京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤ後の生活を綴っていきます。
日本ぶらり旅や、京都のおいしいお店、海外旅行にも行けたらいいけど。。

モナコグランプリ アロンソとハミルトン

2007-05-31 08:24:24 | 美術館・観劇・映画・スポーツ
モナコ湾に白い大型クルーザーが並び、
エレガントで豪華なホテルが各国のセレブを迎える。
優雅で華やかな街モナコ。一度行ってみたい憧れの国だ。

そのモナコで、5月27日、
モナコグランプリレース決勝
が行われた。

普段一般人が使っている道を、このときだけコースとして使用する
モナコグランプリのコースは、片山右京曰く、
「レーサーとしての自分の技量が試されるコース」であるらしい。

この日のレースは、マクラーレンメルセデスのアロンソと、
今年デビュー以来全4戦入賞、モナコグランプリが5戦目という、
同じくマクラーレンメルセデスの新人ハミルトンとの
チームメイト同士の壮絶な対決となった。

F1史上初めて、デビューイヤーにモナコグランプリで
優勝かと期待されたハミルトンだったが、
ウィナーは先輩アロンソ
マクラーレンメルセデスの1,2フィニッシュで
アロンソはモナコグランプリ11年ぶりの2年連続チャンプとなった。

しかし、ルーキーハミルトンの走りは、
2位でもいいや。。。先輩に優勝は譲ろうと。。というものではなく
果敢に1位を狙って常に挑戦していたように思った。

そこまでしなくても。。2位は確実なのに。。
それでなくても危ないのに。。と私はひやひやし通し。
でも、これは守りに入った大人の考えで、
22歳のハミルトンには通用しなかったようだ。
アロンソの後ろにぴたりとついて、どんどん追い上げていく。

アロンソにとって、ハミルトンは新人のチームメートから
脅威のライバルに変わっていったことだろう。

アロンソが優勝したのはチームオーダー
(命令によりあからさまにチームメイトに勝利を譲ったり
 ポジションを入れ替える行為で禁止されている。)
によるものではなかったかという疑惑が出ているようだが、

ハミルトン
「なるべく接近して抜きたかったけど無理だったよ。
 次はやるよ
とちょっとはにかみながら言った言葉を私は信じたいな。

PS:結局モナコグランプリをリアルタイムで
   最後まで見てしまった私。   
   さすがに、翌日朝は頭が重く体もだるい。。
   やっぱり年を考えて行動しないとだめって事ですね~

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東野圭吾 手紙 秘密 容疑者Xの献身

2007-05-29 10:39:04 | 日常日記
先週は、東野圭吾の世界にどっぷりと浸かっていました。
息子が良かったよと言った東野圭吾の手紙
本屋でふと思い出して買ったのが始まりでした。

読み出したら止まらなくて1、2日で読み終えてしまい、
よかったよ~と、次は主人に。
主人も同じように、すぐに読み終えてしまったみたいです。

私は手紙を読んだ後、また本屋に行って
直木賞を受賞したという「容疑者Xの献身」と
作品紹介でおもしろそうだと思った「秘密」を探したのですが
どちらも売り切れでした。残念。。

でも、ないとなると余計に読みたい気持ちが募ってしまい。。
そうだ!と近くのブックオフに行ってみたのです。
ありました~容疑者Xの献身
ハード本なので1400円が半額の700円。ラッキー

早速時間を見つけては、読み始めたのですが、
その夜主人も本を1冊買ってきていました。うそでしょう。。?
でも、本の題名は秘密。よかった~重ならなくて



ということで、先週はほとんど、夕食後は二人とも、
主人は自分の部屋で、私はリビングで読書タイム。
いつもなら、見る見ないに係わらずテレビを付けていて
賑やかな部屋が、テレビの音も無く静かな世界。

2日ほどしてそれぞれ二人とも読み終えて、また交換。
私は週末を利用して「秘密」も読み終えてしまいました。
おもしろかった~。

手紙は、「強盗殺人犯の弟」という運命が、進学、恋愛、就職と、
主人公の人生の岐路のたびに立ちはだかる現実を通して、
犯罪加害者の家族の苦しみ、絆を描いたもの。

容疑者Xの献身は、数学者でもある高校教師の隣に住む母娘が犯した殺人。
母娘を守るため教師は天才的な頭脳を使って完全犯罪の為のシナリオ作りを。
果たして真相は暴かれるのか。。

秘密は、ある事故の後、妻の人格を宿した娘と夫婦として生活を送ることになった
中年男の愛の行方を描いたドラマ。

と、作品それぞれのジャンルは違うのですが、どれも最後の最後あっ。。。と
いう驚きと感動が隠されているのです。


日曜日、今度はこの作品が映画化されたらどうなるのか。。
と気になって、「秘密」のビデオと「手紙」のDVDを借り、
二人で2本続けての鑑賞会。

さすがに2本連続は疲れたけれど、それぞれおもしろかったです。
「秘密」の広末諒子はとても上手に難しい役をこなしていたし、
「手紙」の山田孝之の演技はさすがとしか言いようが無く、
ラストシーンは本当に感動的でした。

私個人の感想としては、「秘密」は本のほうが、
「手紙」は映画の方がよかったかな~

2本見た後、主人はさすがに疲れたわ~と言っておやすみ~。

でも、私には今夜この後モナコグランプリが待っているのです。
これだけは見てから寝ないと
でも、ちょっと自信ないかもな~。。


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徳之島からのお客さん

2007-05-27 06:11:28 | 友達・仲間
   徳之島からのお客さん

  鹿児島の南、南西諸島の一つ、徳之島


  先日突然来客があった。
  ピンポーンとなって出てみると、
  20年ほど前に、徳之島に引越しされた元ご近所の奥さん。
  「いや~。久しぶり元気やった~ 

  引越しされてからも、彼女の出身が関西なので、
  こちらに来られた時は京都に寄って、
  ご近所の仲のよかった各家を訪ねてくださる。
  5年に一度位なのだが、それが、いつも突然なのだ。

  「前もって教えてね。そうしたら皆でお昼でも食べれるのに。。」
  いつも言うのだが、
  「いいの、いいの。元気な顔をお互い見られるだけで」
  と、相変わらずの突然訪問。

  この日は仕事があって、少ししか時間が取れなかったのだが
  「ごめんね~。あんまり時間がなくて。。」  という私に、
  「いいの、いい の。じゃ、写真だけ見てね  

と見せてくれたのは、20枚程の初孫ちゃんの写真。
  お目めくりくりの赤ちゃんで本当にかわいい~
  
  彼女は3人の男の子のお母さんだが、
  まん中の子が結婚して、子供が生まれたらしい。
  「まん中の子って。。あの一番ごんたさんの。。?」と思わず聞くと
  「そうなのよ。信じられる?あの子がお父さんなんて。。」と彼女

  うちの長男と同じ学年だったはず。。
  確かに、ご近所でも有名なごんたさんでした。
  でも、写真の中の赤ちゃんを見る彼は、
  ちゃんとやさしい父親の目をしています。

  「徳之島にもね~、いいホテルができたのよ。
  一度ぜひ来てね。おいしい魚食べれるよ~
   じゃあまたね。」

  と、ちょっとそこまで帰るような軽い感じのさよなら。

  おいしい魚か~。。行ってみたいな徳之島。
  でも、待てよ。。せっかく行くなら、私も
  お孫ちゃんの写真を20枚ほど持参して、
  ちょっと見て見て~と自慢しなくっちゃ。。

  でも、そうすると、何年も先になってしまうのだろうね~

  

  

  
   
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息子の誕生日

2007-05-25 00:03:10 | 家族
昨日は、次男の24回目の誕生日だった。

息子達の誕生日の日に、息子達といっしょに
お祝い出来なくなって久しい。

息子達が小さい頃は、近所の友達、同級生を呼んで
バースデーパーティーをした。
お寿司に、から揚げ、ハンバーグ。。
主人も休みの時はたこ焼きを焼いてくれたりして賑やかだったな~。

中高生の時も、誕生日のホームパーティーは必ずした。
丸いバースデケーキを切るとき、

「この年になってこんなことやってるの
うちぐらいやで~
 と言われつつ、

「ええやんか。そんなん気にせんと歌お、歌お

と、バースデーソングも皆で歌った。

しゃあないな~という顔をしながらも、結局は二人とも
思いっきりロウソクを吹き消してくれたっけ。。

二人が大学生になり、京都を離れて一人暮らしを
始めるようになってからは、お祝いを入れた宅急便を送り、
お祝いメールを入れるくらいで、
実際に会って祝う事はなかなかできなくなった。

友達や彼女といっしょに過ごす
楽しく幸せな誕生日である事を願いつつ、
荷物を作る。。。そんな誕生日が続いているのだ。

今年の次男の誕生日も、宅急便とメールでのお祝い。
お祝いの金一封は誕生日の一人だけだが、
荷物は、二人いつもいっしょに送ることにしている。



今年の宅急便には、
京都の詩人「きむさん」のポストカードを入れた。


     きむさんの本とポストカード
   
根気を持って
最後まで
なりたい
自分になるために
人生
楽なことばかりじゃない。
でもきっと
楽しいことは
その向こうに
だから最後まで
根気を持って
挑戦を 
   ( きむさんの詩より)

夜、帰宅した主人はケーキを買ってきていた。
せめてケーキでだけでも、息子の誕生日を
お祝いしようと思ったらしい。



本人はいないけど、おいしいケーキでお祝い。

Happy Birthday

親としては今年も元気で、幸せであってくれれば充分なんだけど、
本人にとって今年は色々な事に挑戦していく年。
将来人の命に携わる事となる次男は、
多くの経験をして、一つ一つの技能を
確実に習得していかなければならない。

大変な事も多いだろうけど、どうか頑張って
一年間充実した日々でありますように。 








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花博記念公園 薔薇展

2007-05-23 08:51:09 |  お出かけ
5月20日(日)

花博記念公園

「薔薇でも見に行こうか~」と言って、主人がインターネットで
探し出してくれた花博記念公園の薔薇展。
母も誘って3人で行くつもりが、今日母は家でゆっくりしたいとの事で
2人で行く事になった。

ここは1990年、17年前に開催された花博会場跡地を、
記念公園として緑地化したもので、
私達がここを訪れるのも17年ぶり。
17年前、息子達を連れて花の万博に来た事があるのだ。



駐車場から咲くやこの花館へ向かう途中の花壇。
色とりどりのポピーがかわいく咲いている。



17年前、まだ息子達が小学生の1年、3年の頃、
この咲くやこの花館も訪れていた。懐かしい~



たしか夏の暑い日だった。
歩き疲れてくたくたになった息子達。
ここで、花柄のステンドグラスを背景に撮った写真が
今も家に飾ってあるのだが、
それに似たようなステンドグラスを見つけた。
瞬間、17年前のあの日が蘇り、懐かしさがこみ上げ、
なんだか胸が熱くなる。。



いのちの塔で見つけた1990年花博の時の
パビリオンと国際庭園の写真。



当時たくさんあったパビリオン。
すごい人込みで大盛況の各パビリオンだったのに
今はほとんどが完全に潰され緑地化している。



中国パビリオン跡地。
残っていても、建物のほんの一部だけでなんだか寂しい。。

咲くやこの花館 薔薇展

大阪ばら祭り2007、咲くやこの花館薔薇展は
今日が最終日だった。



色とりどりのさまざまな種類の薔薇が咲き誇っている。



会場には、撮影用に薔薇の花で囲まれた
エマニエル夫人のような籐の椅子がおいてあった。

「写真とってあげようか。。」と主人に薔薇の椅子を勧めてみると
「えっ~?。。」と言いつつも意外に素直に椅子に座った主人。
「はい、撮るよ~」と言うとにっこりVサイン。
でも、なんだかちらちらっと人に見られている感じ。

「じゃ、今度は撮ってあげよう」と言う主人に
「いいよ、いいよ、私は。。。」

風車の丘とばら園

真っ赤に咲いているのはサルビアの花。
青い空と風車、まるで絵葉書きの様
ここが一番きれいだったな~



風車の丘の横にはばら園が。。




素敵なばらのアーチ。

ばら園の規模はそんなに大きくないが、それでも
2500株以上のばらが咲いているらしい。
色々な種類のばらが咲き競っていて綺麗だった。

都会の真ん中とは思えない緑と、美しい花々を見せてくれ、
過ぎ去った昔へのノスタルジーを感じさせてくれた花博記念公園。

こんなに広くてきれいな緑地が、
1年中、無料で開放されているなんて大阪の人はいいな~。

ただ、至る所から聞こえてくる大音響の演歌カラオケ大会には
ちょっとびっくりでしたけど。。


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息子の野球試合観戦

2007-05-21 08:15:34 | 美術館・観劇・映画・スポーツ
5月19日(土)

18日夜遅く、大学生の次男から明日大きな大会出場をかけた
試合があると電話があった。よかったら見に来てと。

突然だったけど、朝主人にその事を伝えた。
19日は仕事の主人、お昼2時ごろに帰るといっていたのに
「じゃ、11時ごろに帰ってくるわ。」と即答。本当にいいの~。。。
そして、その約束どおり11時過ぎ家に帰ってきた。

1時からの試合に間に合うようすぐに車で家を出発。
高速も空いていて、充分間に合う感じ。
途中サービスエリアに寄った時、
「大阪うどん」と書いた大きな看板が目に付いた。
ついこの間見たDVD「うどん」のせいで、
「うどん」と言う言葉に敏感になっていた二人。

ちょうどお昼ということもあって
ちょっとだけ食べていこうか~ということになってしまった。
ちょっと味は薄かったが、腰のある太麺で、なんと390円。
しかし、このことが後で大きな後悔をまねくとは。。

うどんを食べた後、すぐにまた走り出したのだが、
球場に着いたのは1:10分頃で、
もうすでに試合は始まっていた。



2回の表、息子がマウンドで投げている。
試合はこちらが2-1で勝っていた。
その2点が。。。その時は知らなかったが、
一回の裏、息子がレフト線に放った2ランホームランによるものだったのだ。
その大活躍を、私達は1杯390円の「うどん」を食べていたお陰で
見逃した。。。

あとでその事を聞いた私達は、なんであの時うどんを食べたのか。。
お互いなんでやめとこう。。と言わなかったのか。。
あのDVD[うどん」のせいで。。。。と後悔したが、後の祭り

試合そのものは、緊張の連続のいい試合。
息子はピッチャーで9回を投げきったのだが
6回には1点返され2-2になり、
その後7,8回とお互い0点に押さえた。

そして9回の表、相手の攻撃。ここで大ピンチが。。
ヒットに走塁、バント送りで、1アウト3塁となってしまったのだ。
ここでヒットが出れば1点が入る。
そして、次の打者が打ったのはヒット性のライナー。やばいーー。

しかし、それをレフトがファインプレーでキャッチしてくれた。
これが試合の流れを変え、息子も次の打者を3振に。

9回の裏、ピンチの裏にはチャンスあり、その言葉の通り、
今度はこちらに2ベースヒットが出、バント送りで1アウト3塁。
そして、ここでヒットが~。
。。ということで、さよなら勝ちの3-2で勝利
嬉しかった~。これで関東地方である大会に出場できるらしい。

久々の野球試合観戦に、はらはらどきどきしながら、
息子の高校時代、毎週のように仲間と野球応援をしていた日々を
懐かしく思い出していた。
息子の投球を見るのも本当に久しぶり。
ストレート、カーブに加え、シュート、スライダーも投げれるようになったらしい。
私には良くわからなかったが、主人とはそんな話で盛り上がっていた。

試合後のミーティングの途中、
「ありがとう。いい試合を見せてもらって~」と言って、パンの差し入れ。
選手諸君、「お~お!パンや。」「ありがとうございます!」と言って喜んでくれた。

その後息子とは息子のマンション近くの焼肉店に。



久々の野球談義に花が咲き、今日の勝利に乾杯。
でもごめんね、今日の乾杯、主人はウーロン茶。。 

帰りの車の中、私達は「うどん」の事も笑い話になり、
行ってよかったね~と今日の日にほんと感謝でした。


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63年ぶり故郷訪ねた台北旅行

2007-05-19 07:43:03 | 海外旅行2005 2月 台湾
先日、お向かいさんが台湾に行ってこられた。
日本の新幹線技術が海外で初めて採用された台湾新幹線。
その台湾新幹線にも乗って、台湾を1周されてきたようだ。


頂いた台湾みやげの数々。

行きは台北から高雄まで1時間45分、新幹線での鉄道の旅。
帰りは高雄から台北まで、バスで各地を廻っての旅だったらしい。
台北101(世界一高い建造物・508m)からのすばらしい夜景の話や
肉汁たっぷりおいしかった小籠包の話などを聞いて、
私は2年ほど前に行った台北への旅をふと思い出した。

63年ぶり故郷訪ねた台北旅行(2005.2月)

2年前の冬、母の80歳の誕生日を祝って、
私達と弟達とで母に台湾旅行をプレゼントした。
母に同行したのは、主人、私、弟。
これは、母のルーツを辿る旅だった。

母は80年前、当時日本の占領下にあった台湾で、
日本人同士の国鉄マンと女教師の間に3女として生まれた。
日本が戦争の真っ只中にあった17歳の時、
母は、軍のタイピストとして働く為、志願してシンガポールに渡った。
戦争が終ったら、もちろん台湾に戻るつもりで。。

しかし、戦争は日本が負け、台湾も日本の占領地ではなくなった。
母は、台湾に戻ることなく、
若い頃の写真や思い出の品をほとんど台湾に残したままで、

シンガポールから日本へ直接引き上げざるをえなかった。

あれから、63年。
それ以後、母は一度も台湾を訪ねたことがない。
もう一度台湾を訪れてみたいという母の願いを叶える為に
企画したのが、その時の台北旅行だった。

目的は二つ。まずは母の出た第一高女(高校)を探す事、
そこには母の青春の思い出がいっぱいに詰まっているのだろう。
そして、二つ目は当時住んでいた家、もしくは地域を探す事。

私達は、ツアー旅行のフリーの日を利用して探し始めた。
一つ目の第一高女は簡単に見つかった。
母が総統府の近くだったということを覚えていたからだ。


総統府 このルネッサンス様式の建物を母は覚えていた。

そして、63年ぶり。
総統府の斜め向いに、母の卒業した高校が。。



「ああ、ここや。。ここや。。」
ゆっくしか歩けないはずの母が少し小走りになる。
懐かしそうに見あげる学校。
「ああ、この校舎覚えている。。この木も覚えている。。」
私も弟も見たことのない風景。
でも、高校生の母は、この学校に毎日通っていたのだ。

母の記憶によると、学校前の公園を斜めに抜けて通り、
早足で家まで20分くらいだったらしい。
高校生の足で20分ということは、80歳の足では1時間以上。。

 
母が横切ったという公園も見つかった。

母の記憶を頼りに、63年前の家探しが始まった。
もちろん63年も経っているわけで、
家は残っていない確立の方が圧倒的に高い。
でも、そばまで行ってみようと歩き始めた。



病院の前を通った記憶があるらしいが、
それらしい台大医院復建部と書かれた古びた病院前を通る。

しかし、この地点で足が痛くて母が歩けなくなり、
弟がおんぶするよと言ったけれど、
「もう、ここで充分。ここまで来れたらもういいよ。」と言い出した。
それで、この先はタクシーで周る事にした。

タクシーの運転手さんと、お互い上手とはいえない英語で話し、
事情を分かってもらい、とにかくゆっくりと走ってもらう。
母の記憶を辿って、右へ、左へ。。ぐるぐると色々な所をまわり、
タクシーの運転手さんも、昔日本人の家がたくさんあった辺りに
連れて行って下さったが、はっきりとここだ!という所までは
行き着かなかった。


台北、今の街並み。63年前との余りもの違いに、
見つけられなくても仕方ないかも。。

結局家は見つからなかったが、
「もう、第一高女も見れたし充分。ありがとう、ありがとう。」と、
母はこの日の結果に充分満足してくれた。

そして、その夜、ちょっと豪華な台湾料理を食べながら、
母の青春時代の思い出話を私達は色々と聞いたのだった。

。。これが2年前、母のルーツを辿った旅の台北旅行。
この旅行も私にとって、忘れがたい思い出の旅行なのです。

ということで、お向かいさんのお土産から始まって、
長話になってしまいましたが最後まで読んで下さった方、
本当にありがとうございました。























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結婚。。そんなお年頃。

2007-05-17 09:18:31 | 友達・仲間
友達の息子さんがこの6月に結婚される。
二人息子の下の息子さんだ。
上の息子さんはもうすでに結婚されていて、
友達は、これでほっとしたわ~と嬉しそう。

息子の結婚か~。
うちはまだまだ当分ないんだろうな。。
長男は働き出してまだ2年目だし、
次男は大学生活が後2年続くし。。

そういえば、最近の年賀状には
おばあちゃんに、おじいちゃんになりました~
などというコメントも目に付くようになった。
年をとってしまった事のちょっとした寂しさと
新しい命に出会えた事の大きな喜びが、文面に溢れている。
私も何年かしたら、そういう文面で年賀状を書くのだろうか。。。

さて、先日、息子さんへの結婚祝いをその友達に渡した。
お返しなしのささやかなお祝い。
前に淳平(4.14 ブログ)で購入したペアのお湯飲み茶碗だ。


普段使いに使ってもらえると嬉しいな
(包装紙だけではわかりませんよね。。すみません。

待ち合わせの場所に、友達は家にいっぱい咲いたからと言って、
色々な花を持ってきてくれた。

友達の家の庭。
 (たまたま貰った写真をお断りを入れて使わせてもらってます)
 え。。こんなに大きな庭だったの?。。とびっくり



ほんと、いろいろな花が咲いていてきれいですね~。



貰った花々を花瓶に入れてみました。。


きんせんかとマーガレット


青紫色の鉄線の花

華やかなお花を反対にこちらがいっぱい貰ってしまって。。
ありがとう~

June Bride~

息子さんの御幸せ祈っています。

温かく、笑顔いっぱいの家庭になりますように

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母の日のプレゼント

2007-05-16 08:50:26 | 家族
5月13日(日)は母の日だった。

次男は先日京都に帰って来たとき、
「母の日に渡して。。」とプレゼントを
主人に預けてくれていたらしい。

13日朝、主人が私に次男からと渡してくれた。
え、ほんと 嬉しい~ ありがとうね。

長男からもプレゼント送ったで!というメールが届き
14日の朝には宅配便でプレゼントが届いた。


次男がくれたバーバリのタオルハンカチと長男のくれた雑貨。

この長男がくれた雑貨は、長男が仕事で試行錯誤の末
製作したものだそうで、素敵なデザインと美しいフォルムの製品に、
仕事も頑張ってるんだな~と嬉しかった。ありがとうね~

さっそく二人にそれぞれありがとうのメールを入れ
ブログも楽しみにしてるよ~と書いておいた。

そしたら、わかった~と二人から返事。
ちゃんとブログを更新してくれた。

二人とも元気でそれぞれの世界で頑張っている様子。
よかった~。
元気でいてくれるのが一番のプレゼントなのだ。

でも、気持ちを形や言葉で表してくれるのは、
離れて暮らしているだけに、
家族の繫がりを余計大切にしていきたい私達親の思いを
分かってくれているようで、本当に嬉しい。

ちなみに今年の母の日、母は弟とお出かけだった。
私は朝、母にお小遣いと、母といっしょに行った時の
ブログを印刷したものをファイルして渡した。

母は、私のブログを読んでみたいらしいのだが、
パソコンが全くわからなくて、読んでいなかった。
やってみれば充分できそうな気がして説明しようとしても、
パソコンを見ただけで、無理無理。。という状態。



印刷する事を思いつき、日帰り温泉や、
旅行など母が関係するページを全部印刷。
結構な枚数になってしまい、大変だった。。
でも、とっても喜んでくれよかったかな~



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観世会館 仕舞

2007-05-15 09:27:46 | 美術館・観劇・映画・スポーツ
5月13日(日)

観世会館

京都に住みながら一度も行った事のない観世会館に
友人の仕舞を見るため、仲間3人と出かけた。



仕舞を舞うのは、息子の中学時代同級生のお母さんで、
片山幽謳会に所属、彼女の発表演目は「富士太鼓」だった。

あらすじは、(あとで調べたところによると、)
「富士」と「浅間」という二人の太鼓の名手がいた。
二人は互いに競い合っっていたが、
朝廷からのお召しが「浅間」にあり、「浅間」は都へ上る。
それを知った「富士」は、妻が引き止めるのも聞かずに、
自分も役を望んで都へ上るのだが、
「富士」の事を疎ましく思うライバル「浅間」によって討たれてしまう。
その事を聞いた「富士の妻」は仇討ちのつもりで太鼓を打ちならす

というものであったらしい。

能面はつけていないのに、表情のない顔はまるで能面を
付けている様で、喜怒哀楽が一切顔に出てこない。

歩き方や、扇子の使い方、身体だけの表現で
富士の妻の悲しみや怒りを表現していたのだ。。

舞台を激しく足で踏み鳴らしていたのが、浅間を怨んでの
あだ討ち太鼓だったのか。。。とあとで知った。

日舞の発表会のような、動きのある華やかさはないが
凛とした空気の中に、鼓と笛の音が響き、幽玄の世界が広がっていた。

それにしても、着物といい帯といい本当に素晴らしい。
艶やかな着物に映える、金地に鮮やかに彩られた帯、
着物の事に詳しくない私にでも、その豪華さは分かる。。
本当に、すごい目の保養をさせてもらった。

京都には色々な古典文化があるのだから、
これからはもっと、そういう物にも触れていきたいなと思った。

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