山閣ですが、
この旅館の正面には、一年の行事をカラフルな色彩で描いた
鏝絵が、ずらっと並んでいますよ。

 思わず見上げて見入ってしまう美しさ。。

なんだか、昔見た紙芝居の世界を思い出してしまいますよね。

和楽足湯(わらしゆ)

古山閣の前には、銀山温泉の町中を流れる銀山川沿いに設けられた
共同足湯がありました。

これは和楽足湯(わらしゆ)と呼ばれる無料の足湯。

 

観光客がそれぞれ疲れた足を浸して、
のんびりと大正ロマンの湯を楽しんでいます。

 

源泉をそのまま使用した足湯、私達も足を浸してみました。
冷たい空気の中、とってもあったか~いです。

周りの雪景色を見たり、散歩するワンちゃんに声を掛けたり。。

のんびり、ゆったり、ほっこり。。

こちらの足湯は、 朝6時から夜22時まで利用できるそうですよ。

亀まんじゅう

この足湯のすぐそばのお饅頭屋さんは、
銀山温泉でも有名な亀まんじゅうのお店。

 

全国菓子大博覧会で観光庁長官特別賞を受賞した
お菓子だそうです。

 

日持ちがあまりしなかったのでお土産にはしませんでしたが
私達の分はゲット。

旅館に戻ったら、お夜食にでも食べてみようかな。

 しろがね橋

 銀山温泉街の入口にあるしろがね橋。

しろがね橋から銀山温泉街を見るのとこんな感じです。 

 しろがね橋の近くの菓子処 めいゆう庵に行ってみました。

 めいゆう庵でお土産を

めいゆう庵で買ったお土産は、銀山温泉の包装が素敵な
温泉まんじゅうと手造りごまかりんとう。

中身よりも、銀山温泉らしい包装紙で選んでしまいました。
日持ちもするしね。温泉まんじゅうは個別包装でしたよ。

スイカサイダーやサクランボサイダーも買って。。

ちょっとたくさんのお土産を買って、
荷物になるので京都まで送って貰ったら
いっぱいゆべしのおまけを貰ってしまいました。

くるみゆべしにくりゆべし、さくらんぼゆべしにごまゆべし
電車の中でのおやつになりましたよ~。

「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデル

そして、能登屋さんに帰ってきました。

このお宿は、「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルのなった
とも言われていますが、

全国には、ここ以外にもモデルになったと言われる温泉が
いくつかありますよね。

ずっと前ですが行ったことのある愛媛の道後温泉本館とか
長野渋温泉金具やさんも、千と千尋の神隠しの湯屋のモデル
なんですよと言われていました。

その他、岡山の湯原温泉元禄旅籠油屋さんや
群馬の四万温泉積善館本館、神奈川鶴巻温泉元湯陣屋も
モデルだと言われているそうで、

銀山温泉の能登屋さんで三つの旅館に行った事になるので、
こうなるとあと三つ、千と千尋の神隠し湯屋モデル旅館めぐり
にチャレンジするのも面白いかな~なんて思ってしまいます。

でも、宮崎監督は、特定のモデルはないとおっしゃってるそうで
「千と千尋の神隠し」の湯屋は昔の日本の建物の
象徴なのかもしれませんけどね。

 お風呂

さて、能登屋さんに帰ってきて、まずはお風呂に入りました。

 

 こんこんと湧き出る源泉のお湯で疲れをとっていい気持ち。。

でも、白銀の滝が臨めるという展望露天風呂は
冬場はお休みで、ちょっと残念でした。

お風呂からあがって、お部屋の窓から外を眺めると、
ぽつぽつと町に明かりがつき始めています。

 夕方の散策

夕食までの間、主人に誘われてガス灯に灯りが灯った町を
散策に出かけました。

私は、夕食を食べてから夜の町を散策に行ったらいいかなと
思っていたのですが、
この、日が落ち始めた頃の夕暮れ時の銀山温泉が、
なんともノスタルジックで、とっても素敵でした。

銀山川の両岸の旅館の窓やガス灯に、おれんじ色のやさしい光が灯され
青く染まり始めた空と白い雪。。

なんだか絵葉書の中にすっかり入り込んだみたいで
周りの景色に魅了されてしまいます。

じ~っと見ていると、時が止まったみたいで
不思議な感覚に襲われますね。

懐かしい郷愁の思いを胸に町を歩いていると、

今度は映画のロケ地を散策しているみたいな気分になってきてわくわく。

ガス灯に照らされ、優しい光に包まれた町並みが
青いカンバスを背景に浮かび上がっています。。綺麗。。

銀山温泉に来てよかった~。。とあらためて思ってしまった瞬間でした。

  

能登屋さんの前では、
大正時代のハイカラさんの衣装を着た若い女性が
写真を撮ってられましたよ。 

 う~ん、この感じもとても素敵ですね。

 赤く丸いポストもノスタルジック。

 もうすぐ閉店というお店にもちょっと寄って。。

 だんだんと暗くなってきた夜の能登屋さんに戻ってきました。

もしも、銀山温泉に行かれる方があったら、
この、日没頃の温泉街の散策は絶対にお勧めです。

夕食後の真っ黒になった夜のライトアップもいいですが、

夕暮れ時の青い空に浮かぶ銀山温泉は
ロマンティックで、えもいわれぬ美しさですよ。

 

さぁ、私達は、これから夕ご飯です。

 東北旅行4 銀山温泉能登屋夕食~へ続きます。

 

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ただいま~、帰ってきました。

2016-05-06 11:30:00 | 海外旅行2016 5月バルト3国

5月6日

ゴールデンウィーク終わってしまいましたね。
皆さまは、どんなゴールデンウィークを過ごされましたか。
私達は4日に海外から帰り、昨日は時差ボケでふらふらでした。

でも、主人も私も今日からは仕事なのです。
本当は、まだちょっとしんどいんですけど、
楽しんだ後は頑張らないとね。

さて、海外旅行の行き先は、バルト3国とヘルシンキでした。
バルト3国??って思われる方も多いでしょうね。

バルト3国は、昨年行った北欧フィンランドのお向かいの国、
リトアニア・ラトビア・エストニアのおとぎの国3国です。
そして、最後にフィンランドのヘルシンキにも寄ってきました。

昨年のヘルシンキは、ちょっと曇り空でしたが、

北欧旅行2 フィンランド・ヘルシンキ市内観光2

今回は快晴、とっても綺麗な街並みが見れて嬉しかったです。

旅行中、ほんの少しだけ雨が降った時もありましたが
概ね真っ青な空の広がるいいお天気の連続でした。

でも寒かったんですけどね。

ただ、私達の行った直前までは、本当に冬のように寒く
お天気もどんよりと曇っていたという話。
天気予報を見て覚悟をしていたよりは寒さもましで
薄手のダウンくらいで大丈夫でしたよ。

今回のツァーは、フリータイムがちょこちょこあったので
楽しかったです。

フリータイムは失敗もあるけど、行きたい所に行けるし、
お店でのショッピングも楽しめるし、
カフェで休憩もできるし。。。
ついつい欲張ってしまって疲れてしまうんですけどね。

添乗員さんも、ツァーの皆さんもとっても楽しい方ばかりで、
ほんと気持ちのいい旅でした。

また、東北旅行が終わってから、ゆっくりと
旅行記を書いていきたいと思っています。

また、お時間があったら読んでみて下さいね。

 

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東北の旅2 銀山温泉能登屋・散策

2016-05-02 00:00:00 |  国内旅行

東北の旅1 銀山温泉へ
東北の旅2 銀山温泉能登屋・散策
東北の旅3 銀山温泉散策・ライトアップ
東北旅行4 銀山温泉能登屋夕食~
東北の旅5 会津若松へ
東北旅行6 会津若松 鶴ヶ城
東北の旅7 白虎隊
東北旅行8 さざえ堂と武家屋敷
東北の旅9 東山温泉庄助の湯瀧の湯
東北旅行10 瀧の湯・夕ご飯~郡山へ
東北の旅11 日光の町
東北の旅12 日光山輪王寺・東照宮五重の塔
東北旅行13 東照宮三猿の教え
東北の旅14 日光東照宮・陽明門・唐門
東北旅行15 日光東照宮・眠り猫・鳴龍・二荒山神社
東北の旅16 日光温泉日光千姫物語
東北の旅17 ナチュラルパークツアー華厳の滝・中禅寺湖
東北旅行18 日光・中禅寺・龍頭の滝
東北旅行19 明治の館~京都

 

東北の旅1 銀山温泉へ続きです。(予約投稿しています。)

3月4日(金)

銀山温泉へ到着

やってきました~、長い間思い続けてきた銀山温泉です。

NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の舞台ともなった銀山温泉。
昭和58年4月スタートの朝ドラという事なので
ちょうど次男が生まれた頃だったんですね。

銀山温泉の温泉街へは車が入れないので、
温泉街入口付近で宿の車を降り、温泉街を歩いていきます。

ノスタルジックで、情緒があって、
どこだろうこの温泉は。。。と思い続け、
銀山温泉と知ってからは、
いつかは行ってみたいと憧れ続けた温泉です。

33年間思い描いてきた銀山温泉が、今まさに目の前に現れています。

 

温泉の雰囲気、建物の一つ一つ、思っていた通りの景色です。
ただ、ちょっと雪は少なめですけどね。

 

本日のお宿、能登屋さんが見えてきましたよ。

宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」の舞台になったとも
言われている能登屋さん。



確かに旅館前の赤い橋といい、
この雰囲気「千と千尋の神隠し」の旅館に似ていますよね。

 お宿能登屋さん

 能登屋さんに到着。
こんにちは、よろしくお願いします。。と中に入っていきます。

旅館の中もレトロ感が漂っていますよ。

アットホームで温かい雰囲気のロビー。

主人がチェックインしてくれている間、
私は、ロビーの椅子に座って暖を取っています。

 

 旅館の方がお茶を持ってきて下さいました。
なんと、燃えているストーブの上にお茶を。。

え。。大丈夫なんですか。。とびっくりする私に
大丈夫ですよ。とにっこり。 

暖かい火で手足を温めて、熱いお茶を飲んでほっと一息。

朝7時前に家をでて、今は午後2時半。
7時間半程かかりましたが、それでも、朝に出て昼に着いているなんて
やっぱり早いですよね。

昔だったら、京都からここまで何日かかったことでしょう。。

 おしんの撮影をした旅館

NHK朝の連続テレビ小説「おしん」は、
小林綾子さんと田中裕子さん音羽信子さんが
それぞれおしんを演じられました。

おしんの物語は、幾多の苦難を乗り越えて商売で大成功を収めた
83歳のおしん(音羽信子)が銀山温泉を訪ね、
昔、母にこけしを買ってもらった思い出の銀山温泉を
宿の窓から眺めるところから始まります。

その銀山温泉の撮影が行われたのが、この能登屋さんなんですよ。

橋田寿賀子さんの名前が入ったNHKのおしん暖簾。
年季の入った暖簾ですが、どの似顔絵もそっくりですよね~。

お部屋へ

部屋へ案内していただきました。
私達の部屋は、新しくできた別館のお部屋です。

お部屋はかたくりの間。


大正ロマンのレトロ感はそのままに新しく増築されたという別館。
お部屋も広く綺麗です。

でも、本当は古くても本館の方に泊まりたかったんです。

本館は、銀山温泉の温泉街に面しているので
お部屋の障子を開けると、温泉街が見渡せるんです。

おしんの撮影がされたのも本館のお部屋なんですよ。

別館は、本館の裏にあるので障子を開けても温泉街は見れません。
でも、私達の部屋の障子の向こうの雪景色も素敵です。

この日、一部屋だけ空いていてなんとか取れたお部屋ですもんね。
取れただけでも、ほんとよかったです。

 温泉街散策

さて、荷物を置いて早速、銀山温泉の散策に向かいました。 

銀山温泉は、小さな温泉街。
まずは、温泉街の奥の方へ歩いていきました。

500年もの歴史をもつという銀山温泉は、
その名の通り昔は銀の鉱山として栄えた温泉なのだそうです。

銀山川をはさんで建ち並ぶ木造りの旅館。
いい雰囲気でしょう~。

まるで映画の中に飛び込んだみたいで
今が平成の世だという事を忘れてしまいそうです。

この辺りの建物は「家並み保存条例」により
電線類を地中化したり、建物を保存したりして
銀山温泉の景観を守っているそうです。
その辺は、京都と同じなんですね。

また、3メートル近く積もる雪を溶かすため
歩道の下に地下水を流す融雪システムがあるそうですが、
それは、今回は必要ないみたいです。。


 はいからさんのカリーパン

赤い看板のはいからさんのカリーパンへ行ってみることに。

こんなレトロで大正ロマンの世界にかなりハイカラな赤い看板のお店。
ところが、この赤がなぜか古い街並みに溶け込んでいるんですよね。。

 

ここのカレーパンは銀山温泉の名物ということで、
それならちゃんと食べないとね。。

1階席もいい雰囲気ですが、私達は階段を上がって二階席へ。

 

 ベンガラ色の壁に大きな丸い和紙の照明が素敵です。 

窓際の席に座って、温泉街を見ながらの休憩。 
名物ずんだ餅を半分分けしてコーヒーを頂きます。

 

なんか、いいな~。

心がゆるりとする感じです。

そして、こちらがはいからさんのカレーパン。
カリッとした揚げパンの中にスパイシーなカレーが。。

こちらも夕ご飯が心配なので主人と半分わっこしましたが
美味しかったです~。1個食べられたかも。。

銀山こけし(おしんこけし)

おしんのドラマの中で出てきた
銀山こけしを売っているお店に行ってみました。

銀山温泉で働く母を訪ねたおしんが、
母にこけしを買ってもらう場面があります。

8歳の時から働きづめで母との思い出も少ない
おしんにとって、母との大切な思い出であり
苦しい時におしんを支え続けた銀山こけし。 

 

こけしって、線を引いただけの細い目が多い中
銀山こけしは、 大きな可愛い目をしています。

この大きな目と黒髪のおかっぱ頭が銀山こけしの特徴だそうですよ。

一つ一つ顔が違うので、どの子にしようかな。。って
迷ってしまいましたが、
私も一つ銀山こけしを買いました。 

 白銀の滝

このこけしやさんの先の対岸に、白銀の滝があります。

温泉街の最も奥の突き当たりにあり、
ここから白銀公園の散策路が続くそうですが、冬場は立ち入り禁止。

 

落差22メートルの滝で、滝の周囲には銀鉱山跡の洞窟や
滝の不動尊などもあるそうですが、

この先には行けませんでした。

静かな秘境の地、銀山温泉のモノクロの世界です。

さて、次は、銀山温泉の入り口方面に向かって
歩いていくことにしましょうか。。

東北の旅3 銀山温泉散策・ライトアップへ続きます。

 

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