京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤ後の生活を綴っていきます。
日本ぶらり旅や、京都のおいしいお店、海外旅行にも行けたらいいけど。。

2006結婚25周年④「デスバレー国立公園」

2007-02-28 19:36:11 | 海外旅行2006 2月アメリカラスベガス・SF

結婚25周年①アメリカ「新婚旅行地を親子で」 
2ラスベガス  
3グランドキャニオン・パリスカジノ 

4デスバレー国立公園・Oショー 
5思い出のサンフランシスコ 
6ヨセミテ国立公園・フランス料理

7ツインピークス・ケーブルカー・ロンバードSt・フィッシャーマンズワーフ・ピア39・ユニオンSq
8ロサンゼルス経由帰国

 

旅の始まりはこちらです。2006結婚25周年①「新婚旅行地を親子で」


2006.2.26 (現地時間)
デスバレー
今日は西半球で最も海抜が低く乾燥した大地が広がる
デスバレーへ行く。
朝6時30分から夕方5時ごろまでのツアーだ。
途中寄ったお店COUNTRY STORE。
ここでお水や食品を買う。アメリカらしい色彩感覚が楽しい店だ。



どこまでも続く荒涼とした大地に、一本だけ州道が通っている。
今は冬だが、真夏にはここの気温は50℃にもなるらしい。
車で訪れていても、何かトラブルがここで起こったら。。。
と思うと怖い気がする。
西部開拓時代、馬でこの地に迷い込んだ開拓者が、
その過酷な自然故に死んでいったことから
デスバレー「死の谷」という名前がついたという。



ゴールデンキャニオン
岩だらけの、まるで地球以外の星に来たような
特異な珍しい景色が広がる。
ここで、映画サルの惑星やスターウォーズ
の戦闘シーンが撮影がされたらしい。


ガイドさんが、ダースベーダーのマスクとライトセーバー
持参していて、記念の戦闘シーンを撮らせてくれる。
息子達は岩場に登り、ライトセーバーを片手に
ガイドさんのダースベーダーと戦った。
私はその様子をカメラでパチリ

サブリスキーポイント
うねる大地で有名なサブリスキーポイント。
自然が形作った芸術とでも言おうか、くねくねと曲がり、
うねる砂の大地がはてしなく続いている。



デビルズゴルフコース
白いのは雪ではなく塩の結晶。
塩の結晶と泥が混じり合い固まり、強烈なでこぼこを作っている。
悪魔ならここでもゴルフをプレーできる
ということからついた名前だそうだ。


ここでもガイドさんが、ゴルフのクラブを持ってきていて、
それぞれクラブを借りての撮影会。
主人や息子達のデビルズゴルフコースを背にした、
ナイスショットの写真がばっちり撮れた。

デスバレーツァーに同行した人達から
「家族でいっしょに旅行なんていいですね~」
と言われた。そうだよな。ほんと、家族で来れてよかった。
これはついて来てくれた息子達に感謝かな。
でも、またこれからもいっしょに行きたいな~。

バッドウォータ
ここは、西半球で最も海抜の低い所。
海抜マイナス86メートルらしい。
もともと湖だったが、海抜が海よりも低い為水が川となって
海に流れ出る事がなく、干上がって塩の平原となった。
一見、雪の原のように見えるが、全部お塩。
冷たくもないし、舐めてみるとしょっぱかった。



デスバレー。。奇異な地形とその広大さの一つ一つが驚きで、
地球も宇宙の中の一つの星なのだと実感させられたツァーだった。

ラスベガス市内にへ戻ってから、バスのマフラーから
黒い煙が出ているからとバスを交換する事になった。
デスバレーの途中から出ていたらしく、えぇ~うそ~~
デスバレーで故障していたら大変な事だった。
このバス交換のおかげで、7時からのラスベガスのショーが
ぎりぎりになってしまった。

ベラッジオホテル Oショー
着替えて7時からのOのショーになんとか間に合った。
舞台が突然巨大プールになり、水上ショーが繰り広げられる。
劇場の一番上から、プールに飛び込んだのには驚いた。
そんなに深いプールになっているのか。。
と思えば、水が奇跡のように引き、あっという間に
また普通の舞台に戻り、火を使ったショーが始まる。。
なんだかすごいショーだった。
最後は全員がスタンディングオーベイション


ショーは写真が撮れないので
     パンフレットとショットグラスを

9:30にショーが終わり、これからやっと夕食。
バスの交換のせいだ~どうしよう。。と悩んで、
タクシーでハードロックカフェーへ行く事にした。


ここのハンバーガーはやっぱりおいしい
ビールとカクテルでラスベガス最後の夜に乾杯。

ベラッジオホテルに戻ってから、ホテルのカジノで最後の挑戦をした。
今夜はルーレットにチャレンジだ。
初めてのカジノでのルーレットにどきどき
皆がそれぞれチャレンジしたが、家族全員ことごとく玉砕。。
一攫千金の夢は露と消えたが、楽しかったラスベガスに満足

さぁ、明日はいよいよ思い出の
。。いや、思い出のあんまりない
サンフランシスコに出発だ~


ラスベガスの小物達

2006結婚25周年⑤「思い出のサンフランシスコ」へ続きます)

      

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2006結婚25周年⑤「思い出のサンフランシスコへ」

2007-02-27 16:01:26 | 海外旅行2006 2月アメリカラスベガス・SF

結婚25周年①アメリカ「新婚旅行地を親子で」 
2ラスベガス  
3グランドキャニオン・パリスカジノ 

4デスバレー国立公園・Oショー 
5思い出のサンフランシスコ 
6ヨセミテ国立公園・フランス料理

7ツインピークス・ケーブルカー・ロンバードSt・フィッシャーマンズワーフ・ピア39・ユニオンSq
8ロサンゼルス経由帰国

 

旅の始まりはこちらです。2006結婚25周年①「新婚旅行地を親子で」



2006.2.27 (現地時間)
サンフランシスコへ
今日はいよいよ、サンフランシスコへ出発だ。
ラスベガスはずっとお天気もよく
色々な経験ができて、楽しかった~。

昨日の夜、ホテルの部屋でラスベガス最後の夜に皆で乾杯した時
「ほんと、色々とやったよな~」という主人に
「うん。楽しかった~密度の濃い旅行やったしね」と息子達。
「今、ここで日本に帰っても充分満足なくらいやね」と私が思わず言うと、
「ほんま、ほんま、充分に楽しんだな~」とみんな。

うんでも待てよ。。
今回の旅行のメインは次のサンフランシスコやのに、
私は何を言ってるんだと一人反省。
でも、それくらいラスベガスは楽しく充実していたのだ。

嵐のサンフランシスコ
朝7時半過ぎラスベガス空港に着き、コーヒーを飲んだり
ウインドーショッピングをしたりして
いざ、搭乗手続きをしようとしたら、
荷物検査がものすごい人の列でびっくり。
充分時間には余裕を持って並んだつもりだったが、
なかなか前に進まず、だんだん出発の時間に
間に合うかと。。あせってくる。

皆で時計ばかり気にしていたら、
前に並んでいる外人のおばさんたちの集団
「何時の飛行機なの?」と聞かれ
「9時半です」と答えたら、
「それは、大変。先に行きなさい」と譲ってくれた。
やさしい~。向こうからすれば、外国人の私達に。。
旅先で、困ったときの人の優しさは忘れられないものだ。
本当に嬉しかった

でも、そこまでして急いだ搭乗手続きだったのに
肝心の飛行機は予定時間を過ぎても全然飛ばなかった。
どうもサンフランシスコは嵐のようなのだ。
天候が悪く、いつ飛べるかわからないと言う。。そんな。。
せっかく楽しみにしていたサンフランシスコなのに。。

結局9時半出発の予定が2時間以上遅れて、12時前に出発した。
サンフランシスコに着いた時は、嵐は収まっていたものの、
どんよりとした曇り空で時折雨もぱらぱら。
ガイドさんに聞くと
「天気予報では、サンフランシスコは1週間ほど
 この嵐のような天気が続くようです。」と。。

やっぱり、サンフランシスコには縁がないのかな~
なんだかへこんだ気持で市内観光が始まった。


どんよりした雲で覆われるゴールデンゲートブリッジ


フィッシャーマンズワーフも雨。
(看板中央のオレンジ色の蟹に注目しておいてほしい。

しかも、時間が経つにつれどんどん雨足が強くなり
途中観光地で降りるのも大変に。
市内観光はバスでさ~っと通るだけとなり
早めにホテルに向かう事になった。

でも、旅先でこういう風にへこむ事があった時、
私は自分にこういい聞かせるようにしている。
「ここに、こうして来れただけで、
     この時間が持てただけで幸せ」
と。

これは、今までの旅行を通して学んだ事かな。
確かにお天気は良いほうがいいに決まっているし、
予定だってちゃんとクリアーしていきたい。
でも、いつもいつもそうなるとは限らない。
いや、そうそう全てうまくいく事の方が少ないのだ。
そんな時には、こう思うようにしている。
そしたら、また旅行が楽しくなってくるから。

思い出のセントフランシスホテル
サンフランシスコのホテルはウェスティン・セントフランシス。
これは25年前の新婚旅行の時と同じホテルなのだ。
このホテルを訪れるのも楽しみだった。
どんな風に変わっているのだろう。。昔の面影はあるのだろうか。。


ホテルの外観は昔とあまり変わっていないように思った。
でも十何年か前に改装されたということで、
中の感じはだいぶ違っていた。



床の大理石の模様は、昔のままで懐かしさがこみ上げてきた。
25年前、このロビーで、ただただ、しんどかったんだよな。。
25年後の今、息子達もいっしょに、昔と同じロビーにいるんだ
と思うと、月日がさっと駆け抜ける様な不思議な感覚にとらわれ、
今、ここにこうしている事の幸せが込み上げてくる。
来れてよかった~。皆に感謝だ。

ホテルの部屋はここも二部屋続きのコンビネーションルームで
嬉しかったけれど、窓の外は風がまるで台風のように吹いている。
この様子では今とても外にはでられない。

で、私と主人は25年前泊まった部屋を探してみようと思い立ち、
25年前の写真を基に、ホテル内探検を始めた。
結局階数までしかわからず、部屋はわからなかったが
この探検のおかげで、1階はそんなにきつく風が
吹いていない事が判明。これなら外に出られると、
夕食をとりにチャイナタウンに向かう事にした。

チャイナタウン



息子がガイドブックで探してくれた中華料理店へ向かう。
さすがに、人通りは少なくひっそりしている。
お店が開いているか心配したが、開いていた


    フナン・ホームズ・レストラン
    庶民派のチャイニーズレストランで安くておいしい

お店は開いているがお客さんがいない。
いいのかな。。と覗いていると、
「どうぞ、どうぞ~」と言ってくれた。
肉団子、八宝菜、春巻き、棒餃子、海老チャーハン。。
地元の人がよく行く、人気の料理店というだけあって
おいしい上に、ほんとに安かった。
初め空いていたお店だが、その後次々にお客さんが入ってきて
やっぱり人気の店なんだと実感。

ホテルへの帰り、コンビニでビールや、お菓子を買って
今日も宴会だ~
でも、明日のヨセミテ観光のお天気が気になるな~。
なんとか青空が見えてくれれば嬉しいんだけど。。

2006結婚25周年⑥「ヨセミテ国立公園」へ続きます)













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2006結婚25周年⑥「ヨセミテ国立公園」

2007-02-26 22:08:24 | 海外旅行2006 2月アメリカラスベガス・SF

結婚25周年①アメリカ「新婚旅行地を親子で」 
2ラスベガス  
3グランドキャニオン・パリスカジノ 

4デスバレー国立公園・Oショー 
5思い出のサンフランシスコ 
6ヨセミテ国立公園・フランス料理

7ツインピークス・ケーブルカー・ロンバードSt・フィッシャーマンズワーフ・ピア39・ユニオンSq
8ロサンゼルス経由帰国

 

 旅の始まりはこちらです。2006結婚25周年①「新婚旅行地を親子で」


2006.2.28 (現地時間)
朝起きて、カリフォルニアの青空を期待したが、
やはり風がゴーゴーと渦巻く音がし、窓の外は暗い。
あ~あ、やっぱりなぁ。。と思いつつ、
ヨセミテ国立公園の一日観光にバスで出かける。

ヨセミテ国立公園へ
あさ7時半、白いもやの立ち込める寒い街をバスでを出発。
バスの窓の外もほとんど見えず、まさに霧のサンフランシスコだ。
今日のガイドさんはM氏
ガイド件運転手を務める、ヨセミテツアーのエキスパートらしい。
ヨセミテまでの300キロ以上の道のりを、
ヘッドマイクをつけてガイドしながら一人で運転する。
「今日のサンフランシスコのお天気は雨ですが、
 ヨセミテはそれよりかは良いみたいですよ」
の言葉に、ちょっと安堵。

その言葉通り、走り出して30分もすると
陽が射し始め青空が見え始めた
。嬉しい~

風力発電の風車。白い雲がどんどん流れていく。

M氏も
「お天気が回復してよかったですね~。いや~、
 嬉しいほうにお天気予報がはずれてくれたな~」と。


カリフォルニアの青い空も見え皆で感激

途中休憩の時、M氏に
「サンフランシスコは初めてですか?」と尋ねられ
「新婚旅行の時に一度来て、それ以来25年ぶりなんですよ~」
「今度は親子でごいっしょに?」
「そうなんです。」
という話をしていたら、次の車中内で
「○○さんは、新婚旅行依頼25年ぶりのサンフランシスコ
 家族旅行なんだそうです。皆さんも、またぜひ何回も
 サンフランシスコに来てくださいね~」
と紹介されてしまった。

ヨセミテ到着
3000メートル級の岩山、深い森、滝、渓谷が造りだす
大自然の地、ヨセミテにようやく着いた。
マイナスイオンを胸一杯に吸い込み、
壮大な自然を体中で感じる。


ヨセミテロッジからの眺め


 木々に囲まれた散歩道

ハーフ・ドーム
ヨセミテのシンボル、ドーム形を半分に切ったような形の
ハーフドームが見える。標高2695メートルだそうだ。
清流と深い森に抱かれた岩山。
ここにいるだけで、心が、す~っと洗われ、
すがすがしい新たな気持で満たされていくような気がした。


  
エル・キャプタン
世界中のロッククライマー憧れの地、エル・キャプタン。
1000メートルもの一枚岩で、よく見ると
岩の上にロッククライマーの姿を見る事ができた。
垂直にそそり立つ岩にしがみついて、何日もかけて
この岩を登っていくなんて、どうしてそんな大変な事を
するのか私には分からない。
でも、一度制覇してみたら病み付きになるらしい。
私には一度目の挑戦をしようという気がさらさらないので
病み付きになる心配もないな。。と思いながら
小さな、小さなクライマーの姿を見つめていた。




トンネル・ビュー
ヨセミテ絶景ポイントの一つ。
右にハーフドーム、左にエル・キャプタンを配し
壮大なヨセミテ・バレーの絶景が望める。



ヨセミテ滝
ヨセミテロッジから、ヨセミテ滝まで歩いていった。
740メートルの落差のヨセミテ滝は、水量がすごくて
ゴォッ~っと音をたてて、水が豪快に流れ落ちている。
途中、くりくりっとした目のグレーのリスにも出会った。



少し雲があったものの、お天気も良く
大自然を五感一杯に感じた、ヨセミテツアー。
ここに連泊できたら、どんなにリフレッシュできるだろう。


ヨセミテロッジ、フロント。
いつかこのロッジにゆっくり泊まる、そんな旅をしてみたい。

フルーツショップ

帰りのバスは、ほとんどの人が寝てしまっていて、
この休憩所で降りた人は数人。
でも、20分もあるし、とってもかわいいフルーツショップなので
私達4人はバスを降りた。


フルーツショップ内、ここでお茶が飲める。
フルーツやアーモンドの砂糖まぶしなどの試食もあり、
ちょうど小腹が空いている頃でもあり皆で色々と試食した結果、
オレンジ砂糖まぶしのアーモンドを買った。
これ、とってもおいしかったけど、日本では見かけないな~。

カリフォルニア産のフルーツがずらりと並ぶ。


このフルーツショップで、M氏に今日の夕食の
お薦めレストランを聞くと、
M氏お気に入りのフランス料理店を教えてくれた。
すぐに、電話で予約が取れるか聞いてもらい、無事予約OK。

今夜はフランス料理フルコース

セントフランシスにわりと近いこのフランス料理店
「RUE LEPIC]は、地元の人に、とっても有名らしく、
ジョンレノンの奥さんオノヨウコさんのサインもあった。
すごい~と感激。
お客さんは皆地元の人らしく、日本人は私達だけだった。

パスタ、マッシュルームのスープから始まって
シーザサラダorグリーンサラダ、焼きたてのパン。
メインディッシュは
白身魚のサフランソース、ビーフステーキ、子牛のフォンドボーなど
何種類もの中から選ぶ。
デザートも選べて、私達はあえてばらばらに
チューリップグラスにはいったフルーツ、カスタードソース添え
ピーチストロベリーのシャーベット
焼きプリンのキウイーフルーツのせ
チーズケーキのストロベリーのせを選んだ。
どれもかわいくて手をつけるのがもったいない。



とってもおいしいフランス料理で、
みんな幸せ気分で歩いてホテルまで帰る。


夜のセントフランシスホテル。

お天気も回復していて、
明日のサンフランシスコはいいお天気かもしれない

ホテルに帰ってから、明日の計画を息子達が立ててくれる。
明日はサンフランシスコ最終日。一日中フリー。
初日の市内観光が嵐でつぶれたので、思い出のサンフランシスコ
訪ねるのは、明日しかないのだ。
私は、ツインピークスからサンフランシスコの街が見たい。
ケーブルにも乗りたい。ロンバードストリートも見て、
フィシャーマンズワーフでシーフードも食べたい。。。などど、
希望をずらっ~と並べた。

その希望を叶えようと、息子たち二人が、
ガイドブックとマップを広げて相談してくれている。

その様子を見ているだけで、なんだか半分希望が叶ってしまった
ような気がした。ありがとうね。

2006結婚25周年⑦「思い出のサンフランシスコ」へ続きます




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2006結婚25周年⑦「25年ぶりのサンフランシスコ」

2007-02-25 23:13:02 | 海外旅行2006 2月アメリカラスベガス・SF

結婚25周年①アメリカ「新婚旅行地を親子で」 
2ラスベガス  
3グランドキャニオン・パリスカジノ 

4デスバレー国立公園・Oショー 
5思い出のサンフランシスコ 
6ヨセミテ国立公園・フランス料理

7ツインピークス・ケーブルカー・ロンバードSt・フィッシャーマンズワーフ・ピア39・ユニオンSq
8ロサンゼルス経由帰国

 

旅の始まりはこちらです。2006結婚25周年①「新婚旅行地を親子で」



2006.3.1 (現地時間)

いよいよサンフランシスコ最終日
朝7:30、窓の外はやはり暗い。
う~~む、まだ私の念力が足らないか。。
晴れろ、晴れろと念じてみる。

とりあえず、明日帰国なので、簡単に荷物の整理をして、
その後息子達の立ててくれた予定に従って行動する事に。

出発の9:00頃になると、突然先ほどまでサンフランシスコの空を
覆っていた暗い雲が流れ始め、青空が広がりだした。
やった~すごく嬉しい
と、同時に、え。。これって私の念力の所為
まさかね

ツインピークス
まずはタクシーで、展望の美しさではサンフランシスコ
一のツインピークスへ行く。
25年前の1回目は、しんどくてバスの中から
薄目をちらっと開けて見ただけのツインピークス。
2回目は嵐の中の市内観光で激しい雨と
黒い雲に覆われていたツインピークス。
そして、今日が3回目の正直

青空の下、サンフランシスコの街が一望でき
25年間の念願の思いが叶った。
タクシーの運転手さんに頼んで家族写真を
「もう一枚。。いや後もう一枚。。」
とお願いし、何枚も撮ってもらう。



タクシーをカストロ駅で降り、そこから地下鉄でパウエル駅までいく。
サンフランシスコの地下鉄に初めて乗った。
切符の購入、ホームへの案内と息子達がしてくれる。
ついこの間まで、私達が手を引いて、
「大丈夫?もうちょっとよ、頑張って~」と連れて歩いていた息子達。
それがいつの間にか、もうすっかり頼れる大人になっていた。

ケーブルカー
パウエル駅に着き、そこから憧れのケーブルカーに乗った。
ケーブルカーハイド線で、ロシアンヒル、
ロンバードストリートに向かうのだ。



25年前憧れながら乗れなかったケーブルカーに乗り、
青空の下、坂道を風を切って走る。
カリフォルニアの風はやさしく、心地よく、
坂道を下る時は子供のようにワクワクした。


坂の街、サンフランシスコ

ロンバードストリート
ケーブルカーをロンバードストリートで降りる。
坂道が続く閑静な住宅街ロシアンヒルの一角
世界一のくねくね道で有名なロンバードストリートがあるのだ。
坂の上から下まで歩いた。今は緑だけだが、6月ごろには
ピンクのアジサイの花が咲いてとても綺麗らしい。
その頃も、見てみたいな~



フィッシャーマンズワーフ
ロンバードストリートから、歩いてフィッシャーマンズワーフへ。 



カニの看板前で、主人の提案、皆でダブルピース、
カニの格好をして写真を撮った。はずかしい~
でも、周りの外人さんは、ニコニコピースサインを出してくれた

しかし、この看板少しおかしい。。。そうなのだ
先日の嵐のせいか、オレンジ色のまん中の蟹
どこかに行っている。(2月27日の写真と比べてみてほしい。。。)
蟹はいずこへ~と思いつつ、昼食の為ピア39へ向かった。



これは、フィッシャーマンズワーフのトイレ内のタイル柄。
トイレもおしゃれだ~

ピア39


フィッシャーマンズワーフの隣にある、110軒ものショップが
並ぶスポット。ここは25年前にはなかったな~。


港にはたくさんのヨットが並ぶ。

ピア39で昼食 クラムチャウダーブレッドボール、
クラブテイル、シュリンプ、ポテトフライを食べる



今日の夕食の予約をここから長男が携帯電話で入れた。
英語でイタリアンレストランに無事予約でき、
お~っとみんなで拍手。

シーライオン、いっぱいのあざらしが寝ている。
ごろごろ寝そべる姿は、かわいくて、
いつまで見ていても飽きない感じだ。



ピア39で買い物。息子達と別れて1時間自由行動にする。
チョコレート、ワイン柄のガラス飾り、花瓶などお土産を買う。



このころから、主人の様子がちょっとおかしいのに気づいた。
どうしたの」と聞くと
ちょっと風邪ひいたみたい。。」と。
そういえば、お酒も飲んでないのに、ちょっと赤っぽい顔をしている。
大丈夫。。?」と言いつつ、やっぱりサンフランシスコは
どちらかがしんどくなるのかな。。と思ってしまった。

息子達と落ち会ってから、パンとコーヒーで休憩し、
主人は風邪薬を飲んだ。
そして、とりあえず一度ホテルに帰る事にした。
30番のミニュバスの窓から、鳥の丸焼きや野菜などを売っている
中華街が見えた。
こういう生活感がある所が大好きな主人は、いつもなら絶対に
「降りようか。ちょっと見て行こう」というはずなのに
さすがに今日は黙っている。
やっぱりしんどいんだ。。


 中華街 ドラゴンゲート

ホテルでしばらく主人は寝、私達は荷物の整理をした。
その後、「夕食まで寝てる?」と聞いたが
もう大丈夫やし、買い物に行く!」と言う。
25年前は付き合ってもらったんやし、今回は私が付き合うよ
と言っても、
いや、大丈夫!絶対に買い物に行く」と。

それで、大丈夫かな。。と思いつつも、ユニオンスクエアー
買い物に出かけた。ユニオンスクエアーはホテルのすぐ前にあり
ブランド店を中心に色々なショップやメイシーズデパートなどが並んでいる。
ホテルは目の前だし、しんどくなったらすぐに戻れるからいいか。。と
出かける事にした。


 夕暮れ時のユニオンスクエアー

リーバイスで主人や息子達はジーンズやシャツを買い、
その後、息子達とは夕食までまた別行動にした。

私達は、25周年を記念して結婚指輪の買い替えの為ティファニーへ。
これは旅行前から、約束していたのだ。
指輪を買い替えた後、ここでお水を貰い主人はもう一度薬を飲んだ。
しばらくすると薬が効いてきたのか、少し元気が出てきた主人にほっと。
長男が予約したイタリアンレストラン、「スカラズ・ビストロ」で
夕食をとった後、ホテルへ戻った。

最後の荷物の片づけを終え、だいぶ元気になった主人と
息子達と旅行最後の乾杯

そこで息子達が、結婚25周年の記念にとプレゼントをくれた。
さっき、ピア39で別行動した時に買ったらしい。
ちょうど買っていたときに私が偶然お店に入っていったらしく、
びっくりしたよ~
ほんと、あせったよな~」と二人が笑っていた。


息子二人からのプレゼント
ヨセミテの写真アルバムと、サンフランシスコの写真立て
サンフランシスコケーブルカーの飾りが付いたペアのチャイム
前の小さなベル二つはお店からのプレゼントらしい。

本当にありがとう。
なんか嬉しいのに涙が一杯出てきて困ったよ

さぁ、明日はいよいよ帰国だ。
いったんロサンゼルスに行って、
ロサンゼルスから関空まで10時間ほどの飛行だ。

楽しい時間は本当に早く過ぎる。。
もっと、もっとこんな日が続いて欲しいけど、それは無理。
日本に帰ったら、また息子達とは別々の暮らしだな。。
そんな事を思いながら、サンフランシスコ最後の夜の夢路についた。

2006結婚25周年⑧
「新婚旅行地を親子で訪ねた旅・帰国」へ続きます

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2006結婚25周年⑧「新婚旅行地を親子で訪ねた旅・帰国」

2007-02-24 23:39:09 | 海外旅行2006 2月アメリカラスベガス・SF

結婚25周年①アメリカ「新婚旅行地を親子で」 
2ラスベガス  
3グランドキャニオン・パリスカジノ 

4デスバレー国立公園・Oショー 
5思い出のサンフランシスコ 
6ヨセミテ国立公園・フランス料理

7ツインピークス・ケーブルカー・ロンバードSt・フィッシャーマンズワーフ・ピア39・ユニオンSq
8ロサンゼルス経由帰国

 

 旅の始まりはこちらです。2006結婚25周年①「新婚旅行地を親子で」


2006・3・2 (現地時間)

今日はロサンゼルス経由で日本へ帰国の日。
なんと朝4時40分、モーニングコール。早すぎ~
荷物をボーイさんに頼んで、5時半頃ロビーへ。
ボーイさんが家族写真を撮ってあげようという。
くしゃくしゃ~とした髪、ぼ~~っとした顔で
4人、家族写真を撮ってもらった。
これがサンフランシスコ最後の記念写真。。。
ま、しょうがないか~

5時40分、セントフランシスホテルに別れを告げ、
バスは、まだうす暗いサンフランスコの街を走り、
郊外の空港へ向かった。

バスの運転手さんと、ヨセミテツアーの話になり、
「ガイドさんのM氏においしいフランス料理店を教えて
 貰ったのでお礼がいいたいな~
とふと話したら、
「M氏のことはよく知っていますよ」と運転手さん。

それで、短いお礼の手紙を書き、
日本から持ってきていた柿の種やあられと
いっしょに渡してもらうように頼んだ。

今回はいろいろとありがとうございました。
25年前、新婚旅行で訪れたサンフランシスコ。
25年後、もし子供が生まれていたら子供もいっしょに
もう一度来たいと思っていました。その思いが叶って
今回家族でサンフランシスコに来る事ができ幸せです。
お天気もよくなって、息子達もサンフランシスコが
大好きになったようです。
昨日のフランス料理店は最高でした。おいしかった!
ありがとうございました。
また、サンフランシスコに来れたらいいなと思っています。
どうか、お元気でがんばって下さい。


それから8時の出発までの間に、サンフランシスコ空港内で朝食
9時過ぎにはロサンゼルスに着いた。

ロサンゼルス

ロサンゼルスも新婚旅行のときには2泊した思い出の地なのだが、
今回は経由だけで空港の外に出ることがなかった。

でも、やっぱり懐かしい~。
もうちょっとゆっくりロサンゼルスを見ていたい。。
そんな思いが天に通じてしまったのか。。


ロサンゼルス12:30離陸予定の関空行きJALだったが、
ここでまた一つトラブルが起こってしまった。


出発直前に病人が出たのだ。日本人の男性で、私達の席の
斜め前辺りに座ってられる方。過呼吸症のようで、気分が悪そうだ。
客室乗務員の方が、入れ代わり,立ち代り来て症状を聞き、
飛行機を降りるように勧められている。
本人は降りたくないようだけど、客室乗務員の方も、
命に係わる事だからそう簡単に譲れないようだ。
と、その時機長のアナウンスがあった。

機内にご気分の悪い方がおられます。当機のお客様の中で
 お医者様がおられましたら近くの客室乗務員まで
 お申し出下さい。尚、当機の離陸は予定時刻よりも遅れますこと
 ご了承下さいますようお願い申し上げます。
」と。

まるでドラマみたい。。とちょっと思ってしまった。
ごめん。。不謹慎でしたっけ

結局、外人のお医者様に診察されたその方は、友人とともに
飛行機を降りる事となり、いったん誘導路まで出ていた飛行機は
向きを変えターミナルビルへ。

気の毒だな~と思ったけど、1~2時間ならまだしも、
10時間以上のフライトだし、飛行中に何かあったら大変だから
仕方ないかな。。

病人と付き添い人を降ろし、彼らのトランクを探し出して降ろした飛行機は、
1時間遅れでやっと離陸したのだ。


1時間遅れて離陸した飛行機

今回の旅行では、グランドキャニオン軽飛行機の交換から始まり
ラスベガスバスの黒煙による交換、
サンフランシスコの嵐による飛行機の離陸遅れ、
ロサンゼルスの病人による飛行機離陸遅れと、乗り物のトラブルが多かった

でもまぁ、これも大事が小事に分かれたんだと思えばOKかな。

2006.3.3 (日本時間)

夕方6時頃、飛行機は無事関空に着いた。
翌日から野球の試合がある次男とはここで別れ、
長男も一旦京都に寄ったものの、次の日には帰っていった。

家族4人の海外旅行。本当に楽しかった~
お天気も嵐の一日だけを除いては、晴れで本当によかった。

結婚25周年をこういう形で祝えて本当に幸せだと思う。
本当に皆に感謝だ。主人に、息子達に、気持ちよく送り出してくれた母に
そして留守中の母をみてくれた弟家族や近所の友達にも。

これからの年月、いままでの25年間にも色々な事があったように、
これからもきっと色々な事が起こるのだろう。
でも、できれば、穏やかで、健康な日々であって欲しいと切に願う。

そして、息子達。二人とも優しい子に育ってくれた。
離れた土地で、それぞれ頑張る彼らに幸あれと祈る。
私と主人は、京都から彼らを見守っていこう
これからもよろしくね

そして、これからも、また時間を見つけて
4人いっしょに旅行に行きたいね。



   思い出のサンフランシスコの小物達

それに、今回また新しい夢が生まれた。

8年後の還暦の時、今回行けなかった新婚旅行地ハワイ
皆でお祝いっていうのはどうだろう。

8年後だったら、二人とも結婚しているかもしれないかな~。。
その時は家族団体で行けたら楽しいだろうね。

なんて、夢のまた夢だけど、
願わない夢は叶わないですもんね。

新しい夢に向かって頑張ろう~ということで、

アメリカラスベガス・サンフランシスコの旅は終わり、
2006年へのタイムスリップは終了です。



結婚25周年①アメリカ「新婚旅行地を親子で 2ラスベガス  3グランドキャニオン・パリスカジノ 
4デスバレー国立公園・Oショー 5思い出のサンフランシスコ 6ヨセミテ国立公園・フランス料理
7ツインピークス・ケーブルカー・ロンバードSt・フィッシャーマンズワーフ・ピア39・ユニオンSq
8ロサンゼルス経由帰国

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ブログ

2007-02-18 23:41:52 | 家族
次男は昨年の夏頃からブログをつけている。
「ブログつけ始めてん」という次男に、
親に教えてくれるかな~。。と思いつつ
「へぇ~ほんなら、アドレス教えてーや」と聞いたら
「ええよ~」とあっさり教えてくれた。

それ以来、私はブログを読むのが楽しみになった。
今まで全然わからなかった大学生活のほんの一片だけど
わかるようになった。

そうか、今日は鍋パーティーか。。。
今日は飲み会でからおけか。。(なんか遊んでばっかり
いや、お今日は頑張って勉強してるな。。今試験中なんや。。
クラブもがんばってるみたいやな。。
離れて暮らしているとほんと何をしているのか、全くわからないけど
ブログを通してほんの少し息子の暮らしが見えてくる。

私がじっとパソコンの前で読んでいると、主人が横から覗いてくる。
「読む?」と聞くと「いや、ええわ。。」というくせに
「なんて書いてあったん。。」と聞いてくる。
だったら自分で読めばいいのにと思いつつ、かいつまんで説明すると
そうか~と満足している。

ところで、そのブログによると次男は16日夜から新潟へスキーに
行っているらしい。バスの中やスキー場から、
ほんの短いフレーズだけど更新している。
携帯から更新できるなんて、すごいな~と思いつつ、
無事に着いた事やスキー場での様子が少しわかって
こちらも嬉しい。

長男にもブログつけたら。。。とそれとなく勧めているのだが
なかなか忙しいみたいで、いい返事はまだ返ってこない。
でも、今日たまたまメールしたら
今日はこれからオーケストラを聴きに行くという。
へぇ~これまたすごいな~と思いつつ、
二人とも元気で、今青春の時を楽しめている事に感謝。

これからも元気で、ちょっとくらい辛い事があっても
ヨッシャ~と乗り越えるだけの強い気持を持って
頑張っていってほしい。






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バレンタインデー

2007-02-14 00:00:28 | 家族
2月14日、今日はバレンタインデー

といっても、息子達にはもうすでにチョコレートを
渡してあるしあとは主人だけ。

今日たまたま弟が家に来るというので
弟と、弟の息子つまり私の甥っ子の分のチョコも買った。

チョコレートを買った後、今日はバレンタインやし、
久しぶりにステーキにしようかなと肉屋へ肉を買いに行った。

私はそんなにもお肉が好きではないし、母も食べる量は
しれているので、2枚買えばいいかな~と思っていた。
が、店の前の広告を見ると、サーロインステーキ一枚1050円と
書いてある。うそ~、安売りの時でも1枚1650円はするのに
今日はすっごく安いやっぱりバレンタインやし
お肉屋さんも考えたはんのかな~と、思わず
「3枚下さい」と言ってしまった。

「はい、3枚ですね」元気よく言うと
店員さんは、サーロインを3枚とり、量りの上に乗せた。
え。。なんで量る必要があるの
と思いつつ、広告をよく見てみたら1枚ではなく、
100g1050円だった。
え~。。。と思ったけど、
だったら、2枚でいいですとも言えず。。。
そのまま3枚買ってきてしまった。
    これがそのサーロインステーキ    
 
      

ま、バレンタインやし、いいってことにしておくか。。
明日からはちょっと節約しよう~

     
       
    私と母から主人へのチョコレート



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津和野・萩・宮島・広島の旅1

2007-02-12 10:53:34 |  国内旅行
2月10・11・12日と3連休を利用して、
津和野、萩、宮島、広島を周る旅行に行ってきた。
新しい車で遠出してみたいという主人の思いと
旅の香りという番組でみた、ある旅館に泊まってみたいという私の思い
広島の原爆ドームや平和記念館を一度見てみたいという母の思い
3人3様、色々な思いを乗せて朝7時前に車は京都を出発~

2月10日(土)
津和野
名神高速、山陽道、中国道と乗り継いで、1時ごろ津和野に着いた。
2月の山陰を車で旅行なんて、雪でも降ったらどうしようと
ちょっと心配していたけれど、2月とは思えない暖かさと
お天気も良くよかった~

まずはお昼ご飯と、郷土料理のうずめ飯セットを食べた。

      

うずめ飯とは、その名の通り一見お茶漬けのように見える
ご飯の下に、山菜や豆腐かまぼこなどの具がうずめてあり、
わさびを効かせて混ぜていただく。
贅沢をとても嫌った津和野城主の目をごまかす為、
人々の生活の知恵から生まれた郷土料理らしい。
津和野名物こんにゃくの刺身などもついていておいしかった~

食後は、森鴎外旧宅、安野光雅美術館を見て殿町通り散策へ行った。

     
      森鴎外旧宅

     
      武家屋敷が続く殿町通りひっそりしていてちょっと寂しい

    
      堀割りには有名な錦鯉が泳いでいる。
      その大きさにびっくり
      木村拓哉さんのドラマ華麗なる一族の金色の鯉「将軍」に、
      勝るとも劣らないと思われる鯉も悠然と泳いでいた。

実は30年ほど前に一度私は津和野に行った事がある。
その時に比べると、なんだか町がちょっと寂しかった。
前の方がもっと賑わっていたような気がした。
でも、その時の鯉はもっと小さく、30年たってこんなに大きく育ったん
だろうか。。鯉の寿命ってどの位なんだろう。。などとふと思ってしまった。
      
萩、北門屋敷へ

津和野を4時前に出て、今夜のお宿萩の北門屋敷に向かう。
この旅館は、私が以前旅の香りという番組で見て、
一度行ってみたいと憧れていたお宿。
3000坪もある毛利屋敷後と聞いていたので、
純和風のお屋敷だとばっかり思っていたら、
門の中を入るとロビーはイングリッシュガーデンの見える
洋風な仕様でびっくりした。
      



こちらは「和」の日本庭園

お部屋に案内してもらってから、お風呂へ
露天風呂からは、ライトアップされた椿の花が見え素敵だった。
そのあと、ウィステリアというメインダイニングで夕食を頂いた。
冷たいビールにお食事もおいしかった。

ただ、最後の方でちょっと寒いかな。。と思った。
そして、そのことにもっと早く気づいて、対処すればよかったと
あとで後悔したけど、ちょっと遅かったのだ。


津和野・萩・宮島・広島の旅2へ続く


  
    
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津和野・萩・宮島・広島の旅2

2007-02-11 13:13:16 |  国内旅行

2007・2・11(日)

     旅の始まりは  こちら

朝起きると、母の様子がおかしい。
「どうしたの?」と聞くと、
「腰が痛くて歩けない。。」と言う。

そういえば、昨日の夕食時、最後の方ちょっと寒かったせいか
部屋に戻った後、母が
「ちょっと腰が痛くて足が冷たい」と言った。
確かにレストランは、ちょっと寒いと私も感じたけど、
まぁ大丈夫かとそのままにしたのが悪かったのだ。
それで、もう一度お風呂に入って体を暖め、
温湿布を張って寝てもらった。
一晩暖かくして寝れば治ると思ったのは間違いだったのだ。

「昨日の夜中よりは、ましになったけど。。」
夜中トイレに行く時は、痛くて大変だったらしい。
「起こしてくれたらよかったのに。。。」
といいつつ、支えないと歩けない状態の母に温湿布を
多めに張り、痛み止めの薬を飲んでもらう。

こうなると、この旅館の売りでもある3000坪の広さが
朝食に行くにも結構歩かなければならない事になって、
かえって仇になる。
フロントに行って、車椅子を貸してもらえる様に頼んで
館内を車椅子で移動する事にした。

朝食はレトロで重厚な逍遥亭というお部屋で頂いたが
車椅子のままで食事できるようにセッティングしてあって
その心使いが嬉しかった。

       
   北門屋敷の朝食

母は薬も効いてきたのか、だいぶましになってきたようだが
歩いて観光できるとは思えず、フロントで相談したら
萩観光協会で車椅子の貸し出しをしてくれるという。
よかった~
せっかくここまで来たのに、街を見れないのは残念だもんね。

萩観光

まずは観光協会に行って車椅子を借りる。
トランクの中の荷物を全部前に入れて空け、そこに車椅子を入れる。
以前の車はワンボックスカーだったので、
車椅子だって簡単に入れられただろうけど、
乗用車に変えたが為に結構いっぱいいっぱいで、
車椅子って結構大きなものなんだ~と思った。

無事に車椅子も積めて、いざ、笠山椿群生林へ。
観光協会で車椅子でも周れて椿の花がきれいな所がありますよ
と、聞いていたのだ。

     
 
ちょうど椿まつり直前の見ごろの時季で、枝にも路にも椿の花がいっぱいで
とってもきれいだった。こんな綺麗なところを教えてもらってラッキ~
これは、車椅子を借りに行ったおかげやね。

昼食は萩の町に戻ってお食事所わらじで、主人はうに丼定食、
私と母はお刺身定食を。

      
      このうに丼のうには最高においしかった~。
      私も、うに丼にすればよかったな。。

萩の城下町をゆっくり車椅子を押しながら周った。
高杉晋作誕生地、伊藤博文勉学所。。。
幕末の頃の名高い長州藩士の名が並んでいる。
萩焼のショップで薄いピンク色の茶器を気に入り、
ちょっと高かったけど思い切って購入してしまった。

      
       美しい白壁の菊屋横丁

観光協会に車椅子を返し、次は宮島へ向かう。

宮島

萩を出て、山陽自動車道で宮島へ向かった。
宮島に今日行くか、明日に回すか迷ったが、
厳島神社に電話して聞いてみると、
5時半までに入ってもらったら拝観できると言う。
明日は京都に帰らないといけないし、広島宮島の二つは無理だろう、
行けるものなら今日中に行ってしまおうと決定。

主人はガンガン高速を飛ばし
おかげで余裕で5時半に間にあうように思えた。
が、高速を降りてからが問題だったのだ。
渋滞で車が動かない。ここまで来て間に合わないのか。。
宮島までフェリーで10分、宮島桟橋から厳島神社まで普通徒歩で10分。
本土のフェリー乗り場になんとしても5時には着いておきたい。
なのに、渋滞は続き、時間がなくなり、気ばかりがあせる。

結局フェリーに乗れたのは5時10分で、桟橋着が5時20分。
あと10分しかない。。
宮島観光案内で車椅子を借りて母を乗せ、私は車椅子を押していく。
主人は一足先に走って行って、拝観のチケットを購入し待つ。と
役割を決めて行動。

私と母が厳島神社に着いたのは、5時半を過ぎていたものの、
ぎりぎり拝観には間に合い、ほっとほっとだった。

     
    海中に立つ大鳥居

海中を敷地とする厳島神社は、私の予想を大きく超える規模で
朱塗りの本殿も美しく感激だった。ほんと、間に合ってよかった。

    

     友達のご主人が赤い衣装をまとい、 
     能面をつけて、能を舞ったことのある能舞台。
     これを見るのも楽しみだったのだ。

厳島神社拝観のあとは、お土産やさんがずらりと並ぶ表参道商店街を
通って帰った。その賑やかさに感動。一つ一つのお店を覗いてみたかったが
時間がなくて通り過ぎただけなのが残念だった。

そのあと、案内所に車椅子を返してフェリーに乗ったが、
母を座らせてあげる椅子がなく、階段を上るのも大変だし
どうしようと思っていたら、主人がかくれ客室を見つけてくれた。
鉄の扉を開けたら、なんと、ゆったりとしたソファーの客室だったのだ。
しかも3人座る分があいている。よかった。なんというラッキー~

なんか、あたふたした旅だったけど、楽しかった。
母の腰痛も車椅子のおかげで、だんだんと良くなっている
ようで、よかった~
それに、慣れない車椅子を押していて、手こずっていると、
「手伝いましょうか」と声をかけてくれる人がいる。
「ここを押すといいですよ」と教えてくれる人がいる。

人の優しさや温かさに触れた旅だった。
さぁ、これから今夜のお宿鴎風亭に向けて、また出発だ~


津和野・萩・宮島・広島の旅3へ続く











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津和野・萩・宮島・広島の旅3

2007-02-10 16:46:45 |  国内旅行

2007.2.11(日)夜
ホテル鴎風亭
         
        旅の始まりは  こちら

昨日は、宮島へよってしまったせいで、このホテルへの到着が
8時を過ぎてしまった。
途中連絡を何回か入れたが、遅れたにも関わらず
「どうかお気をつけてお越し下さい。お待ちしています。」
と言って下さった。

だいぶ前になるが、別の旅館で遅く着いた時、熱い物も、冷たいものも
全部テーブルの上に並べてあってがっかりしたことを思い出し心配したけど、
ちゃんと1品ずつお料理も出してもらえて嬉しかった。
夕食お料理一部を紹介。

 
     前菜           お造り
 
 牡蠣のオイル焼き    山海のほおば焼き
 
   鯛ご飯        黒ゴマのブロマージュ

あと、鯛しゃぶや、穴子煮物、蓮根饅頭。。
もう、お腹いっぱいで幸せいっぱいでした。

2007・2・12(日)

朝部屋の窓から
このホテルの部屋からの眺めは最高。
朝、一枚ガラスの窓いっぱいに瀬戸内海の
静かな波のきらめきが見えるのです。.
       
       

旅行に来た時の贅沢。。まずは朝風呂に入って。。

       

今日の朝食は洋食を希望

        

腹ごしらえも済んで、いざ広島へ出発です


広島 平和記念公園
母の念願の広島平和記念公園だが、ここは母だけでなく、
私も主人も一度行ってみたかった所。
今の関西の小学生は修学旅行で広島に行くようだが、
私達の頃はお伊勢さんで、広島ではなかった。
世界で唯一原爆を経験した国、日本の国民として
一度は広島に行くべきだと思いつつ、今まで機会がなかったのだ。

原爆ドーム
車を原爆ドームの近くの駐車場に預け、まず、原爆ドームへ向かった。

    

テレビでよく見る風景が、今目の前にある。
爆心地のほぼ中心地にあったにもかかわらず、奇跡的にその姿を残す
原爆ドームは、被爆前は広島県産業奨励館というモダンな建物で
あったらしい。それが、一瞬にして廃墟の残骸となった。

62年前、この地でどんなことが起こっていたのだろう。
知識としての原爆は知っているが、ここで起こった惨劇は推測するだけだ。
でも、実際の惨劇は私の推測をはるかに超えたものだったのだろう。

今青空の下、風に吹かれ、ひっそり佇む原爆ドームの無言の静けさが
余計に原爆の恐ろしさを伝え、平和への祈りを訴えかけているような気がした。

原爆ドームを見た後、この広い公園内と平和記念資料館を
母が歩いて周るのはとても無理なようなので、
やはり車椅子を借りることにした。

平和公園内を車椅子で周る。祈りの泉、嵐の中の母子像。。
原爆死没者慰霊碑の前で、24万人を越えると言われる
原爆死没者へ3人いっしょに手をあわせる。
石碑に書いてあった
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから。」
という言葉が印象的だった。

広島平和記念資料館

平和資料館の中を、説明用のヘッドフォンを借り、車椅子でまわった。
資料館は東館と西館に分かれ、渡り廊下で繋がっている。
東館には原爆投下前後の広島の町の模型や、核兵器などが展示してあり
西館では主に被爆者の見るに耐えないような写真や遺品が展示してある。

私が最も驚いたのは、広島に投下された原爆の大きさだ。
今まで私はとても大きい原爆が広島や長崎に投下されたと思っていた。
でも、私が資料館でみたリトルボーイと呼ばれる広島に投下されたのと
同じサイズの原爆は、全長3,12m、最大直径0.75mの本当に小さなもの
だったのだ。これが、一瞬にして24万人以上の人を殺し、
一つの街を廃墟に変えた。
今世界では3万以上の原子爆弾が保有されているらしい。
こんなに恐ろしいものを、なぜこんなに保有する必要があるのだろう
と、本当に地球の未来が怖くなり、核廃絶の大切さを改めて感じた。

東館、西館を見た後、出口の西館にエレベーターがない為、
車椅子の私達はもう一度東館に戻らなければならなかった。
せっかく車椅子の用意があるなら、出口にもエレベーターが
あればいいのにな~と思った。

お好み焼き村

広島といえば、やっぱり広島焼き。
お好み村を教えてもらって、村長の店という
お好み焼き屋さんへ入った。

    

   これは、村長スペシャルという、イカ、海老、豚、そばの他に
   牡蠣やホタテまで入ったお好み焼き。
   さすが、本場のお好み焼きはおいしいかった。

今回の旅行は、母に腰痛がおこってしまい、どうしようと思ったけど
色んなところに備えてある車椅子のおかげで、
母も無理なくちゃんと観光もでき、本当にありがたかった。
主人にもいっぱいいっぱい助けてもらった。
人の優しさにも触れられたし、ラッキーな事にも助けられた。
ちょっと大変ではあったけど、思い出に残る楽しい旅だった。

また、3人で旅行に行こうね

 

今回の旅行での思い出の品々。








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