京のたんぽぽ日記

夫婦共にリタイヤ後の生活を綴っていきます。
日本ぶらり旅や、京都のおいしいお店、海外旅行にも行けたらいいけど。。

京都醍醐寺 雨月茶屋

2007-03-30 19:06:41 |  京都食べ歩き
昨日朝、「はなまる」というテレビ番組で
醍醐寺の桜と、雨月茶屋を紹介していました。
今週末が満開という枝垂桜を、
見てみたいという思いが募ってしまい。。
今日、たまたま仕事がお休みということもあって。。
行って来ました~母を誘ってお花見に。
ウィークディなのに、すごい人出。
車も、臨時駐車場にしかとめられませんでした。
でも、並ばずに停められただけでもよかったかな~

雨月茶屋
まず、お昼を雨月茶屋で。



予約を入れると、このお座敷でお食事がいただける様です。


「一味膳」といって、ほんの少しずつのお料理が18種類。
かわいくて、どれから手をつけていいかわかりません



この一味膳だけだと3400円なのですが、
これに桜のアイスクリームと、
醍醐寺、三宝院の拝観券(両方で1000円)が付いて
3900円というプランを今日の朝予約。


この桜アイスクリームがとってもおいしくて、
これはお得なプランですよ、絶対。

三宝院
まだ京都の桜は、ほとんどちらほら咲きなのですが、
ここの枝垂れ桜は京都の中では早咲きで、今まさに満開。





三宝院の枝垂れ桜をことのほか愛でていた豊臣秀吉が、
歴史に名高い「醍醐の花見」をこの地で開く為に、
三宝院やその庭園を増築、改造したということなのです。

秀吉が設計したというこの三宝院の庭園の美しさに感激
皆座り込んで、黙ってじっと庭を見つめていました。
その広さといい、美しさといい、豪奢な庭の造りに
思わず息を呑んでしまいます。
撮影禁止で、この美しさを残せないのはなんとも残念。

三宝院の左手奥にお茶席が用意されていて、ここも桜は満開に近く、
桜のピンクと、木々の緑、毛氈の赤に、空の水色も加わって
美しい色の競演を見せ素敵でした。





醍醐寺
平成6年、「世界遺産」に登録されたという醍醐寺です。


醍醐寺の五重の塔。

この五重の塔を見て、ふと思い出しました。
もう20年以上前、一度ここに来た事があったことを。
そう。。。主人と、私と、長男の3人で。
 (次男はまだこの世に存在していません。
  その当時、どこにいたのでしょうね~

長男が1歳くらいで、おしめやミルクの入った
大きなママバッグを持ち、ベビーカーを押しながら、
お花見に来た事があったのです。

あの時ベビーカーを押していた手は、今母の手を引いています。
なんだかとっても懐かしい気持ちとともに、
いつの間にか過ぎていった年月の流れを少し感じました。


醍醐寺の枝垂桜。

毎年4月第2日曜に「豊太閤花見行列」が催されるということなので、
今度はそれを狙って見に来てみたいと思います。

「豊太閤花見行列」は、桃山時代の豪華な衣装の豊太閤が、
北政所、淀殿、侍女などに扮した女衆200名を
引き連れ練り歩く行列らしいのですが、
実際1598年の「醍醐の花見」の時、
秀吉は、1300名もの女房衆を伴っていたということですから、
その豪華絢爛さはいかばかりか。。。
ちょっと想像がつきませんねぇ。。
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スーパーウーマン

2007-03-28 17:53:21 | 友達・仲間
私の家のご近所にモンゴルの一家が住んでおられた。
お父さんと、お母さん、中学生と小学生の二人の女の子の4人家族だ。
私は一家と知り合ってまだ一年位なのだが、
日本には3年程前に来られていたらしい。

二人の女の子は、日本人のような発音で日本語がペラペラ。
お父さんはちょっと日本語が苦手のようだが
お母さんは、娘達のような発音とまではいかないけれど、
普通の会話は全然問題なく話せる。


  お正月に女の子二人から貰った
  モンゴルのかわいい年賀状。


お母さんの話によると、
彼女はモンゴルの大学を卒業して、その後日本で勉強。
モンゴルに帰って結婚、二人の娘も授かった。
しかし、日本の大学で仕事をしながら、自分の学問研究を続け、
博士号を取る為、家族3人を連れて
再び日本に来たというのだ。
ご主人はアルバイトをして、生計を助け、娘達の面倒も
見られている。

ご主人の仕事の為に海外赴任というのは日本でもよくある話だ。
でも、奥さんの仕事の為、海外で暮らすというのは
先進国と言われている日本でもあまり聞いた事がない。
もちろん海外で活躍する日本人女性もたくさんおられるが
未婚の方や、既婚者でも単身赴任の方が多いのではないだろうか。。
彼女は、学問の為、家族皆を連れて海外赴任しているのだ。
ご主人の協力も然る事乍ら、正直すごいな~と思っていた。

時々、自転車で仲良く買い物やお出かけをされている
二人を見かけたが、
本当に優しそうなご主人と、温かそうな普通の奥さん。
どこででも見かけるような二人だった。
しかし、実際の彼女は世界を股にかけて飛び回る
スーパーウーマンだったのだ。

先日、彼女のニューヨークでの論文発表が認められ
無事博士号がとれたという。
そういえば、少し前娘さん達と話していた時、
「お母さんは?」と何気なく聞いたら、
「今、ニューヨーク。」と言っていた。
「え。。?」という私に
「お母さんはね、ニューヨークで論文を発表してるの。」
と言ってたっけ。

ニューヨークでの論文発表。博士号の取得。
それだけでも、私の生活からは考えられない
すごい事と思ってたのに、
今度は、博士号が取れたので、イギリスの大学
教える事にしたという。
日本語より、英語の方が得意だからと言って。
そうだったんだ。。

そうか。。もう、さよならなんやね。。と、
メールアドレスを交換したり、娘さん達と手紙の約束をしたり。
いよいよ、お別れという2.3日前、
赴任先をイギリスからブラジルに変えたという話を聞いた。
その方が収入がいいらしいのだ。
でも、ブラジルって、ポルトガル語では。。
じゃ彼女はポルトガル語もペラペラだったんだ。。

そして一家は、一旦モンゴルに帰国してブラジルに向かう為
日本を去っていった。

今、なんだか私は、彼女と私の生き方の
余りもの違いに唖然としている。
でも、私は世界を駆け巡るバイタリティーある生き方を、
雑誌や本の中でなく、身近な女性に見ることができた。
これからの女性は、こういう生き方をする人が増え
いつか、奥さんの海外赴任に家族がついて行くのも
当たり前の時代がくるのだろう。
その先陣をきって頑張っている彼女に、
私は大きな大きなエールを送ろう 
今の私にはこれくらいの事しかできないのが残念なんだけれど。。













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フラガール

2007-03-26 20:46:36 | 美術館・観劇・映画・スポーツ
京都に桜の開花宣言があった
でも、ほんとかな~周りの桜はまだまだ蕾なんだけど。。

24、25日の連休は、私の風邪も治って
私としてはお出かけモードに入ってきたのだが
今度は主人が腰痛になってしまい、
2,3日前からコルセットのお世話に。。

やはりお互いそういう年になってきたんやねぇ~と
二人おとなしく家でゆっくりする事にした。
とりあえずDVDでも見ましょうかと
借りてきたのは「フラガール」
これがとってもおもしろかった。
昭和40年代の福島県いわきが舞台。
廃れつつある炭鉱に変わり、
町にハワイアンセンターをオープンしようと
炭鉱の娘達が、ダンス教師といっしょに
フラダンスに打ち込み成功させたという
実話を基にしたお話。

始め、ちょっとゆっくりした話の展開のせいか
主人はすぐに寝はじめてしまい、しばらくすると
「ちょっと、寝てくるわ~」と
本格的に寝るため行ってしまった。

最終的に成功するのはわかってるしな。。
と私もあまり期待せず、そのあと一人で見たのだが、
どんどんと映画に引き込まれてしまったのだ。

炭鉱娘のへたくそなフラダンスが
すばらしい踊りに変化していくのも感動だったし、
多くの反対する人がいる中で、センター設立までの
いろいろな苦労やエピソードが
ていねいに描かれていて、見終わった時には
涙といっしょに温かい感動に包まれた。

しばらくして、起きてきた主人に
「よかったよ~見たら~
と言ったが、
「う。。ん。。フラダンスはもうええわ~。」やって。
「なんで~絶対おもしろかったし、
だまされたと思って見てみたら。。みなきゃ損やって。。」
と、半ば強制的に見てもらうことに。

始めは、仕方なさそうに見ていた主人も、
話が進むにつれて、どんどん見る姿勢が変わり、感動の様子。
見終わった後は、
「やっぱり、日本アカデミー賞最優秀作品だけのことあるわ
 なかなかええな~」と、コメント
「そやろ。よかったやろ~
と、私は今度は母に貸してあげることにした。
もちろん、「これ、すっごくおもしろいよ~」と言って











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向井亜紀さん頑張って。

2007-03-24 21:24:42 | Weblog
旅サラダという番組が好きで、毎週土曜日の朝は楽しみにしている。
日本各地の温泉を紹介したり、海外の色々なスポットを
美しい映像と、素敵なコメントで紹介していく旅番組だ。
出演者やゲスト達のおしゃべりも、気取ってなくて楽しい。

そのレギュラー出演者の一人に向井亜紀さんがいる。
私もこの番組で知ったタレントさんなのだが、
プロレスラーの高田氏と結婚をして、その後、子宮癌で子宮を全摘。
それでも、高田氏のDNAを残したいと渡米、代理母出産を決意した。
一度目の代理母出産は失敗、二度目でようやく双子の子供を得た人だ。

今も自分自身の腎盂炎や卵巣膿腫といった病気と戦いつつ、
双子の子育てをされているのだが、
今の日本の法律では代理母出産による子供は実子と認められず、
実の親子関係であるにも関わらず、未だに役所に出生届けを
受理してもらえない状況が続いているのだ。

番組の中で明るく笑い、無邪気に話す彼女の姿からは
そんな辛く大変な思いの彼女は全く見えてこない。
母になる為、色々な困難や中傷を乗り越え、
ただ真っ直ぐ突き進む強さが、
あの華奢な体のどこにあるのだろうかと思いつつ、
単純に、一日も早く戸籍上の親子になれたらいいのにと
私は思っていた。

しかし、夫妻の出生届け受理を品川区に求める裁判の
最高裁判定が23日下され、
代理母出産は親子関係を認めずということに決定。
向井夫妻の出生届けは受理されることがなくなってしまった。

確かに代理母出産には、色々な問題があるのだろう。
生命誕生の神秘にどこまで関わっていいのかという問題。
人の体を他人の生殖の為に用いることの人道的な問題。
お金の授受が絡んだ代理母斡旋業が現れないかという危惧。
また、多くの費用を要する代理母出産は、
お金のある人にはそのチャンスを与えるが、
お金の無い人にはそのチャンスがないという事にもなる。

難しい事を考えていけば、だんだん分からなくなってしまうのだが
実際は海外で何組みもの夫婦が、代理母による出産をし、
その事実を明かさずに実子として出生届を提出、
認められている場合もあるらしい。

有名人が故に、隠す事もせず、真正面から代理母出産に挑んだ
彼女達に戸籍上の親子関係が認められなかったのは、
なんだか残念な気がしてならない。
色んな経緯はあっても、
それでも生まれてきた命のこれからの幸せを
まず第一に考えてあげて欲しい気がする。

色々な問題を解決し、医師の倫理観や考えの方向性を定め
法律を整備し。。と代理母出産はまだまだ
これから時間のかかる問題であると思うが、
誰かが真正面から向き合って、声を上げなければ
その話し合いさえ行われなかっただろう。

代理母出産という問題に一石を投じた向井さんに
これからも頑張って~と
私は陰ながら応援したいなと思っている。



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お墓参りと黒壁

2007-03-19 03:24:04 |  お出かけ
今日も風が吹いて寒かった~。
久しぶりに四条の方に出かけたのですが、
真冬じゃないんやし。。と
ちょっとだけ薄めのコートを着ていったら
冷えて、冷えて。。
またまた、風邪をひき直したら大変と、
できるだけ日の当たる所を選んで早足で歩きました。
街はまだまだ、冬模様。ひとときの暖かさが嘘の様です。

じつは2月末、暖かかった日の菜の花畑の写真があるので、
ちょっとだけ春をお届けします~

お墓参り

主人の母が亡くなって、もう13年になります。
昨年は13回忌で、親戚が集まって法事をしました。
今年は、命日がちょうど日曜日に当たっているので、
故郷、滋賀県にあるお墓参りにいこうと、
主人と二人出かけたのです。

毎週日曜日の朝、大原で朝市をやっているので、
大原経由で行く事にして、朝市でお墓にお供えする花束を買い、
大原から途中越えで、滋賀県へ向かうことに。

滋賀県に出て、琵琶湖の見える湖岸道路を北へ走っていると、
左手に菜の花畑が見えてきました。
一面の黄色の花畑。
「わ~ぁ、綺麗」と、車を停めて、ちょっと休憩。
暖かい陽射しの中、春の色と匂いがいっぱいに広がります。



湖西と湖東をつなぐ琵琶湖大橋を渡って大津から守山へ。
なだらかなアーチ型の琵琶湖大橋を、
車の窓を開け、顔に風を受けながら走ると、とても気持ちよく、
琵琶湖の湖面もきらきら輝き、とてもきれい~



さざなみ街道と素敵な名前が付けられた県道を走ります。
この道には、ほとんど信号機が無く、
琵琶湖を見ながらの快適なドライブが続き、お墓に到着。

主人の母は、いつも明るく、楽しい人でした。
そして、辛い事があっても弱音をはかない強い人でした。
母は、70歳というまだまだ若い歳で亡くなったのですが、
きっと、母ならあの世でも、皆とわいわい楽しく
過ごしてられるだろうなと思うのです。

皆が無事に過ごせている事に感謝して、
これからもどうか家族をお守り下さいとお願いしました。

黒壁

お墓参りを終えて、長浜の黒壁スクエアに。
北国街道を中心に、レトロな雰囲気のガラス館、
飲食店などが並び、観光客で賑わっています。



ここにはいくつものガラスショップがあって、
見ているだけで楽しく、飽きなくて。。
実は今回で3回目なのです。


  素敵なステンドグラスの照明器具たち。


   ガラスの小物たちもかわいくて、
   ついつい時間のたつのも忘れて見てしまう。

「ほら、もう行くよ」と主人に言われて
う。。ん、もうちょっと見てたいんだけどな。。。

昼食は、「カフェレストラン洋屋」というレストランへ。


  レストランへのアプローチ



おしゃれな構えから、イタリアンかフランス料理の
お店かと思いきや、オムライスのお店でした。

蔵を改造して造った店内も素敵で、一番人気という
ケチャップのオムライスをオーダー。
これにコーヒーを付けても千円くらいとリーズナブルで
おいしかった~。



命日にお墓参りにも行けたし、大好きな黒壁にも行けて
充実した日。

黒壁から帰ろうとしたら、息子からメールが入って
「今から京都に帰るよ~」
「え~じゃ、駅まで迎えに行かなくっちゃ~」と、
久しぶりに帰ってくる息子を迎えに行く為、
帰りは高速を飛ばす、息子に弱い親達でした。



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岩倉 小川屋

2007-03-18 23:54:53 |  京都食べ歩き
今日の午前中、ほんの少しだが雪が降った。
3月とは思えない寒さ。
2月と3月が反対ですよね~
最近の天候の挨拶言葉になってしまっている。

そんな寒い日に食べたくなるのは、鍋焼きうどん
京都岩倉に、私も主人もお気に入りの
おいしい鍋焼きうどんのお店があるのだ。

「小川屋」さん
鍋焼きうどんのお店というより、ここは信州蕎麦、
こしがあって、のどごしの良いお蕎麦のお店なのだ。



店内は、田舎風の素朴な造りで、
昔ながらの火鉢などが置いてあり、
温かさがほのぼのと伝わってくる。



ここの天ざるも、とってもおいしくて好きなのだが、
私達のお気に入りはなんといっても鍋焼きうどん。
おだしがとってもおいしくて、
味の良くしみた特大のどんこ椎茸に
大きな海老天が2つ、お餅、京の地鶏、卵、京野菜と
盛りだくさん。ちなみに、だしまき卵もとってもおいしいです



今日は、この寒さに、
あつあつの鍋焼きうどんが恋しくなって、
買い物の途中、わざわざここに寄り、お昼は鍋焼きうどん。

おかげで帰りはコート着るのが暑いほど、
ほっか、ほっかになってしまった。









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母と買い物

2007-03-15 23:46:07 | 家族
今日は久しぶりに母と買い物に出かけた。
買い物といっても、近くの大型スーパーへ行っただけなのだが。。
このところ母も風邪気味だったり、腰痛が心配だったりで、
外に出かけず、買い物は私が出かける時に、
頼まれていっしょに買ったりしていた。

それが今日は、掛け時計が買いたいという事で、
ならばいっしょにと、車で出かけたのだ。
自転車でも、5分くらいで行けるスーパーなのだが、
駐車場が完備されているので、ついつい車で行ってしまう。
特に母といっしょの時は車でないと無理やしね。

まず、時計屋さんへ行って掛け時計を見る。
あれがいい、これがいいといいつつ
結局、木目調のシンプルな電波掛け時計にした。



「最近は、掛け時計も電波時計なんやね~」と私。
「ほんまに世の中は便利になったわ。
 時間合わさんでもええ時計やなんて。。」と母。
「確かに。。。」

それから、眉墨が欲しいというので、化粧品店へ。
母の言うままに、
眉墨ありますか?」と聞いたら、
「はぁ。。?」と店員さん。
「いや。。あのアイブローありますか」と聞き直したら
「あ、はい。こちらです」と教えてくれた。
そうか。。若い店員さんには、眉墨なんて言葉、
通じないんやな~と思ってしまった。
ま、聞く方も聞く方かな。。

それから、母の大好きな鞄屋を見て、
アクセサリー店を二人して冷やかして、
食品売り場でカート押して食品を買い込んで、
その後は、パン屋。試食のパンを二人で色々と食べてみて、
それぞれお気に入りのパンを買って駐車場へ。

駐車券を見ると、優に2時間半を超えているではないか。
ここの駐車場は2時間までは無料なのだが、
それを越えると超過料金がいるのだ。
「いや。。超過料金とられるわ~」
「へ。。そんなに居た?」
「うん。。なんか、そうみたい。。」

主婦の感覚なのか、スーパーの駐車場で超過料金
取られるのはなぜか悔しい
安いものを買いに来て、駐車代を取られるのは
なんか納得できないのだ。
自分がゆっくりしていたせいなんだけど。。

料金所のおじさんによっては、少しくらい過ぎていても、
すんなり通してくれる時もあれば、
しっかり超過料金を取られる事もある。

でも、今日は仕方ないかな。。。と思いながら、
料金所のおじさんに駐車券を渡したら、
おじさんは仕事に疲れてたのか、
めんどくさそうに、ちらっと見ただけで、
「ありがとございやした~。」と、抑揚のない声で言った。

え。。いいの。。?今日は取られると思ってたのに。。
でも、なんだか嬉しい
250円位のことなんだけど、
なんだかとっても得した気分で家に帰ってきた。

でも、こんな事があるから、今度きちんと超過料金を取られた時は
かえって悔しい思いをするんだけどね。

























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26年目の結婚記念日

2007-03-12 21:47:54 | 家族
先日、26回目の結婚記念日を迎えました。
去年の25周年は、親子で海外旅行と豪華にお祝いしたのですが
今年は、家で、主人と母の3人でちょこっとお祝い。



本当は、どこかへお食事をしに行きたかったのですが、
私の体調がいまいち万全でなく、外に食べに行くのも
億劫だったのです。
外に出かけるとなれば、着替えもしないといけないし、
とりあえずはお化粧もしないといけないし。。女って面倒ですよね
体がしんどい時はそういうことも億劫になってしまって。。
それで、お寿司をとって家でお祝いする事にしました。

それでも、主人は結婚記念にと写真入れ
プレゼントしてくれました。

以前、私は、これと同じものをプレゼントで
人にあげた事があるのです。
その時は、
「いいな~。。私も買おうかなぁ。。」
と言いつつ、結局、もったいないかな~と買わなかったのです。
その事を主人は覚えていてくれたらしい。

側面に4枚の写真が飾れてくるくる回り、
100枚程の写真を収納する事ができる、
すぐれ物の写真入れ
よ~~し、この写真入れには、
これからの写真を少しずつ入れていこう

これからの日々の中でどんな写真が飾られ、
どんな思い出がファイルされていくのでしょうか。。
家族や友人や、色んな人の笑顔
この写真入れがいっぱいになればいいな~



25年目の結婚記念日 息子たちといっしょに
                新婚旅行地サンフランシスコ
                訪ねた思い出の旅。







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国立大学合格発表。

2007-03-10 18:55:56 | 心に残る出来事

友達から、お嬢さんが大学の医学部に受かったとの
メールが届いた。
本当によかった~。一生懸命の努力が報われて
本人もご家族もどんなに嬉しい事だろう。

先日、たまたま出会った時に
「吉報を待っているからね。
と言って別れたのだが、本当に春一番の吉報を届けてくれた。
ありがとう~本当に嬉しかったよ。

しばらくすると、違う友達から電話があった。
今度は○○さんの息子さんが、やはり大学の医学部に
合格しはったよと。二浪の後の喜びの春だった。

よかったね~やったね~と言いながら
そこで、やっと気がついた。
そうか。。今日は国立大学の発表の日だったんだ。
それで、吉報が続けて飛び込んできたんだ。。と。

 

そういえば、うちも四年前の今日は、
次男が医学部を受け、はらはらどきどき、
何も手がつかない状態で合格発表を待ち、
合格と聞いた途端、電話を握り締めて泣いたっけ。。


本当にほっとするやら、嬉しいやら。。
その後は、本当に家族皆でお祭り騒ぎだった。



一年前、だめだと分かっていても、発表が終わり
不合格がはっきりした時は、暗い、世の中から取り残されたような
寂しい空気を一瞬感じたものだった。

でも、勝負はこれからや
夢を諦めずにがんばろうとする次男に、
家族皆が応援していこうと誓った。


その頑張りが実を結んだのだ。
この一年間、本当によく頑張ったな~って
わが息子ながら、褒めてあげたい。

 

 次男合格発表の日の思い出は  こちら

 

3月上旬  国公立大学前期試験合格発表

合格発表の結果、


長い受験勉強から開放され、喜びに満ち溢れている多くの受験生が
いる一方、だめだったショックから一日でも早く立ち直り、
後期に向け頑張ろうとしている受験生もたくさんいるはずだ。

今はまだ前期試験発表だけれど、3月下旬の後期試験発表の後は
色々な家庭で、色々なドラマがおきるのだろう。

喜びの春を迎え家族みんなの笑顔と笑い声で溢れる家庭。
合格という喜びから取り残され、暗く辛い思いの中にいる家庭。


たった1点の差が生み出す、運命の違いは
余りに大きすぎて、過酷にも思える。

誰だって、皆勝者になりたいのは決まっている。
でも、今年は敗者であっても、また来年はやって来る。
来年には、勝者にきっとなれる。

そう信じて、ひたすら努力する。
みんな、そうして試練を乗り越えて合格を得ているのだ。


その試練を乗り越えて夢をつかんだ若者には
惜しみないおめでとうの言葉を

残念な事に、今年だめだった若者には、
諦めずに、来年目指して頑張れとエールをおくりたい。

今のさ、悔しさは、きっと君に頑張り通す強さを与えてくれ、
今の悲しさ、空しさは、きっとの苦しみがわかるやさしさ
与えてくれるよ。



なんだか、不合格者への応援メッセージのように
なってしまったかな。。
とりあえず今は後期試験に向けて頑張れ~






























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友人の一周忌に想い出す

2007-03-08 10:29:41 | 心に残る出来事
今日は私のとっても親しかった友人一周忌でした。
友達と二人で、彼女の家に花を届け、お参りをした後
彼女の娘さん達と1時間半も話し込んでしまいました。
学校の事や、職場の事、恋愛の事や、将来の夢。。
思い出話や、楽しい会話は、なかなか尽きません。
なんだか、彼女もいっしょに楽しそうに
聞いてくれているような気がふとしました。

彼女とは、子供が本当に小さい頃からのご近所付き合いで
同い年の子供を持つ私達は、お互いに助け合いながら子育てをしたり、
たまには子供を交えて、お食事会やお茶をしたり。。
私よりちょっとお姉さんで専業主婦だった彼女は
仕事を持っている私の事を
「無理したらあかんよ~」といつも心配してくれていました。

そんな彼女昨年の春、亡くなったのです。
ご主人と3人の子供を残しての旅立ちでした。
一番下の女の子は、高校入試が終ったばかり、
まだ、合格の知らせも知らないうちに。。

自分が癌であるということは、彼女自身も知っていたし
私もその話は聞いていました。
でも、手術はうまくいったし、もう大丈夫という
彼女の言葉を、私はそのまま信じてしまっていたのです。

冬は寒くてなかなか出られないけど、暖かい春になったら
またいっしょにごはんでも食べに行こうね~。
秋には、そう言っていたのに。。

彼女との想い出は本当にいっぱいあるのですが、
いつの日の彼女も、前向きで、しっかりしていて、明るかった。
町内の役や、学校の役も、あらかじめ相談しておいて
いっしょにやったりしていたのですが、
今でも忘れられない彼女との想い出が私にはあります。


あれは、私達の子供がまだ小学校の低学年頃の事だ。
その当時、私達の地域では、毎年町内対抗の
キックベースボール大会が行われていた。
が、私達の町内は一度も出た事がなかった。

その年、二人で町内会子供会役員を引き受けた私達は
今年は出てみようよと話し合った。
二人で相談して、まずは町内の高学年サッカー部二人を
口説き落とす事にした。
初めは、いや~僕は。。と言っていた彼らだったが、
何回か家を訪ねてお願いするうちにとうとうOKを出してくれた。
彼女と私はやった~大喜びだった。

そうなると、話は早い。私達の子供達もまじえて人数をそろえ
出場登録。なんとか初出場にこぎつけたのだ。
ルールさえ知らない子供達に、私達も覚えたてのルールを
二人で教え、公園で何回か練習をさせた。
「よく、がんばったね~」と彼女は明るい笑顔
子供達にジュースを配っていた。

そして、当日。なんとか一回戦くらいは勝ってほしいな~という
私達の思いを遙かに越え、チームはとんとん拍子に勝ち進み、
とうとう優勝決定戦まできてしまったのだ。
彼女も私も、まさかの展開に目を見張るばかりだった。

そして私達の町内は、ついに初出場で初優勝
成し遂げてしまったのだ。
予想もしない出来事に驚きつつも、私達はどんなに嬉しかったことか
「信じられへん。。。」と言いながら、手を取り合って喜んだ。
急きょ、優勝祝賀会をハンバーガーショップで開いた時、
「やったら、何でもできるんやね~」と言った彼女の顔は
日に焼けて真っ赤だったけど、きらきらと輝いていた。
本当に諦めずに頑張れば、どんな事だってできるんだ
という事を、私達にも、子供達にも教えてくれた出来事だったのだ。




あれから何年かたっても、あのキックベースボール大会の事は
時々私達の話題に上りました。

「ほんまにあの時二人とも頑張ったよね~」
「ま、若かったしね。でも、二人やしできたんやな。。」
[それは、ある。本当に嬉しかったな~」
「うん。本当に本当に嬉しかった!」


そうや。。。彼女とそんな会話をする事も、もうないんや。。

ふと、キックベースボール大会は今もつづいているのかなと思いました。
子供達が大きくなってしまってからは、そんな事さえ知らなかったのです。

もし、今も続いているのなら、今度一度見に行って見たいな~
「頑張れ~!走れ、走れ~!」と大声で応援していた
あの日の元気な彼女に会えそうな、そんな気がするのですが。。





















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