京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤ後の生活を綴っていきます。
日本ぶらり旅や、京都のおいしいお店、海外旅行にも行けたらいいけど。。

2019年クロアチア他2国の旅22ボスニアヘルツェゴビナからクロアチアスプリット

2021-11-15 12:28:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年クロアチア他2国の旅21 モスタル イスラム側から駐車場へ
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り 12ドブロブニク フリータイム・買い物
13ドブロブニク・夕食・夜景 14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ
15クロアチア内陸自然と町  16ボスニアヘルツェゴビナ内陸自然と町
17ボスニアヘルツェゴビナモスタル 18モスタル 昼食TERASA Tomato
19モスタル スタリモスト 20イスラムコスキ・メフメット・パシャ
21モスタル イスラム側から駐車場へ

2019年6月28日
ボスニアヘルツェゴビナからクロアチアスプリット

バスの運転手さんは冷房をつけて待っていて下さったので
バスの中に入ると冷~ッ。
暑さからようやく解放されてほっと一息。

辛そうだった主人もようやく元気になってきました。
バスの運転手さん、ありがとう~です。

バスはクロアチアのスプリットに向へて出発。

窓の外を見ると、観光客がたくさん歩いています。
でも、なんか、皆厚着じゃないですか
どこの国の人たちだろう。。

冷房の効いたバスから降りてきたところなのかな。
熱中症にならないといいけれど。。

道はがらがら、空いていますね。

ここは、政府の機関かな。。
ボスニアヘルツェゴビナの国旗が挙がっていました。

こちら、ボスニアヘルツェゴビナの国旗です。

モスタルにさよなら

バスの車窓から山間の町モスタルが見えています。

去り行くモスタルに最後のさよなら。

ヨーロッパだけれど、中東の香りをいっぱい感じさせてくれたモスタル。

私達単一民族の日本人には理解できない様な
哀しい民族問題にも触れました。

ボスニア紛争のその後

3年半の間に、死者20万人、難民200万人を出した
ボスニアヘルツェゴビナ紛争。

紛争の終結とその後の事について少しお話を。

この悲惨な戦争の終結のため、
1995年11月アメリカの主導でオハイオ州デイトンで協議し、
12月フランスのパリで、当事3者に、フランス・アメリカ大統領
イギリス・ドイツ・ロシア首相が同席し
正式な合意文書・デイトン合意が署名されたそうです。

このデイトン合意が結ばれたことで、
ボスニア・ヘルツェゴビナは、クロアチア人、ボシュニャク人
によるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦
セルビア人によるスルプスカ共和国による連邦国家になります。

 

内戦は終息しましたが、ボスニア連邦スルプスカ共和国
という二つの国家を持ったボスニアヘルツェゴビナは
一つの国家の実現に困難を極めているそうです。

セルビア人(セルビア正教)のスルプスカ共和国は、
ボスニア・ヘルツェゴビナからの独立を果たせず

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の、
クロアチア人(カトリック教)ボシュニャク人(イスラム教)
お互い民族同士がいがみ合ったままなのですから。

ボスニアヘルツェゴビナの元首も、
3つの民族が8カ月毎の交替で務めているのだそうです。

紛争は終わっても、民族間の和解からは程遠い日々なんですね。

戦争のない生活が続いていることが一番なのですが、
でも時代が変わり、いつの日か民族や宗教を超えて、
他民族を受け入れ分かり合える日がくればいいのにと思います。

ボスニアヘルツェゴビナからクロアチアへ

さて、この後最後の国境越え。
今度はボスニアヘルツェゴビナからクロアチアです。

この国境越えは、バスの中で待つのではなく
一人一人がパスポートを持って出て、入国審査を受けることになりました。

入国審査場と言っても、受付があって、その前に廊下があるだけ。
廊下に並んで一人ずつパスポートを見せます。

そして、スタンプを押してもらって終わり。

1985年以降、ヨーロッパでは多くの国がシェンゲン協定を締結していて、
陸続きのヨーロッパ各国への入国審査はスルーが多いのです。

クロアチアはシェンゲン協定には加盟していなかったので、
入国審査があったわけですが、
(その後クロアチアのシェンゲン協定加盟申請は認められたそうです。)

ヨーロッパで実際こうして並んで入国のスタンプを押してもらうというのは
ちょっと貴重な経験でしたよ。

クロアチアへ

ここでの入国審査も3~40分で終わり、ここからはクロアチア。

アドリア海が見え始めました。

やっぱり海はいいですね~。
私は船には弱いけど、海は好きなんですよね。

広い海を見ると、心が和むというか。。
私の小さな心配なんて、どうってことないさ~と
思えてしまうのです。

スプリット

そして、しばらく走るとビルの街が見えてきました。

スプリットに到着したようですね。
スプリットはクロアチア第二の都市。

ちなみに第一の都市は首都のザグレブですよ。

スプリットは、古代都市が残る神秘的な町。

ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245~313)が退位後に住んだ
ディオクレティアヌス宮殿が残されているのです。

またアドリア海に浮かぶリゾート島への拠点にもなる町なのだそう。

明日はそんなスプリットの街の観光に出かけます。
本日は、まず夕食を食べてから、スプリットの街のホテル入りです。

レストラン Borero

私達の夕食は、ホテルからは少し離れたBoreroという
レストランで。

このレストランもツァー客専門のレストランですね。
なんだかすごく広い披露宴会場のようなレストラン。

大きな丸テーブルを皆で囲みます。

サラダとビーフスパゲッティーとパンとアイスクリーム。

往復7時間以上バスに乗っていたのと、
歩いていた時のあまりもの暑さで疲れて、
私達は二人とも食欲なし。。

私は、パンを少しかじって、アイスクリームだけ食べました。

さて、これからスプリットのホテルへと向かいます。

 

2019年クロアチア他2国の旅23スプリットプレジデントホテル
へ続きます。

 

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ありがとうございました。

たんぽぽのお花
ぽちっと押してく.ださいね。

 

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2019年クロアチア他2国の旅21 モスタル イスラム側から駐車場へ

2021-11-10 00:01:30 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

20 モスタル 東側イスラムコスキ・メフメット・パシャ
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り 12ドブロブニク フリータイム・買い物
13ドブロブニク・夕食・夜景 14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ
15クロアチア内陸自然と町  16ボスニアヘルツェゴビナ内陸自然と町
17ボスニアヘルツェゴビナモスタル 18モスタル 昼食TERASA Tomato
19モスタル スタリモスト 20イスラムコスキ・メフメット・パシャ

 

6月28日
コスキ・メフメット・パシャモスクテラス

コスキ・メフメット・パシャのミナレットから降りてきました。
コスキ・メフメット・パシャの横に、入場チケットを購入した人だけが
入ることができるネレトバ川に面した裏庭のテラスがあり、
そこからのスタリモストの景色も素敵です。

確かに低い位置だけど、綺麗なスタリモストが見えていますよね。

猛暑の中ミナレットを登り下りした私達は汗だく。
特に主人は、暑さに参っている様子で、

あれはきつかった。。
上まで登らなくても、ここで充分やったなぁ。。とぐったり。

確かにここからの景色でも充分に綺麗なのですが、
あの時は、一端登り始めたら、降りるにも降りれなかったん
ですよね。。

勘違いの入場券

しかも、実は。。。

モスクへの入場券は、
ミナレットの塔の上に登るものが6ユーロ。
裏庭のテラスから景色を見るだけのものは3ユーロ。

入場券にはこの2種類があって、
私達団体さんの入場券はテラスから見る方の3ユーロの
入場券だったようなのです。

私達は、2種類あるなんて全然知らず、
皆が自由行動でばらばらとモスクを見に行ったので

おばさんも私達を団体とは思わず、
ミナレットに上がる者だと思い階段を指さしてくれたのかと。。

いや。。
あるいは、階段を少し上がった所に踊り場があり
そこからモスク内が見渡せたので、
そこに行きなさいという意味を
勝手にこちらが階段を上がれという意味にとって
しまったのかもしれません。

ともあれ、私達のツァーの中で、私達を含め
10数名はミナレットまで登ってしまったのです。

その時は、そんなこととは露ほども知らず、
しんどかったけど、綺麗やったね~なんてのんきなことを
言っていたのですが。。

あとで、狭い階段と展望台なので、団体ツアーでは
コスキ・メフメット・パシャのミナレットに
案内することはないんですよ。。と聞いて唖然.。

確かに、あの狭い階段と展望台は、団体さんは無理ですね。。

知らなかったとはいえ、安い入場券で上まで上がってしまった私達。
アッラーの神様が、私達を許して下さることを祈ります。
本当にごめんなさいでした。

中庭のお土産やさん

その後は、上まで上がったせいでもう少ししか自由時間がなく、
お土産屋さんに飛び込みます。

1軒1軒ゆっくりと見たかったな。。

お土産屋さんの棚には、革製品や銅製品、
色々なお土産をいっぱい売っています。

大急ぎで少しだけ雑貨を買ってさよなら。。

待ち合わせ場所

ツアーの方たちや添乗員さんとの待ち合わせ場所は
インフォメーションの近く。

私はここでモスタルの観光本を買いました。
モスタルって、日本では観光本もあんまりないし、
パンフレットもほとんどないんですよね。。

隣では、スタリモストの絵を売っています。

いつもなら、こういう絵に目がない主人ですが、
この日は、先ほどの塔登りが余りにもきつかったせいで、
全然興味がない様子。

え。。いいの。。?

と思いつつ、皆が集合してしまい、出発時間が来てしまいました。
結局買えなかったスタリモストの絵。
ちょと、記念に大きくアップしておこうかな。

駐車場へもどる

イスラム側の観光を終え、またスタリモスト橋を渡って
カトリック側へと行きます。

スタリモスト橋から見た、最後のイスラム教側の写真。

川のすぐそばのモスクに行って、あのミナレットに登って
しまったんですよね~。

そして、こちらは、橋の西側のお店やさん。

昼食時も終わって、少しお店も空いている感じかな~。

ガラス製品の素晴らしいお店を見つけました。
何と綺麗で素敵なガラス製品。

色の鮮やかさ、デザインの斬新さに心惹かれましたが、
残念ながら立ち止まれず。。

せめて5分あれば、一つくらい買えたのに。。
と後ろ髪を引かれつつ、

バスの駐車場を目指し、どんどん歩いていきます。

ま、とにかく冷房の効いたバスに早く乗りたいというのが
皆の本音ですしね。

銃撃でボロボロになった家々にも綺麗な花々が。。
この混とんとした街の様子にも少し慣れてきましたね。。

そして見えてきました、聖ペーター教会。

汗だくになって歩いた道。

やっと、駐車場に戻ってきました。
よかった~、ようやくほっとです。

22ボスニアヘルツェゴビナからクロアチアスプリット


に続きます。

 

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2019年クロアチア他2国の旅20 モスタル 東側イスラムコスキ・メフメット・パシャ

2021-11-06 00:20:30 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年クロアチア他2国の旅19 モスタル スタリモスト
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り 12ドブロブニク フリータイム・買い物
13ドブロブニク・夕食・夜景 14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ
15クロアチア内陸自然と町  16ボスニアヘルツェゴビナ内陸自然と町
17ボスニアヘルツェゴビナモスタル 18モスタル 昼食TERASA Tomato
19モスタル スタリモスト

6月28日
オールド・バザール(クユンジルク通り)へ

スタリモストを通って、川の東イスラム教側へ
入ってきました。

橋に続く通りは、オールドバザールと呼ばれています。
銅職人(クユンジレ)がたくさん住んでいたので、
クユンジルク通りとも呼ばれていますよ。

橋の曲がり角から見えるミナレット。

リトル・イスタンブールという愛称を持つモスタル、
さすが、東洋の香りがいっぱい。
ヨーロッパではなく、中東のようですね。

。。って中東は行った事がありませんが。

銅製品の指輪やブレスレットを売るお店、
なめし皮や綺麗な布地のお店、
トルコっぽいお皿や器を売るお店。。

オールドバザールには、楽しいお店がいっぱい。

パステルカラーが可愛い建物も並んでいますよ。

オールドバザールからもスタリモストが
美しくみえています。

この辺りはレストランやカフェも多くあり、
民族雑貨や布地を売る露店も出ています。

ガイドさんとお別れ

スタリモストの色々な話をしてくれた
現地ガイドさんとはここでお別れだそうで。。

え。。もう、お別れなの。。って感じです。

でも、スタリモストの歴史や今の状況を
色々と教えてくれたガイドさん。
ありがとうございました。

コスキ・メフメット・パシナ・モスク

ガイドさんと別れた後行ったのは、
オールドバザールの雑踏を抜けた先にある
コスキ・メフメット・パシナ・モスクです。

モスクはイスラム教寺院のことですが、
モスタルはオスマン・トルコ帝国の支配下にあったので、
モスクも街中に点在しているんですよ。

白いドームとミナレット。
ここが、1618年創建のイスラム教のモスク
コスキ・メフメット・パシナ・モスクです。

小さな門から、コスキ・メフメット・パシャの中へ。
見えているのは清めの泉です。

モスクの建物への入場は有料。

でも、このモスクはネトレバ川沿いにあるので、
その裏庭から見るスタリモストの景色は素晴らしく、
塔に登るともっと素晴らしい景色が見れるだそうです。

添乗員さんが、一人一枚入場券を配ってくれました。

コスキ・メフメット・パシナ・モスク中へ

ここからは自由行動、いつモスクの中に入ってもいいのですが、
私達は、まず最初にこのモスクの中に入っていくことにしました。

モスクの中に入る時、女性はヒジャブ(イスラム教徒女性が
髪の毛を覆い隠すためのスカーフで、普通のスカーフでもOK。)
を被らないといけないのが一般的なのですが、
中にいるおばさんは、私が帽子しか被ってなくても
どうぞどうぞという感じでした。よかった~。

中は神聖な感じ。教会とはまた違います。
天井からのシャンデリアが素敵で、ステンドグラスも可愛い~。

中央部分にあるのがミフラブで、メッカの方向を示しているそう。
こちらの方向を向いて、お祈りをささげられるんですね。

その隣の階段のようなものはミンバルと呼ばれる説教壇。
金曜日の礼拝の時、導師が壇上にのぼり
コーランを朗読したり教えを説く場所なのだそうです。

狭い階段へ

私達が中を見ていたら、先ほどのおばさんが
次は、あちらの階段を上がれというように
指さして教えてくれました。

おばさんに言われるがまま、階段を登っていきます。

でも、この階段、本当に狭くって
一段の高さが結構あるかなりの階段。

え。。本当にここに行くの。。と思いながら
あがっていったら、同じツァーの方の声が前でして。。
よかった。。合っていると思いながら
どんどん登っていきました。

でも、これが非常に、本当に、きつい。。

とにかく高気温と汗とでサウナ状態だし、
登る人と降りる人がすれ違えない狭さで
途中何回も譲り合いながら
なんとかなんとか登っていきました。

ミナレットからの展望

大変な思いをしてあがってきたミナレットの展望所。
狭いけれど、ここからは360度見渡すことができ、
本当の絶景が広がっていました。

わ~、すごい。。。 言葉にならない感じ。

同じツァーの方が十名ほどおられて、皆ですごいね~と感動です。

  

コバルトブルーのネレトバ川と川に架かるスタリモスト橋
東側のボシュレム人地区と西側のクロアチア人地区が見渡せます。

こちらはカトリック教のクロアチア人地区側。
山の上に小さくですが十字架が見えています。

この十字架も、東側のイスラム教ポシュレム人の住人からすると
目障りらしいのですが。。

こちらは、北側の新市街地側。

新市街側を西から東に移動していき。。

真下には、先ほど入ってきたコスキ・メフメット・パシナモスクの中庭。
お土産屋さんが並んでいます。

六角形の屋根は、礼拝前の清めの泉です。

イスラム教ポシュレム人側の山。
もちろん山に十字架はなく、ミナレットが見えています。

こちらはオールドバザールを上から見た様子。


登るのが大変だったけど、この景色は値打ちありでした。
でも、ざっと360度を見て下へ。
自由時間がそんなにないのに、頂上まで登ってしまったので
お土産を買う時間もほとんど取れそうにありません。。

でも、下へ降りるのも大混雑で大変。。。

でも、実はこの大変さには、ちょっと訳があったのです。
が、それはまた次に。。

 

21 モスタル イスラム側から駐車場へ
に続きます。

 

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2019年クロアチア他2国の旅19 モスタル スタリモスト

2021-10-30 12:46:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年18 モスタル 昼食TERASA Tomato
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り 12ドブロブニク フリータイム・買い物
13ドブロブニク・夕食・夜景 14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ
15クロアチア内陸自然と町  16ボスニアヘルツェゴビナ内陸自然と町
17ボスニアヘルツェゴビナモスタル 18モスタル 昼食TERASA Tomato

2019年6月28日
ガイドさんとの待ち合わせ・ハマーム博物館

食事が終わり、現地のガイドさんと合流する為、
待ち合わせ場所に向かいます。
スタリモストはそこなんだけど。。。

路地にあるカフェの横を通っていくと、

ハマーム博物館が。

スタリモストの通りはすごい人なのでここで待ち合わせなんだそうですよ。
ここは、古いトルコ式浴場の博物館だそうで、

私達は、ここでガイドさんに挨拶をして、
この中に入ることなくスタリモストへ出発です。

でも、ほら。。スタリモスト手前の通り、本当にすごい人です。

確かにここで待ち合わせはできませんね。

スターリモストの入口にある丸屋根の塔が
すぐそこに見えています。

モスタルの街とスタリモスト

さて、いよいよ、やっとスタリモストにやってきました。

でも、その前にモスタルの街と世界遺産スタリモストについて少し。

ボスニアヘルツェゴビのモスタルは、中世まではキリスト教地域でしたが、
1468年にオスマン帝国の支配下に入りイスラム教地域となります。
オスマン帝国衰退後は、キリスト教のクロアチア人と
イスラム教のボシュニャク人が共生する町になります。

旧ユーゴスラビア時代には、チトーが連邦維持のために、
民族運動を徹底的に弾圧したため、
各民族は静かに暮らしていたようです。

。。という話は以前にもしましたよね。

 

チトーの死後、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で
民族が対立し殺しあった時、
ここモスタルでも、
キリスト教イスラム教
との壮絶な戦いがおこりました。

多くの教会やモスク、街の建物が破壊され、
お互いが相手の民族を迫害・惨殺していったのです。

スタリ・モスト(=古い橋の意)は、オスマン帝国時に
木造から石造りのものに掛け替えられた、
全長30mアーチ型のイスラムの橋ですが、
戦時中の1993年、カトリックのクロアチア民兵によって
破壊されてしまいました。

そんなスタリモスト橋は、2004年に
ユネスコとトルコ系企業の支援、現地の人達の協力で
再建され、
今の様な美しい姿を取り戻したそうです。

 

負の世界遺産

スタリモスト橋は、2005年、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内で
初の世界遺産として登録されたそうですが、
それは、負の世界遺産だそう。

負の世界遺産とは、ユネスコが正式なカテゴリーとして認定
しているわけではありませんが、

人類が過去に犯した悲惨な出来事を伝え、
悲劇を二度と繰り返さないための戒めとして
存在しているものなのだそうです。

戦争や迫害、人種差別などに関したものがあり、
ポーランドのアウシュビッツや日本の原爆ドームも
負の遺産なのだそう。。

スタリモストは、民族・宗教対立によって破壊された橋として
負の世界遺産なのだそうですよ。

 

スタリモストへ

さて、そんなスタリモストへいよいよやってきました。
今は、モスタルきっての観光地です。

橋の手前にはお土産屋さんがあり、
色々な雑貨を売っています。これが、本当に安い。。

そして、橋に入る手前の一角に、こんな石が置かれていました。

「1993年を忘れるな」と書かれている石。

スタリモスト

いよいよ、スタリモスト(古い橋)の上を歩いていきます。

両端には、モスタリ Mostari(橋の守護者)と呼ばれる塔があり
これがモスタルの町の語源になっているそうです。

遠めに見ていたスタリモストは美しいアーチ型ですが
歩いてみると結構急な角度の石の坂で、
各段にすべり止めの石がついていました。

確かにこれがないと、石はつるつるで滑るし、
登っていけません。
ハイヒールなんてとんでもないです。
歩きやすい運動靴でないと大変。。

と言っても、若い人の中にはヒールのある靴で、
橋の真ん中をささっと歩いている人もいます。
年取った人はみんな手すりを持ちながら
一歩ずつ登っていっていますけどね。。

私達ももちろん手すりをしっかり持って。。

スタリ・モストの橋の上から南側を

スタリ・モストの橋の上から南をみると。。小さく橋が見えています。
私達がバスで通った橋です。

あの橋の上からのスタリモストの写真を何枚か撮りましたよね~。

とても綺麗な景色で、ここが30年前壮絶な戦場になっていたなんて
信じられない思いがします。

西側は、下に降りれるようになっていて、広い川原になっています。

この川原は、スタリモストの写真を下から撮れる、
ビュースポットにもなっているそうですよ。

スタリ・モストの橋の上から北側を

スタリモスト橋の北側を見渡すと。。

西側が、カトリックのクロアチア人地区
対岸の東側はイスラム教のボシュニャク人地区です。

西側には、私達がお昼ごはんを食べたレストランなどが
連なっています。(写真向かって左側)

私達が食べたレストランは、緑のテントのレストランではなく
その奥のレストランのようです。

東側は、イスラム教側なので、モスクやミナレット(尖塔)が
見えています。(写真向かって右側)

東側の景色はエキゾチックで素敵~。

住民はこの橋を通らない。。

現地ガイドさんが、この橋について話をしてくれました。

戦後、西側のクロアチア系地区と東側のイスラム系地区とを
つなぐスタリモストの橋は復活しましたが、

実は、西側住民と東側住民がこの橋を渡って相手側の地区に
行くことはほとんどないのだそうです

病院も警察も学校もそれぞれの地区にあり、
それぞれが違う世界で生き、混ざりあう事はないのだそう。

二つの民族の間には、長い歴史を通して受け継がれてきた
複雑で難しく相手を受け入れがたい事情があり、

両方の学生を受け入れている学校も、それぞれの学生の使う校舎を
1階、2階と階数で分けたり、校庭までフェンスで区切ったり
しているそう。。

そこまでするの。。って思ってしまいます。


ほんと、こんな素敵な景色が見えるスタリモストの橋の上を通るのは
観光客だけで、住民は通らないなんて。。
なんだかもったいないですよね。

民族融和の象徴として再建されたスタリモストの橋なのに、
今も民族の確執が根強く続いている。。
これが、負の世界遺産と言われる所以かもしれませんね。

この地の住民達が自由にこの橋を行き来するようになったら
世界遺産と呼ばれるようになるのかな。。

でも、西側にしかないマクドナルドとZARAへ、
橋を渡って買い物に行く東側の若者はいるようで、

こういう若者が少しずつ民族の考えを変えていくのかもしれませんよね。

 

東側イスラム側へ

さて、私達観光客は自由に橋を渡って
今度は、東側のイスラム教ボシュニャク人側に向かいます。

橋の上にトルココーヒーのセットが。。売りものでしょうか。。
オリエンタルで可愛いコーヒーセットですね。

ボスニアの人々にとって、毎日のリラックスタイムに欠かせないのが
トルココーヒーなんだそうですよ。

さて、次は、川の東イスラム側のボシュニャク人地区です。

 

20 モスタル 東側イスラムコスキ・メフメット・パシャ

 に続きます。

 

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2019年クロアチア他2国の旅18 モスタル 昼食TERASA Tomato

2021-10-26 11:45:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年クロアチア他2国の旅17ボスニアヘルツェゴビナモスタル
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り 12ドブロブニク フリータイム・買い物
13ドブロブニク・夕食・夜景 14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ
15クロアチア内陸自然と町  16ボスニアヘルツェゴビナ内陸自然と町
17ボスニアヘルツェゴビナモスタル

 

2019年6月27日
ワンツコワ通り(Onešćukova)

スタリモスト目指して、ワンツコワ通り(Onešćukova)を
歩きます。

通り沿いには土産物屋が軒を連ねています。

でも、石畳の道は歩きにくく、暑さもあって、
あ~しんど。
 
日陰で休憩している人が羨ましいです。
 

ヨーロッパというより、中東風なお土産屋さん
がいっぱい。

鞄の柄もトルコ風かな。

こちらは、トルコランプという灯りだそうで、
なんか雰囲気ありますよね。。

レストランの入り口にトルコ人。。

と思ったら、マネキンのお人形でした。

もうすぐスタリモスト

こちらはネトレバ川の西側になるのですが、
カトリック教クロアチア人の居住区だそうです。
 
スタリモストを渡って東側に行くとイスラム教
ポシュレム人の居住区ということで、
スタリモストの橋を境に、
しっかり二つに居住区が分かれているそうです。
 
 

スタリモスト入口の丸い屋根が見え始めました。
 
それにしても暑くて。。
私達は、帽子プラス日傘で、空からの太陽光熱を
防いでいますが、
石畳による照り返しもきついのです。

最近流行りの扇風機付きのジャケットがあれば。。
と思いますが、この頃には、そういう服もまだ
ありませんでした。
 
 
そして、こんなエキゾチックな香りのする通りを抜け
レストランへ。
 
 
モスタルのお昼ご飯
TERASA Tomato
 
私達が行くレストランは、TERASA  Tomato。
スタリモストの橋のすぐそばのレストランです。
 
え。。そこに見えているのにスタリモストには行かないの。。
 
という感じで、レストランへの階段を上ります。
 
 
レストランは、赤と赤チェック柄のテーブルクロスが可愛い
予想外のメルヘンチックなお店。

開放的なので、ほとんど冷房が効いていないのが残念ですが、
日陰で座れるだけでもありがたい。

私達はみんな、ぐったりと椅子に座り込んでいます。

食事
 
とりあえずビールやソフトドリンクでお疲れ様の乾杯。
いや~、生き返りますね~。
そして、グリーンサラダ。
 

メインは、セバプチチとピタです。
セバプチチは、ユーゴスラビアからヨーロッパに伝わったお料理で
羊の肉を使った皮のないソーセージのようなもの。
ボスニアヘルツェゴビでは、イスラムの国と同様に、
豚肉は使わない様です。

これをピタという中東の主食の一つの伸ばしたパンに
挟んで頂きます。
玉ねぎのみじん切りがついているのは、ボスニアの特徴で
お好みで一緒に挟んで下さいとのことでした。
お味は、スパイシーで、なるほどこれが中東の味か。。
という感じかな。
 
パンの様に見える甘いスイーツもありましたよ。

ベランダからの景色

食事も済んで、ちょっと元気を取り戻した私達。

ふとみると、このレストランのベランダからスタリモスト橋が
すぐそこに見えているではありませんか。

エメラルドグリーンのネレトバ川にかかったスタリモストが
こんな近くにみえるなんて。。

添乗員さんの話では、この橋の頂上から飛び込む人がいるんですって。
ストリートパフォーマンスの一つで、
周りの人から1ユーロ―ずつ集めて、25~30ユーロ―程集まったら
水面に飛び込むのだそう。

水面まで24mほどあるらしいですが、水深も結構あるってことですよね。
この日は、このパフォーマンスをする人はいなかったようで残念。

でも、この飛込み、水は冷たいし、なかなか難しく技術がいるようです。
1968年に公式な飛び込み大会が開催され以後毎年夏に行われていて、

なんと、2021年も7月25日に、 455回目となる大会が行われたそうです。

(スタリモスト 伝統の飛び込み大会で検索するとYouTubeで見れますよ。)

このベランダからはスタリモストの対岸の景色も見渡せます。

スタリモストの西側、今まで私達が歩いてきた側は
カトリックのクロアチア人地区。

対岸の東側はイスラム教のボシュニャク人地区だそうで
確かに対岸にはイスラム教のモスクが見えていますね。

こちらも、東側のイスラム教地区です。

ベランダからはお隣のレストランも見えています。

ブーゲンビリアかな。。綺麗な花が咲いていますね。

さて、次はいよいよスタリモストの観光ですが、
その前に現地のガイドさんとの待ち合わせ場所に行くようです。

 

2019年クロアチア他2国の旅19 モスタル スタリモスト
へ続きます。

 

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2019年クロアチア他2国の旅17ボスニアヘルツェゴビナモスタル

2021-10-23 12:13:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア
クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアへの旅
ちょっと止まってしまっていましたが、また再開です。
 
2019年6月28日
モスタル紛争の傷跡
 
モスタルに着いて、まず、車窓から見えたのは、
ボスニアヘルツェゴビナ紛争で攻撃を受けたそのままの建物。
かつてはこうであったみたいな看板が挙げられています。
 

こちらのビルも柱だけが残されていますね。。
.
 
そして、次に目に飛び込んできたのは
白くてまだ綺麗な墓石が多く並ぶ墓地。
 
 
やはり・・・紛争の痕跡は、まだこの町にしっかりと残っているようです。
 
住宅ビルに残る銃弾の跡、崩された壁。
過去の戦いの傷跡に心を重くしていると。。
 
 
突然の美しい景色
 
橋の上から突然、とても綺麗な景色が見えました。

 
流れる川はネレトバ川。
モスタルに来る途中、ず~っと見続けていた川です。

そして、向うに見える石の橋は、
なんと、モスタルで一番有名な世界遺産のスタリモストではありませんか。。
 
 
ええ~!もう、ここで出会ってしまったのという感じ。
でも、さすがに美しい橋ですよね~。
 
 

新しい建物

ボスニアヘルツェゴビナ紛争が終わった後、
町は少しずつ復活し、今では新しく現代的な建物も
できているようです。
 

こういう新しい街をみるとちょっとほっとします。
 
 
聖ペーター教会

スタリモストが見える橋を渡ってしばらく行くと
灰色のシンプルな教会。
この教会は、モスタルのクロアチア人居住地域に
建てられたカトリックのフランシスコ会の教会で、
聖ペーター教会といいます。
 
紛争で破壊された建物を再建しているので
新しく綺麗な教会ですね。

 
2019年記録的な熱波のヨーロッパ

バスの窓からビールの売店が見えています。
暑い日のビール、美味しいでしょうね~。
 
バスの中は冷房が効いているのでそんなに感じませんが
実は、2019年6月末、
ヨーロッパ各国が異常気象の熱波のせいで
記録的な猛暑の日々だったのです。
 
 
イタリアでは、気温が37度を超えたため、
ミラノ、ローマ、ベネチアなどに非常警報が。
ドイツでは、気温の上昇でアウトバーン(高速道路)の路面の
うねりを恐れ一部で速度制限。
 
南フランスのある町はフランス観測史上最高の45・9度となり、
この日(6月28日)南フランスのガール県では熱波のせいで
60件の火災が発生していたのです。
これらは、日本に帰ってから知ったことなのですが、
こんな日にヨーロッパに行っていたんですね。。

パリもこの日は39度とか。。
モスタルを歩きながら、添乗員さんがびっくりして
教えてくれました。
パリは冷房のついていない家が多いので、
どんなに厳しい暑さだったか。。恐ろしい。。
 
バルカン半島はここまでではなかったけれど、
この日は35度を優に超える猛暑。
そりゃ、暑いはずで、ぐたっとなるのも当たり前ですね。。
 
昨日ドブロブニクの城壁を歩いた時、暑くてしんどかったのも
今思えば納得です。
 
蜂の巣となったビル
 
車窓から見た銃弾でハチの巣となったビルです。
たくさんの観光客が見に来ていますよ。

 
ほとんどを綺麗に建て直しても、
一部はそのまま残しているんですね。
 
 
 
二度と戦争による悲劇を繰り返さない為に。
 
駐車場
 
さて、駐車場にバスが停まり、
ここからは私達も歩いて観光です。
くれぐれも、帽子とお水を忘れないようにと添乗員さん。

聖ペーター教会の尖塔がみえていますよ。
 

モスタルを歩き始める
 
モスタルの街を歩い始めました。
アジアンティックというか、
アラビアンティックなお店に可愛い~。
 
 
スカーフも素敵ですよね~。
。。と歩き始めはまだ元気。
 
 
 
町の至る所に爆撃を受けた建物が残されています。
これって、地震とかで崩れないのかな。。
 
 
 
全部改装したお店もあれば、一階部分だけ改装して
2階の窓はそのままの建物も。。
 
 
 
30年経っても、紛争の記録を消すことはできないんですね。
 
 
 
でも、こんな可愛いカフェもありますよ。 お花が可愛いです。

 
 
緑と花で飾ったカフェレストラン。
ブロックに色を塗って作った手作り感が
いいですよね。
 
 
 
このあとはまず昼食。
レストランがスタリモストの橋のすぐ近くなので
まずはスタリモストを目指して歩きます。
でも、本当に暑い。。
早くレストランに着きたいです。

18モスタル 昼食TERASA Tomatoへ続きます。

 

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2019年クロアチア他2国の旅16ボスニアヘルツェゴビナ内陸自然と町

2021-09-30 15:35:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年クロアチア他2国の旅15クロアチア内陸自然と町
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り 12ドブロブニク フリータイム・買い物
13ドブロブニク・夕食・夜景 14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ
15クロアチア内陸自然と町

 

2019年6月28日

国境越え

メトコビッチを通ったあと、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの
イミグレ(入国審査場)に停車。

これからもう一度ボスニアヘルツェゴビナに入ります。
このイミグレが一番時間がかかると聞いていました。
バスがずらっと並んでいる時は、2時間くらいかかる時もあると
脅かされていましたが、

添乗員さんが一人一人のパスポートを集めて、
運転手さんと一緒にイミグレに行き、
私達はバスの中で待つこと20分くらい。

結局イミグレに着いてから30分くらい、思ったよりも早く
ボスニアヘルツェゴビナに入ることができました。

これは、すっごく早かったみたいで、私達よりも
添乗員さんが一番、すごいです~と興奮されていました。

ドライブイン休憩

ということで、ここからはボスニアヘルツェゴビナの
大自然ですよ。

まずは、ドライブインで休憩。
バスから降りてほっとです。
動かないバスにじっと座っているのも結構しんどいものです。

何か買いたかったけど、レジはいっぱいの人が並んでいて。。
ここはトイレ休憩だけでした。

ボスニアヘルツェゴビナ

さて、ボスニアヘルツェゴビに入ったのですが、
ご覧の様にボスニアヘルツェゴビは三角形をした大きな国。
歴史的に北中部はボスニア、南部はヘルツェゴビナと
呼ばれてきたそうですが、スルプスカ共和国(セルビア人)
との連邦国家でもあります。

私達が行くモスタルはボスニアヘルツェゴビの
南の端の方にあります。
ボスニアヘルツェゴビで行くのはここだけ。
せめて首都サラエボも行きたかったな。。

 

ボスニアヘルツェゴビの紛争について

ちょっとここからはボスニアヘルツェゴビナの景色を見ながら
ボスニアヘルツェゴビナ紛争についてのお話を。

ボスニア・ヘルツェゴビナと聞くと、
皆さんはどんなことを思い出されますか。。

多分。。私がそうだったように、
30年ほど前のボスニアヘルツェゴビナ紛争の事ではないでしょうか。

 

ちょっと荒れた土地や、クロアチアとは違った建物が並ぶ道を
走っていきます。

それまで聞いたこともない国名だったのに(地理で習っていたかも?)
あの頃連日新聞やテレビから伝わる、ボスニアヘルツェゴビナの紛争報道を
戦争のない平和な日本にいて、信じられない気持ちで聞いていました。

 
これは、ボスニアヘルツェゴビナのガソリンスタンド(Mališić Petrol)
 
 
ボスニアヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビアの共和国
(セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、
 北マケドニア、スロベニア、モンテネグロの6カ国、
 コソボ自治区を入れたら7か国)の一つでした。
 
 

旧ユーゴスラビア時代からボスニア・ヘルツェゴビナは
ボシュニャク人(ムスリム・イスラム教)、セルビア人(正教徒)、
クロアチア人(カトリック教徒)の3勢力が共生する多民族国家でした。

旧ユーゴスラビア時代には、チトーが連邦維持のために、
民族運動を徹底的に弾圧。

弾圧の下、民族間に言語や宗教考え方の違いはあっても
民族間の交わりや婚姻も行われ、
静かに各民族が暮らしていたようです。

 
ところがチトーの死後、各共和国で民族主義が台頭。
1991年、クロアチアが旧ユーゴスラビア連邦からの独立を宣言し、
クロアチアで独立紛争が始まると、

ボスニア・ヘルツェゴビナでも各民族間の対立が激化し、
紛争が勃発しました。
 
 
1992年旧ユーゴスラビア連邦が解体すると
3つの民族が混在していたボスニア・ヘルツェゴビナ内部では
3勢力がそれぞれ「民族浄化」の名のもと他民族の追放や虐殺を行い
凄惨な戦いが続いたのです。
 
これがボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、30年ほど前に
私がテレビで見ていた悲惨な状況は、この時の様子でした。

紛争は1992年4月から1995年12月までの3年半にわたって続き、
NATO(北大西洋条約機構)軍の介入を経て終了。

でも、なんと。。

死者20万人・難民200万人を出す結果となったそうです。

 

ネレトバ川の渓谷

ここは、ネレトバ川の渓谷。
川の水は青く、周囲の山の緑は美しく、
きっと30年前の紛争時も同じ美しさだっただろうに
どうして同じ人間同士がそこまで争わないといけなかったのか。。
悲しくなりますね。

こんな美しい景色のボスニアヘルツェゴビナなのに。。
 
しかも、それぞれの民族が神を信じ、宗教心を持っている人々なのに
どうして戦うんだろうか。。と思ってしまいます。
 
 
ネレトバ川沿いの穏やかな町、
この町の上も30年前は轟音と供に多くの空爆機が飛んでいたのでしょう。。
 

今はこの渓谷にもりっぱな高速が通っていて、町と町を繋ぎ
静かで平和な日常があるようですが。。
 
 
もうすぐボスニアヘルツェゴビナ・モスタル
 
さて、ネレトバ川の流れを見ながらバスは進んでいきます。
 
 
この辺りから、町っぽくなってきましたよ。
教会の尖塔もあります。
 
 
モスタルも渓谷にある美しい街なのだそうで、
いよいよもうすぐモスタルのようですよ。
 
 
そして。。ヘルツェゴビナ地方では最大の中心都市、
ボスニア・ヘルツェゴビナでも5番目に大きな都市のモスタルにやっと到着。
3時間半ほどかかったバス移動でした。
 
ドブロブニクのホテルを出てから、結構長かったです。。
 

に続きます。
 

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2019年クロアチア他2国の旅15クロアチア内陸自然と町

2021-09-26 00:33:55 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年クロアチア他2国の旅14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り 12ドブロブニク フリータイム・買い物
13ドブロブニク・夕食・夜景 14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ

 

2019年6月28日

クロアチア内陸部

その後、またイミグレを通り、今度はクロアチア入り。
クロアチアの内陸部をバスは走ります。

クロアチアはアドリア海に沿って長く伸びた国だと思っていましたが
こんな内陸部もあるんですね。

これは葡萄畑ですよね。

クロアチアは知る人ぞ知るワインの名産地なんだそうです。

こちらはネレトバ川。
この川はクロアチアからボスニアヘルツェゴビに続いています。

バスは茶色の大地や緑の畑を通ってどんどん走っていきます。

ここは、まだ、クロアチアです。

何かの工事中かな~。

ここで、まっすぐ行くとクロアチアのスプリト、
曲がるとクロアチアのメトコビチ、
ボスニアヘルツェゴビのモステルや
サラエボに続く道になります。

 

ni

クロアチア・果物屋台

標識の所で曲がったバスはボスニアヘルツェゴビナの
モステル目指して走っています。

途中、果物やドリンクを売っている屋台が
何軒か連なっていました。

でも、私達はノーストップですけどね。

緑の山々を見ながら走っていると。。

クロアチア・オプゼンの町

山あいに可愛い街が見え始めました。

こんな所に町があるんだ~とびっくり。

ネレトバ川沿いの町オプゼンです。

町を見下ろすようにオプス要塞があります。
こんな町にも要塞が。。
オプゼンという町の名前はオプス要塞からきているそうですよ。

人口3千人ほどの小さな町で、ミカンなど果物や野菜の産地として
知られているオプゼン。

だから、さっき果物を売る屋台が何軒か出ていたのかもしれませんね。

塔のある建物は、聖ステファン教会。
さすがクロアチア、オレンジ色の屋根屋根がドブロブニクにも似ています。
きっとのどかでゆったりとした町なんでしょう~ね。

クロアチアを走る

そして、また、山を見ながら川沿いをどんどん走り、

一面に広がる緑の大地にちょっと感激して。。

ネレトバ川

そして、今度はネレトバ川を渡っていくようです。

とうとうとゆったり流れるネレトバ川。
ボスニアヘルツェゴビナからクロアチアと流れアドリア海に注いでいる川。

総延長は230kmで、そのうち208kmはボスニア・ヘルツェゴビナ
22kmはクロアチアを流れているそうですよ。

ネレトバ川にこんなりっぱな橋が造られているんですね。

今まで、ずっと山と川と大地ばかりだったので
この近代的な橋にちょっとびっくり。

そして、もうすぐネレトバ川岸の町
クロアチアのメトコヴィチのようです。

クロアチア・メトコヴィチ

クロアチアのメトコヴィチの町にやってきました。
先ほどの黄色い標識にも載っていた街です。

この町は、ボスニア・ヘルツェゴビナの国境に
接している町だそう。
という事は、もうすぐボスニア・ヘルツェゴビナですね。
バスはこの町に停まることなくさっ~と過ぎていきます。

反対側の席に座っていた私が撮れたメトコヴィチの町の写真は
この一枚だけ。
この写真も皆さんの頭越しの写真です。

19世紀まで小さな農村であったこの町は、
その後隣接するボスニア・ヘルツェゴビナ(オスマン帝国領)
との交易が盛んになり繁栄していったそうです。

ネレトバ川に沿って古い線路が見えていますが、
この線路は今は使われていないとのこと。

昔は国土を縦断する鉄道網があり、内陸からアドリア海まで
鉄道で物資も輸送されていたらしいのですが。。

そういえば、クロアチアとボスニアヘルツェゴビナモスタル間の移動に
鉄道という選択肢ははありませんもんね。。

さて、次は、クロアチアからボスニアヘルツェゴビナへの
2回目の国境越えです。

これで、ようやく、モスタルに向かえるんですね。

2019年 16ボスニアヘルツェゴビナ内陸自然と町
へ続きます。

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2019年クロアチア他2国の旅14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ

2021-09-22 00:00:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年クロアチア他2国の旅13ドブロブニク・夕食・夜景
の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り
12ドブロブニク フリータイム・買い物
13ドブロブニク・夕食・夜景

2019年6月28日
朝食へ

本日は、クロアチアから隣の国の
ボスニアヘルツェゴビナのモスタルに向かいます。

トランクを部屋の前に出して、朝食へ。

朝早くのホテル。今日もいいお天気のようですね。

朝食

7時ごろ朝食。

お気に入りの席で朝食です。
クロワッサンとサラダとヨーグルト、
ゆで卵に果物、それにちょっと甘いパンも。

このラパッド地区の景色とも
可愛い猫ちゃん達ともお別れですね。

紫陽花の花も綺麗だったな~。

ホテルにも、ドブロブニクのタイル画が。
こういうのも素敵ですよね~。

ホテルを出発

さぁ、黄色いバスに乗ってホテルを出発です。

ドゥブロヴニクからモスタルまでは距離的には150km程なのですが、
一度ボスニアに入り、またクロアチアに入ってから、
またまたボスニアのモスタルを目指すという
ややこしいルートを通るみたいで、
何回もイミグレーション(イミグレ・入国審査)を
通らないといけないみたいです。

これに結構時間がかかるみたいで、添乗員さんから
くれぐれも覚悟をするようにと言われています。

少し走ると、朝の花市が開かれていました。

可愛い花がいっぱいですね~。

フランジョトゥジマン橋

ラパッド地区を超えると、入江の風景が見え始めました。

ここは、フィヨルドのような深い入り江になっていて、
海岸沿いにフランジョトゥジマン橋がかかっています。

2002年にフランジョトゥジマン橋が開通するまでは、
この入り江をぐるっと周って対岸へ行っていたそうですよ。

何とも大変なお話ですよね。。

橋の上からの写真。この橋のおかげであっという間に対岸です。
すごく便利になったんですね~。

ボスニア・ヘルツゴビナへ

この後クロアチアの海岸べりを走り、ボスニア・ヘルツゴビナへ。
ボスニアヘルツェゴビナのネウムという街をめざします。

まずは、クロアチアからボスニアヘルツェゴビナへの国境越え。

バスのドライバーさんが国境状況を確認して、
複数あるルートからなるべく混雑が少ないルートを
選んで小さな入国審査場へ。

これは大正解で20分ほどでクロアチアから
ボスニアヘルツェゴビナへ国境越えできました。

でも、このあとまたクロアチアに入り、
そこからボスニアヘルツェゴビナへ入るのです。

9キロの海外線による国の分断

なぜこんなややこしい事になるかというと。。

ほとんど内陸国のボスニア・ヘルツゴビナですが(緑色)
アドリア海の海岸線にわずかに直線距離で9kmだけ
(実際には20キロ)ボスニア・ヘルツゴビナが、
クロアチアの領地に割り込んでいるのです。

これが、クロアチアを分断していて、

クロアチアのドブロブニクからクロアチアのスプリトに行くのにも
ボスニアヘルツェゴビナを通らないと行けなくて、
出国・入国の2回の入国審査が必要なんだそうです。

同じ国に行くのに、他の国を通らないと行けないなんて
なんか信じられませんよね。

モスタルに行くには、もう一度クロアチアに入り
その後またボスニアヘルツェゴビナに入るみたいです。

9キロの緑の海岸線がクロアチアを分断しています。

それで、これから行くネウムという街(ボスニアヘルツェゴビナの街)の先
左右がクロアチア領土になっている所に
クロアチアからクロアチアへ行く為の橋が掛けられるのだとか。。
これは便利ですよね~。

只今建設中の様ですが、いつできるのだろう。。と思って調べたら
こんな記事を見つけました。
なんと、この橋2年の間に、もう出来上がっていたんです。

クロアチアの海岸線の2つの地域を繋ぐ橋がオープン

ボスニア・ヘルツェゴビナの領土によって分断されている
クロアチアの海岸線の2つの地域を繋ぐ橋ペリェシャック橋
(The Pelješac Bridge)
の開通式が行われました。

The Pelješac Bridgeは、2.4Kmの長さで、クロアチア本土の
KomarnaからPelješac半島のBrijestaを繋ぎ、
来年6月から車で通行可能となる予定です。

(2021.7.30のnoteの記事です。)

ということは、2022年の6月からはパスポートなしで
クロアチア国内の通行はできるという事ですね。

モスタルも一度だけ国境を通ったら行けることになりますよ。

ネウム・ホテルヤドラン

でも、この旅行記は2019年のお話。
私達は、まずボスニアヘルツェゴビナ入りです。

ボスニアヘルツェゴビナのネウムという街にある
ホテルヤドラン。

レストランもスーパーも併設しています。

ドブロブニクからモステルやクロアチアのスプリトなどに行く時、
トイレ休憩に必ず寄るというドライブイン。

私達もここで20分ほどの休憩です。

スーパーで、添乗員さんお勧めの歯磨き粉やオリーブオイル
乾燥いちじくなどを安くでごっそり買いました。
やっぱり物価が安いんですよ。
歯磨き粉もオリーブオイルも重宝しました。
乾燥いちじくは好みがありそうですが。。

カトリック教会Crkva svetog Ivana

このヤドランは、ボスニアヘルツェゴビナで
唯一海岸線に面しているドライブインで、
素敵な景色を眺めることができます。

白い協会は、カトリック教会Crkva svetog Ivana。
ほんと、素敵な景色ですよね~。

皆で交代して写真の撮影会、盛り上がりましたよ。

でも、海岸沿い9キロだけがボスニアヘルツェゴビで
その先はクロアチアなんですよ。

こちらの左側の陸地はクロアチアです。

ペリェシャック橋の影響

ネウムはボスニアヘルツェゴビナだけど、
この入り江の先は、両サイドクロアチア。

その陸と陸との一番狭い所に2021年できたのが、
先ほど紹介したペリェシャック橋(The Pelješac Bridge)です。

この写真では橋はまだできていませんが。。

でも、この橋が完成したという事は、
これからのクロアチアの旅行やクロアチアからモスタルの旅行では
このネウムには寄らないということになりますよね。

今まで、ほとんど全ての観光客が寄っていたのに
コロナ禍で今は観光客がいないけど、
コロナ収束後も観光客が全然来なくなりますよね。。

だって、わざわざボスニアヘルツェゴビナを通る必要が
なくなったのだから。。

ホテルヤドランにとっては大きな打撃なんだろうな。。
と、ちょっと心配。

でも、ボスニアヘルツェゴビナで唯一
海岸の素晴らしい景色が見れるホテルとして
これからも頑張っていってほしいです。


2019年 15クロアチア内陸自然と町
に続きます。

 

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2019年クロアチア他2国の旅13ドブロブニク・夕食・夜景

2021-09-18 14:17:00 | 海外旅行2019 6月 クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニア

2019年クロアチア他2国の旅12ドブロブニク
フリータイム・買い物
 の続きです。

2019年クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・スロベニアの旅程
1クロアチア ドブロブニクへ 2ドブロブニクホテルへ 
3ドブロブニク・朝散歩 4ドブロブニク・スルジ山 
5ドブロブニク プロチェ門~ルジャ広場
6ドブロブニク プラツァ通り~オノフリオ噴水 
7ドブロブニク オド・プチャ通り~旧総督邸(レクター宮殿)
8ドブロブニク 旧港・カフェ・戦争没者記念館 
9ドブロブニク アドリア海ミニクルーズ
10ドブロブニク ルジャ広場・大聖堂・昼食
11ドブロブニク 城壁巡り
12ドブロブニク フリータイム・買い物

2019年6月27日
ホテルで夕ご飯

ドブロブニク旧市街地から戻ってきました。,

こちら、私達を運んでくれた黄色いバスです。

夕ご飯

夕ご飯はホテルにて。

この日の夕ご飯はビュッフェスタイル。

暑さで疲れてしまっていて余り食欲がなかったので
食べれそうな物だけをチョイス。

キッシュや魚のオレンジバタ―炒めは美味しかったですよ。

夕ご飯が終わってしばらくロビーで休憩。

なぜかひっそりとしたロビーです。

あ。。猫ちゃんが。。

ドブロブニクでは、本当によく猫を見かけました。

後ろ向いてる黒猫は、ジジちゃんかな。

夕暮れの散歩

部屋に戻ってしばらくしてからホテㇽの裏手、
海岸べりの方へ散歩することにしました。

まだまだ明るいですが、もう、夜の8時ごろなんですよ。

街にもようやく明かりがつき始めていますね。

小さな公園では、子供たちがまだ遊んでいます。

そういえば、スペインに行った時、夜の9時ごろ
当たり前のように公園で遊ぶ親子をみてびっくりしたことが
ありましたが、夜も昼の様に明るいならそうなるのでしょうか。

スペイン旅行15 コスタ・デル・ソル

少しピンク色に染まり出した空。

こちらは、昨夜音楽の生演奏が少々うるさかったレストランです。

私達のホテルの部屋は、ちょうどレストランの上なんです。

お土産屋さん

少し歩くと、お土産屋さんがありました。

地元の人も買いにくるスーパー兼お土産屋さんのようなお店です。

食べ物もいっぱい並んでいますよ。

それにドブロブニクのお土産グッズもいっぱい。

旧市街地では、なかなかゆっくりとお土産屋さんを
見る事ができなかったので、

こういうグッズをゆっくり見れるのは楽しいです。

夕暮れの海

お土産屋さんでゆっくりして、外に出ると、
なんだかさっきよりも車がたくさん停まっています。

次々に車が来て停まるので何事だろう~
と思っていたら。。

うわ~、綺麗、夕焼けの海をみんな見に来ていたんです。

.

ゆっくりゆっくりオレンジ色に染まっていく空。
なんだか今日一日の疲れがす~っと飛んでいきそう。

ただ黙って見つめていた、アドリア海の夕焼けでした。

ホテルへ

ホテルに帰る途中のブーゲンビリアの花。
まさに、ピンクの花が満開です。

ホテルに帰ってきましたが、
まだオレンジとブルーの2色のエキゾチックな空。

もうすぐ9時なのに。。

明日は、お隣の国ボスニアヘルツェゴビナのモスタルに行くので
少し早めの出発になるとのこと。

ドブロブニクの2連泊も終わるので、
トランクの用意もしないといけません。

さ、部屋に戻って頑張りましょうか。

ちょうどいいくらいの夜の散歩ができ、
夕暮れの海も近くで見れてよかった~。

でも、もしも、疲れてなくて体力のある方は
この時間で、バスかタクシーで旧市街に戻って
ライトアップされた街を見る事もできるようですよ。

さすがに私達のツァーでは、私の知っている限り
旧市街地まで戻られた方はおられなかったようですが。。

ライトアップされた旧市街地を見たいなら、
旧市街地の中か、旧市街地まで歩いていけるホテルが
やっぱりいいかな。


2019年 14ボスニアヘルツェゴビナネウムへ
へ続きます。

 

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